十五時のまぶしさと杢太郎さん

「おかえりなさい、杢太郎さん」
 ぺたぺたと裸足でフローリングを鳴らしながら彼女はリビングから廊下に出て彼を出迎えた。休日出勤の彼は額に汗を浮かべている。玄関ドアを開けただけでむあっとした熱気が室内に流れ込んでくる。薄暗い廊下から午後の太陽光は非常に眩しく見え思わず一度彼女は目を伏せた。日傘を差していても、頭上の太陽から、足元のアスファルトからじりじりと彼のことを焦がし水分を奪っていったに違いない。
「ただいま。我が家は涼しいなぁ」
 革靴を脱ぎながらシャツのボタンを緩める。30後半になる彼の肌はふたりが出会った頃に比べ、徐々に張りが失われていっていた。そのうえ、しっかり汗をかいて帰ってきたのに彼の笑顔に癒されるものだから、彼女は未だに彼のことをかなりやわらかな気持ちで見ているのである。
 洗面台に行った彼を見送ると、冷蔵庫から三ツ矢サイダーを出した。夏は炭酸水が無いと耐えられないのが彼女である。よく冷えたそれを、ピカルディのグラスに注いだ。きらきらと光を反射するそれはふたり揃ってのお気に入りだった。しゅわしゅわと夏らしい音がする。すぐ飲むだろうとテーブルに置いた。
 スラックスをかけてリビングに入ってきた彼は、まぁ、正直間抜けな格好である。だらりとシャツの前ボタンを3つ目まで開け、汗を吸ったインナーが見えている。スラックスと靴下を脱いで素足にパンツだけの姿は大変だらしがない。流石にここまで草臥れた彼を見るのは彼女だけだろう。
 彼はグラスを手に取ると、それを呷った。ごくり、ごくりと動く喉仏にピントが合う。顔も洗って、タオルで拭ってきたのであろう。いつも外ではきっちりとしている黒つるばみの髪も前髪乱れて髪全体の前方は湿っていた。ぺたりとしたそれになんだか触れたくなる。
 ゆっくりと透明の液体で喉を潤した彼はブラウンのソファに息を吐きながら座り込む。彼女もその動作はおじさんくさいなと思っている。机上にあったリモコンをいじってザッピングする。めぼしい見つからずそのまま番組表を表示した。
 片肘をついて画面を見る彼の横にぴとりと座った。
 暑いって嫌がられるかしら?
 そう思いながらも、珍しく甘えたい気分になってしまったのだ。以前視線をくれない彼をそのままに、耳の周りの髪に触れる。肌に張り付くくらいの水分を纏っているのだ。触り心地が良いものでもないが、なんとなく振れたくて仕方がなかったのだ。そのまま、形の良い耳に人差し指指を走らせる。耳の輪郭をなぞるように、振れた時だ。

「こぉら」

 彼女の悪戯な手に、一回りも大きな彼の手が重ねられる。きれいに整えられたまあるい爪と、年相応に皮膚の薄く青い血管が浮き出た手が彼女は彼らしくてすきだった。
「この暑さだ。汗くさいだろう?シャワーくらい浴びさせてくれよ」
 そう言って立ち上がろうとする彼。彼女はその手を離さない。彼女が小さくふるふると首を振れば、男は小さくため息をついた。薄い唇をやさしく釣り上げる。
「なんだ、一緒がご希望か?」
 まだアスファルトを太陽光が焦がす、15時過ぎの出来事である。




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