煮詰め飼う(ウツシ)

生理や女性の不調に関係する描写があります。モンスターの生態についての捏造を含みます。なんでも大丈夫な方のみお読みください。


 集会所に戻れば、いつもわたしの耳に馴染む声がする。もう十数年、師としてわたしの前にいる彼の声である。特に、わたしがひとりで狩りに行くようになった最近は、任務が無かったり、日があるうちは必ず出迎えてくれるのだ。ディアブロスを狩り、砂だらけで帰還したわたしは、今日も「お疲れ様!愛弟子!」なんて声が聞こえるものだと思っていた。
「おかえりなさい。お疲れ様でした」
 涼やかなミノトさんの声。夕暮れの集会所には、オテマエさんがいて、ゴコク殿がいて……。太鼓の音や二階から少し漏れる作業音、やっぱり足りずに首を傾げた。
 教官は今日任務ありましたっけ?なんてミノトさんに問えば「彼も良い歳ですから」と返ってきた。なんでも、隣の村のお嬢さんとお見合いだそうだ。
 聞いてない。と漏らせば、みんな知っていると言う。わたしだけ知らなかったのかと、色んな意味で肩を落としながら帰宅した。
 教官が帰ってきたのは次の日のことだった。わたしより幾つか年上であろう女性と里の門を潜った。どうやら里を紹介するらしい。白い衣類を纏った、髪の綺麗な女性だった。
 自覚はあった。ウツシ教官のことを、師に向ける感情以外で見ていると。友愛や家族愛なんてものでもない。もっと、粘度の高い感情がわたしの腑には隠されている。
 見合い相手の女性は品良く笑う。それを見ていられなくて自宅に引き返した。



 ウツシ教官に連れられて大社跡の探索をしていた時のことを思い出した。もう随分と昔のような気がする。練習用の太刀を携えて、今よりおぼつかない手つきで翔蟲を放っていた。空は曇っていて、今にも降り出しそうな重みを帯びていた。翔蟲を使って奥地へ赴いたとき、教官がそっとわたしを引き留めた。
 空を回遊するリオレウスを指さす。
「気をつけて、きっと近くに番のリオレイアがいる」
 見つかるのは避けたいと教官は小さな声で言った。
 リオレウスは元々火山に住むモンスターである。それが番を探しにリオレイアの生息地に来ているのだ。番って、子育てをする間は2匹は協力して狩りを行うという。
「そろそろ産卵期だからね。おそらく気が立っているよ」
「さんらんき……」
「そう。番って、卵を産んで、幼体が生まれる。それを2匹が育むんだ」
 モンスターにも親がいるし、最初から大きいわけではないと教官は言った。
 ぐるりぐるりと旋回する。大きな翼が地上に黒い影を落とす。意味もなく炎を吐きはしないが、喉が鳴っているのかぴりぴりとした雰囲気がここまで伝わってきた。
「己の片割れを守りたいなんていうのは、どの生物も一緒なんだろうね」
 上を見上げながら、そう呟くウツシ教官の横顔を覚えている。
 当時のわたしはよくわかっていなかった。リオレウスといえば、天空の王者なんて呼ばれることがあると本に書いてあった。彼の竜が何を恐れるのか、なんてぼんやりと思っていたのだ。
 彼の竜は同族をも警戒していたのだろう。己の番を他の雄に奪われないように、周囲に目を光らせていたのだ。



 数日後。集会所に行けば、教官が闘技場受付にいた。周りにあの白い影もなく、ひっそりと胸を撫で下ろす。わたしに気づいた彼は大きく手を振った。
「おはようございます」
「おはよう、愛弟子」
 今日は溶岩洞まで足を伸ばして、火竜の狩猟だ。
 他愛のない話をした。天気が崩れそうだとか、携帯食料を忘れないように、なんてことを言われる。素直に頷きながら、頭の中にはあのひとがこびりついている。
 聞くべきか。聞かざるべきか。里のみんなが知っている彼のお見合いの話をわたしだけスルーするのもなんだかおかしな感じだ。もしかしたら、聞いてしまえばすっきりするかもしれない。そんな風に思ったのだ。
「そういえばお見合いなさったんですよね。どうなんですか?」
 きっとわたしは、なんでもないよ、なんて笑って欲しかったのだろう。
「どうかな。でも、君には関係ないだろう」
 教官は何か続けようとしたけれど、わたしの思考は頭を強打したかのようにぐわんとねじ曲がる。関係ない、という音はなんとも残酷だった。
「それも、そうですよね。クエストがあるので失礼します」
 関係ないから、きっとお見合いのことも教えてくれなかった。師弟であると同時に、どこか、家族のように思われているのではないかなんて思っていたが、勘違いだったようだ。幼い頃から見てきた背中は師でしかなく、他人なのだ。
 勝手に聞いて、勝手に勘違いしていて、動揺する。自分の身勝手さに憂鬱さが増した気がした。

