曇った夜に妖一さんと

ワードパレットリクエスト


 何度スマートフォンを確認しても、新規メッセージはない。緑のアイコンにバッチはつかないし、突然着信音が鳴ることもない。
「楽しんでる?」
「ええ、まぁ」
 社会人になって上手くなった愛想笑いが憎い。隣の男の名前はなんだっただろうか。人の良さそうな笑みを浮かべながらぐいぐいとわたしに話しかけてくるが、面倒くさいという感情しか湧かない。こんな事なら、ヘソなんて曲げずに自宅に居るべきだった。
 珍しく、彼と喧嘩をした。いや、喧嘩にもなっていない。妖一さんは頭が良いから、きっと彼が言ってることは正しいし、それはわたしも理解しているのだ。

 友人に飲みに付き合ってと言えば、都合よく今日飲み会があるよ。と返ってきた。妖一さんをちらりと見れば目線はパソコンを見ている。もういい、今日はいっぱい飲む。
 お酒に弱いこともあって飲み会の参加率が低いわたしは張り切って化粧をして出かけた。いつかのデートで履いたかわいいスカートを揺らして、酔ったら困るなぁとスニーカーを選んだ。
 騙された。
 いや、合コンなんて聞いていない。そもそもわたしは彼氏がいると彼女には言っていたのだ。妖一さんの写真を見せた事はないけれど。男女比の同じ飲み会、お互いに初対面。これは言い逃れができない。
 ファジーネーブルを片手にこの場から逃げる手立てはないものかと必死に模索するが特に妙案は浮かばない。彼に連絡するにしても、なんで言えば良いのか。気付いたら合コンに参加してたから迎えに来て。そんな事、絶対に言えない。世界で1番、彼に悩まされている気がする。

 普通の飲み会だと思って、周りより地味めで、狩りの格好になっていなかったからだろうか。おぼこいとでも思われたのだろう。ちょろそうな女として認識したのか、やたらと絡んでくる。
「休日の過ごし方は」「好みのタイプは」「料理とかできるの?」うるさい。休日は妖一さんの試合や練習を観たり忙しい。好みのタイプは悪魔のようだけれど、誰よりも努力家の男だ。料理は彼のために覚えた。だって、わたしの作ったものが妖一さんの血となり肉となる。彼が輝くための筋肉も脳を回すエネルギーもわたしが作っているのだ。
 適当に笑って流していれば何を勘違いしたのか距離を詰めてきた。そのまま隣の男が、わたしの手に触れようとした時だった。
「なんで、」
 そこにいるはずのない彼が、通路側に座っていたわたしの二の腕を掴む。びっくりして椅子からずり落ちそうになる。
「帰るぞ」
「えっ」
 妖一さんは、コイツの分と札をテーブルに置いた。わたしのバッグを掻っ攫う。突然現れた柄の悪い男にテーブルは静まり返る。きっと今度、彼について根掘り葉掘り聞かれるのだろう。

「なんだ?浮気か」
「ちがう」
「そうか」
 妖一さんは真っ直ぐ前を向いている。ジャンパーのポケットに手を突っ込んでいるわたしのハンドバッグを片手に、1歩先を行く。駅でタクシーを拾うのだろう。駅までの道はネオンが光り、客引きの声が聞こえる。
「寒ぃ」
 ぼそりと聞こえた小さな呟きは、白い吐息となり消えていった。よくよく彼を見てみればマフラーも手袋もしていない。ポケットのスマートフォンが震えて、画面を見れば武蔵さんから「悪いが面倒なことになりそうだから連絡させてもらった」とメッセージが画面に浮かぶ。なるほど、妖一さんは急いでここまで来たらしい。普段は白い耳の先は赤くなっている。ピアスが冷えて痛そうだ。わたしは彼の手を勢いよく取った。
「ごめんなさい」
「……おう」
「浮気じゃないの。飲みに行くって言われて行ったら合コンだったの。嫌な思いも、寒い思いもさせて、ごめんなさい」
「気にしてねぇ」
 妖一さんは相変わらず前を見ている。冷えた指先にわたしの体温が移らないかと握って、緩めてを繰り返した。普段は手なんて繋がないのに、彼は振り解くこともなく、それを感受してくれている。2人騒がしい繁華街を歩く。静かなわたし達だけ、どこかこの空気から浮いているようだ。
 わたしのことを見ない彼は、どこか安心したような顔をしているように見えた。凪いだ海のようなんて言っても、きっと誰もが首を傾げるのではないだろうか。それくらい、些細な表情の変化だ。家を出る前のピリピリした感じはもう鳴りを潜めている。
 月光を隠すように雲が空を覆っている。明日は雪でも降るのだろうか。




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -