All destinies begin to turn.


「バレー部の子が飛び降りたって!」




4月15日の2限目、朱雀は体育教官室へ走っていた。 廊下には人がほとんど居ない。皆中庭に出払っているからだ。 救急車のサイレンが聞こえている。 それもこれも、バレー部の『鈴井志帆』が屋上から投身自殺を計ったからだ。

朱雀は、息をすることも忘れて夢中で走った。 鈴井志帆、その名前はよく知っている。 同じバレー部の後輩だった可愛い少女、そして、近頃よく鴨志田がボヤいていた名前。






「鴨志田先生っ!」
「おお? どうかしたか、朱雀」

ガラリと乱暴に体育教官室の扉を開けて駆け込んできた朱雀に、鴨志田は呑気に座りながら顔だけをそちらへ向けた。

「…志帆ちゃん、飛び降りたって」
「…ハア。 で?どうかしたのか? まさかそれだけを言いに来たのかあ?………そ・れ・と・も…コッチかぁ?」

ひらりと朱雀のスカートの裾が捲られる。 鴨志田がその下にある包帯を慣れた手つきで解くと、点々と紫色に滲んだ内出血の跡が顕になった。
それは痛みこそ無いものの、嫌な程鴨志田の行為を思い出させる。 心の底から這い上がるような気持ち悪さを抑え、朱雀は目を逸らさずに鴨志田を睨んだ。

「…先生、ですよね。 志帆ちゃんが飛び降りた原因っ!」
「ハア。何を言い出すんだ、鈴井の件は残念だったと思うが、あれは不慮の事故だろ」
「嘘! 先生、最近志帆ちゃんの事気に入ってたじゃないですか! …もしかして、志帆ちゃんにも…あんな事を…っ!?」
「おいおい、あんな事って…」

勢いよく立ち上がった鴨志田は、朱雀の手を強く掴むと、壁に縫い付けた。 バレー元金メダリストなだけあり、身長は勿論、筋肉質でがたいの良い鴨志田にとって、朱雀など簡単に抑え込めてしまう。 非力な朱雀は、抵抗に手足を動かすも、大きな力の差の前では無力に性を煽るだけであった。

「なあ、卓"様"って呼べよ…。お前の声、クるんだよなあ…」
「…っ」

大きな掌が細い腰を撫でる。 ぞわりと背筋に悪寒が走り、身を捩って抜け出そうとする朱雀を、鴨志田は力で丸め込んだ。

「最近付き合い悪かったからな、お前。鈴井の件はお前のせいでもあるんだぞ───」









「鴨志田っ!テメェ───…って、」

その時、ガラリとデスク脇の扉が勢いよく開いた。金髪の少年が駆け込み、直ぐに足を止める。何故なら、居ると思いもしなかった少女が、鴨志田に押さえ付けられていたからだ。

「夢坂、先輩…!?」
「なんだ? いきなり…」

「朱雀!?」

続いて入ってきた雨宮蓮は、思わず声を荒らげた。慌てて姿勢を正した鴨志田の元から、朱雀の手を引いて入口まで戻る。 涙を滲ませるアッシュブラウンを、鴨志田の視線から遮るように立ち、彼女の背を優しく撫でた。

「…っ、大丈夫?」
「あ、雨宮くん…大丈夫だよ。ありがとう」
「なんだ? お前ら知り合いだったのか…」
「………」

朱雀が問いかけに俯いたままで居ると、竜司が1番最後に部屋へ入ってきた三島由輝を顎で指して鴨志田を睨む。

「聞いたぜ。コイツから全部…。鴨志田、腹立つことがあるとお前、ここに部員呼び出してぶん殴るんだってな…!しかも高巻にも、夢坂先輩にまで! 女子生徒へのセクハラもマジじゃねえか!」

声を荒らげながら、竜司は鴨志田へ詰め寄った。

「やっぱ事実だったんだッ!お前の悪事の噂は!」
「フン、くだらん言いがかりだなあ」
「しらばっくれんな!」

パイプ椅子を蹴り飛ばし、竜司は鴨志田へガンを飛ばす。 怒りを顕にする竜司とは逆に、鴨志田はどこか余裕そうに彼を見下していた。

「あれが…指導なもんかよ…!」
「なんだと?」
「俺は…ここに鈴井を呼べって、命令されてたんだ…。 きっと、ここで鈴井は…!」

そう言って、三島由輝は俯く。

「証拠もないことをペラペラと…。 要はレギュラーになれない当てつけだろう?」
「そんなんじゃ…!」
「百歩譲って、お前の想像通りだとして…何がどうなるんだ? たった今、病院から連絡が入った」

ちらりとデスクを一瞥して、鴨志田は挑発的な笑みを浮かべた。

「もう回復の見込みはないってよ…可哀想に」

可哀想、と言うには嬉々としたその表情に、少年少女は絶句する。 思わず拳を握る蓮に、朱雀は静かに唇を噛んだ。

「うそ…だろ…」
「テメェ…!」
「はあ、またそれかよ…。 なら、もう一度『正当防衛』が必要だなぁ?」
「うっせんだよ! クソがっ!」

拳を振りかぶった竜司を、蓮が止めた。なぜ止めるのか怒る彼に、「挑発に乗るな」と冷静に一言告げると、その言葉に、竜司は拳を作った手を下ろして、大きく深呼吸をする。

「ほう、お前が止めるのか、驚いたな。 遠慮しないで、やれよ? あ、そうか、やれないか。ハハハッ まーそうだよな!」

ここで手を出せば、状況は余計に不利になる。 それを理解した上で、わざと竜司を煽っているのだと、蓮は冷静に思考していた。
竜司が手を出してこないと分かると、鴨志田は興味が失せたかのようにデスクチェアへ腰を下ろす。

「坂本、雨宮、三島。お前ら全員…退学だ。 次の理事会で吊るしてやる」

「なっ…!」
「そんな事、簡単に決められる訳…」
「こんなクズ共の言う事、誰が本気で取り合うか。 三島、一緒に脅迫してきたお前も同罪だからな」
「え…」
「才能もないのに部に置いといた理由、分かってなかったとはな…。それに一緒に被害者ヅラしてるけど、前歴の事バラしたの…お前だろう?」

ネットに書き込みしたんだよなあ、ヒドイ話だよ。と嘲笑うように鴨志田は由輝を見下ろした。 「言われて、仕方なく…」と膝を着く由輝の背を、朱雀が優しく撫でる。

「さ、もういいだろ。退学だ退学! お前らの将来、俺に奪われて終わりってわけ。 分かったら…とっととでてけ!」

そう言いながら、鴨志田はデスクの書類に目を向けて、背中越しにヒラヒラと手を振った。

「クソ…!こんな奴のせいで…!」
「諦める気か?」
「お前…、そうか!アレか!」

アレ?と朱雀が小首を傾げると、竜司が「えーっと、アレだよ、アレだ…な、蓮?」と慌てた様子で誤魔化す。

「とにかく、ここを出よう」

ネチネチ小言をぼやく鴨志田を睨みつけて、蓮は朱雀の手を引いた。












「大丈夫だった? 何もされてないか?」
「大丈夫、ありがとう…」
「…」
「恥ずかしいところ見られちゃったね」
「無理して笑うな」

鴨志田から逃げるように体育教官室を後にして、人気のない屋上へやって来た。 椅子に腰掛けた朱雀の横で、蓮がその顔を心配そうに覗き込む。

「………この傷、鴨志田が?」
「あっ」

包帯を取られていたことをすっかり忘れていた朱雀は、咄嗟に太腿の痣をスカートを伸ばして隠した。 既に手遅れなのは理解していたが、こんな穢らしいものを彼に見られるのは流石に気が重かった。

「…汚いから、見ない方がいいよ」
「…許せないよ、俺」

こんなに綺麗な肌なのに。そう蓮が続けると、朱雀は困ったように眉を下げた。

「綺麗なんかじゃないよ」
「そんな事ない」

じっと蓮に見つめられて、ブラウンの瞳が大きく揺れる。膝の上に置いた拳を震わせて、朱雀は視線を落とした。

「私、今までわざと目を逸らしてきた。 鴨志田先生が何してるか知ってたのに…。 私のせいで、取り返しのつかない事が起きちゃったも同然だよ」
「そんな事ないよ。朱雀先輩も被害者だ」
「ありがとう、雨宮くん。 君は本当に優しいね」
「悪いのは全部鴨志田だろ!? 先輩が負い目感じる必要ねーよ!」

声を荒らげながらやってきた竜司が、暖かい缶ジュースを朱雀に手渡す。どうやら全員分飲み物を買ってきてくれた様で、色々な種類のジュースがずらりと机に並んだ。
やはりこちらも心配そうな様子に、朱雀はくつくつと笑う。 退学の話が出てしまった自分たちの方が大変だと言うのに、彼らは人の心配ばかりしているのだ。

「坂本くんもありがとう。…君、噂じゃ不良だの好き勝手言われてるけど…やっぱ当てにならないね。 ああやってガツンと言えるの、凄いと思った。坂本くんがキレてくれたおかげで少しスッキリしたよ」
「そ、そ…?」
「うん。 …というか、私は君たちの方が心配だよ。…退学の話、鴨志田先生は本気だよ。 本当に酷い話だけど…多分、校長に抗議しても信じて貰えないだろうし…私にも何か力になれないか考えてみる」
「鴨志田については、俺達にも考えはある。だから…朱雀は何もしないで、いつも通りにしていればいい」
「でも…」
「じゃあ、ひとつだけお願い。 もう鴨志田と関わらないで。これ以上言いなりになる必要はない。…鴨志田は、絶対になんとかする」
「…わかった。でも本当に、無謀なことはしないで」
「うん」

蓮の強い意志を感じられる瞳を見て、朱雀はふわりと微笑んだ。 "俺達"とは、彼と竜司の事だろうか。 金髪の彼を見ると、コンクリートに座り込んだその瞳もまた、強い意志を孕んでギラギラしていた。
「あの城、ぶっ壊してやる…」とぼやく竜司に、「城?」と首をひねると、「あ、あー、いや、雲?白いなって?」と慌てた声が返ってきた。

(…雲、ないけどね)

下手な誤魔化しに笑いを零して、朱雀は生気の抜けた顔でフェンスに凭れる由輝を見た。

「由輝くんも、本当にごめん 」
「お、おれは…」
「酷い仕打ちの事、知ってたのに何も出来なかった。 …後輩を守るのも先輩の務めなのに。 」
「俺も……、分かってたのに全部、鴨志田の言いなりになって……、」

自分の呼び出しが引き金になってしまったのも事実である。と、由輝は自責の念に身体を震わせる。

「あ…、俺この後職員室に呼ばれてるんだった…。 …雨宮、噂の件…本当にごめん」

そう言い残すと、彼は駆け足で屋上から飛び出していった。 残された3人は、ぼうっと春の風を浴びてチャイムの音を聞き流す。 教室に戻っていないから、この後普通に授業があるのか、それとも自習なのか下校なのか何も分からない。しかし教室に戻る気になれなかった。



空を見上げて何か考え込む竜司を一瞥すると、朱雀はハッとして隣で心配そうに此方を見ている蓮を見つめる。

「そういえば、呼び捨て!」
「あ! ごめん。つい焦って…」
「ううん! 違くて、その方がしっくり来るなあって…」

だから、その…と言い淀む朱雀に、蓮は微笑む。
朱雀?と呼んだ名前に、キラキラと破顔した彼女を見て、蓮は心が温まるのを感じた。

「うん、それ…。よければ…坂本くんとかと話すみたいに、もっとフランクに接してくれたら嬉しいなって」
「朱雀が良いなら」
「ありがとう」

えへへ、と少し擽ったそうに笑う朱雀に、蓮は己を指さす。

「俺の事も、雨宮くんじゃなくて名前で呼んで」
「蓮くん?」
「蓮」
「…蓮、くん」
「ダメ?」
「ダメじゃないけど、慣れてなくて…。蓮…くん、努力はするから…」

ダメ?と上目遣いで尋ねる朱雀に、蓮はきゅっと口を結んだ。椅子に座った彼女は、必然的に上目遣いになってしまう訳で、決して狙ってやっている訳では無い。が、そんな満点越えの「ダメ?」が、蓮にとってダメなわけが無いのだ。

「…ダメじゃない…」

かわいい…と掌で顔を覆うと、朱雀は不思議そうに小首を傾げる。 そして、そのまま竜司の方へ声をかけた。

「坂本くんも、私の事"先輩"なんて呼ばなくていいから。先輩って柄じゃないし、もっとフランクに接して欲しいな」
「…朱雀?」
「うん! …私も、竜司くんって呼んでいい?」
「お、おー! いいぜ!」
「ありがとう! 友達、あまり居ないから嬉しい」
「え、そうなの?」

目を丸くして向き直る竜司に、朱雀はこくこくと頷く。

「バレー部とかクラス委員だとかで、ちょっと悪目立ち? 声掛けにくい人だと思われてるみたいで」
「あー…」

その気持ち、ちょっと分かる。と竜司が同情の意を込めて首を振った。 彼自身、朱雀の事はもっと冷たい優等生を想像してたし、少なくとも花のような笑顔を見せる人だと思いもしていなかったのだ。

さてと。と朱雀は椅子から腰をあげる。 横で座り込んでいた蓮は、そのアッシュブラウンを目で追ったが、不本意にもスカートの中が見えそうになり、そっと視線を落とした。

「蓮くん、竜司くん…今日は本当にありがとう。 何か困ったことがあったら言って?何でも力になるから、 …無茶だけはしないで」
「ああ。 朱雀も…鴨志田の言う事に従う必要無い。 また何かされたら、俺に言って」
「鴨志田のことは俺らで考えてみっからよ。 朱雀パイセンはのんびり待っててくれ」
「うん」

笑みを作って頷くと、「つーか、そろそろ戻んなきゃヤバくね?」と竜司がボヤきながら扉へ足を進める。 歩けるかと心配そうな蓮の背を押して、朱雀は一緒に屋上を後にした。
先程のチャイムは3限の合図だろうか。 しかし自殺未遂があった直後、通常授業が行われているとは思いにくい。

「(私って意外と…じっとしてられないタイプだったんだな…)」

ぎゅうと拳を握って、階段を下る彼らの背を見つめた。















「覚悟は出来たって事でいいんだよな? 例の"廃人になるかも"ってやつ」
「…俺はできた。 アイツのせいで人が死にかけたんだ! もうどうなろうが知ったこっちゃねえ!」
「オマエは?」
「覚悟は出来てる。…これ以上、被害者を増やす訳にはいかない」

放課後の中庭。モルガナと落ち合った蓮と竜司は、迷いを捨てて、鴨志田のパレスへ乗り込む決意を固めた。 そして、『怪盗』としてパレスの『オタカラ』を盗むべく、2人と1匹は秀尽学園の裏路地へ消えていく。
─────1人の少女を巻き込んで…。








パチンと、乾いた衝撃音が空気を割いた。
「…ッ、 」
「朱雀、お前まで馬鹿な真似をするとは思ってなかったなあ。 退学の話を取り消して?自首しろだって? 誰が信じるかよ、なあ!?」
「…私が、証言するっ! 」
「あー、何をだよ? 証拠もなんも無い癖になあー…。 まあいいや、もっと利口な女だと思ってたけど、見込違いだったってワケか」

くつくつと喉を鳴らす鴨志田の目を、朱雀は逸らさず睨み続ける。

「…そうだなあ。 お前が毎日、俺を楽しませてくれるなら、1人くらい退学の話を無しにしてやってもいいかもな」
「…悪趣味…っ」
「ん?何か言ったかぁ?」
「………なんでもない、です」
「あ、変なこと考えんなよ。 お前のせいでアイツらの退学が早まるかもしれないからな」
「…!」


(いい子たちなのに…こんな奴のせいで退学なんてそんな酷い話無い…! 理事会までに、何としてでも…!)


この日初めて、朱雀は自分の意思で鴨志田の手を取った。
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