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時が止まった。目の前の美女が俺から離れたと思えば、後ろには名前さんが目を見開いて立っていた。そして眉間に皺を寄せ、一言。


「帰れ」


数分前に遡る。学校が終わり、名前さんの家に向かう。ずいぶん見慣れてしまった名前さんのマンション。エレベーターから降り、廊下を通って名前さんの部屋の前に来ると、1人の女の人が立っていた。うわ、すげー美人。その人は俺に気付いたのか、こちらを見てにこやかに笑った。


「名前のお客さん?」
「え?」
「なんて冗談。今は君が名前と付き合ってるんだ」
「は、あの、」
「へぇ、きみ可愛いね。名前は?」
「…出水、ですけど」
「出水くんかぁ、かわいいー」
「あの、ちょ、ちょっと、近い!」
「顔赤くしちゃって!ちょータイプ」
「え、うわ、…っ」


ちゅ、可愛らしいリップ音を立てて唇を奪われた。文字通り奪われた。そして冒頭に戻る。タイミングが良いのか悪いのか、玄関の扉を開けた名前さんがすごく吃驚した顔をしている。それも一瞬のことで、眉間に皺を寄せ機嫌の悪そうな表情、しかも低い声で「帰れ」と言った。そのまま名前さんは廊下を歩いて行ってしまう。目の前の名前も知らない女の人の肩を押して、慌てて名前さんを追いかける。名前さんはエレベーターではなく、非常階段から降りていった。


「名前さん、ごめんなさい、待って」


タンタンと階段を降りていく名前さんは、名前を呼んでも足を止めてくれない。そのことが悲しくて、やるせなくて。気付けば足を止めて、ぼろぼろと涙が出ていた。


「っ、ごめ、っふ、う」
「ちょ、出水!?」
「名前さん、やだ、ねぇ、嫌いにならないで、名前さん、っ」
「あぁもう、ごめん」


ばたばたと階段を上がってきた名前さんは、階段に腰を下ろしてぼろぼろと泣いている俺を見てぎょっとした。そして、「ごめんな」と子供をあやすように俺を抱き締めて背中をさする。


「っ名前さん、ちがう、おれあのひとしらない、っふぅ、ゆるして」
「うん、うん。ごめんな、無視してたんじゃなくて、イライラしてて聞こえてなかった」
「かえれってゆった、」
「それはお前にじゃないよ。あいつに言ったの。紛らわしかったな」
「じゃあ、名前さん、おれのこと嫌いになってない…?」
「なってないよ、出水」
「ぅ、よかったぁ」


安心と一緒に、また視界が滲み出す。涙が溜まった目尻に、名前さんがそっとキスをした。そして俺が腕の中で息を整えている間はずっと背中をさすってくれていた。俺が落ち着いた頃、名前さんがふと思い出したように言う。


「煙草買いに行こうとしてたけど、財布も携帯も家だし、鍵も開けっ放し」
「名前さん、サンダルだし」
「あ、ほんとだ」
「気付かなかったの?」
「気付かなかったの」


それくらいどうでもいい出来事じゃなかったよ、と俺の頭を撫でながら立ち上がった名前さんは「とりあえず戻るか」と言う。あの人、まだいるのかな。ていうか誰なんだろう。


「あの人、だれ?」
「元カノ」
「もっ…、」


もとかの。手を引かれながら名前さんの部屋に戻ると、やはり彼女は同じ場所に立っていて、可愛らしい声で「おそーい」と言う。名前さんなんなんですか、あの人!さっきのことなんか全部忘れてそう!


「何しに来たの」
「この前、名前が出水くんと歩いてるとこ見ちゃったから嫌がらせしに来たの」
「はぁ?」
「名前ったら、あたしが見たことない顔してるんだもん。ムカつくじゃん」
「ムカつくのは勝手だけどさ、なんで出水に手出すわけ」
「可愛かったから?」
「警察に突き出すぞ、クソ女」
「こわーい」


表情は見えないが、この口調からして名前さんの機嫌は相当悪い。それに全く怯まず、20cm以上も背が高い男と対立するこの人すげえ。流石、名前さんの元カノ。結果元カノさんは、持っていたピンクのバッグを肩にかけ直し、軽い足取りで手を振りながら去って行く。名前さんは、それに目もくれず舌打ちを漏らしてから部屋の中へ入っていった。


「出水」
「はい?」
「こっち」


ソファに座った名前さんは、俺に向けて自分の膝をポンポンと叩いてみせる。これは、つまり、ここに座れってことだろうか。近寄るとそのまま手を引かれて、向き合うような体勢で名前さんの膝の上だ。腰に手が回されるのを感じながら、名前さんを見つめると、眉を下げ困ったような、はたまた怒ってるような、そんな複雑そうな顔をしていた。初めて見る表情だ、これ。そのまま顔が近付いてきて2回、角度を変えて3回。名前さんは俺にキスをして、その後に唇を舐めとってから顔を離した。


「キスされたろ」
「…う、おれ、その、最後のぺろってすんのすげー恥ずかしいんすけど」
「上書き」


まさしく、ノックアウト。眉を下げたままふにゃりと笑った名前さんは、その顔を隠すように俺を抱き締める。名前さんの柔らかい髪の毛が首元に当たって言いようもないむず痒さを感じた。これは、なんというか。


「名前さん、これって」
「言うなよ」
「嫉妬?」
「……言うなって」


唇を尖らせているであろう名前さんの後頭部を、両手でぐしゃぐしゃと掻き撫でた。この人、すげー可愛い。


20150912
立場逆転キャンペーン続きます


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