 それからというもの、ふとした時に思考に引っかかる、ウツシ教官と件の女性の姿に苛立った。それを薙ぎ払うようにクエストに挑んだ。働くことは良いことだ。みんなの役に立つ。命の駆け引きに集中できる。お金も貯まる。
 自ら会いに行かないだけで、ウツシ教官とは、顔は合わせるが以前よりうんと頻度が落ちた。

「最近はどうニャ?」
 わたしは相変わらず狩りに精を出していた。普段使わない武器を手に取ってみると、それは新しい可能性に気づかせてくれる。最近は操虫棍に夢中である。
 もうすぐあの日から三月になるだろうか。雨季が近いため体に湿気がまとわりつくようになった頃のことだ。ゼンチ先生がわたしの家を訪ねてきた。今までもこうして、わたしの体調や心を気遣ってくれた。やさしい方なのである。
 最近の仕事量の話。ちょっと、いやだいぶ働き過ぎだと叱られた。叱ってくれるひとがいるのは、しあわせなことである。
「ハンターさん、もう3ヶ月近く薬をもらいに来てないけど大丈夫かニャ?」
「薬?」
「月経の痛み止めのことニャ」
 どこかで、そういえばこないなと思っていた。
 ゼンチ先生は小さな肉球をわたしの背中に当てて摩る。顔が真っ青だと言った。心当たりを聞かれるも頭を振ることしかできない。
「ないよ。わたし、まだした事もない……」
 最後に来たのはいつだったか。任務中に来て、痛みがあれば支障を来たすし、毎月ゼンチ先生に薬を出してもらっていたのだ。先生はわたしの指をその小さな手で包みながらゆっくりと話を聞いてくれた。
「とりあえず、しばらくハンターは休業ニャ」
 幸いにも、百竜夜行の兆候も無いのだ。先生はみんなわたしの強さに甘えていると言った。そんなことないのに。

 どうしてこうなった。
 テイクアウトをしたうさ団子と林檎飴を持って、受付嬢ふたりに囲まれている。
「わたしたちにも言えないことですか?」
「貴方が強いのは重々知っていますが、まだ若い人間なんですから」
 甘いにおいが部屋を包んでいる。
 その朝、集会所に何も言わずに休むことはできないだろうと暗い気持ちのまま起き上がり、ゴコク殿や里長に話に向かう。
「あら、ハンターさん」
 家を出たところで双子の姉と出会った。今日も朗らかな日差しのような笑顔を浮かべている。
「しばらく休暇と聞いていますが……。そうだ、今日はわたしもミノトも時間があるの。女子会をしましょう!わたし、やってみたかったんです。これからうさ団子でも食べましょう」
 そう言う彼女に捕まり、甘味を買えばすぐに自宅に戻ってきたのだ。
「ゼンチ先生がおふたりに?」
「そうです。所謂ドクターストップですね。でも、詳細というか、そういうことはわたし達だけにお話しされていて」
「ごめんなさいね。同性でも勝手に話されるのは嫌ですよね」
 俯いて首を振ることしかできない。正直、ふたりの優しさが嬉しかった。
「お金を稼ごうと思って」
 わたしがぽつりと溢した言葉にふたりは瞬きを返した。
「今のお給金じゃ足りませんか?」
「そうではなくって」
 忙しくしていた理由をふたりは聞きたいのだ。この砂糖が焦げたような、苦くて粘度のある感情の一端を見せるのは恐ろしい。食べ終わって弄んでいた、串の先ばかり見てしまう。そのわたしの指先を、きゅとうつくしい指が掴んだ。
「大丈夫です。伊達に長生きしてませんよ。聞かせてくださいな」
 血の通った、あたたかな指先が心地よかった。わたしはゆっくりと口を開く。ウツシ教官に対する感情。あのひとが誰かとふたりでいるのが辛いこと。それならいっそ、里から離れてしまえば良いと考えていたこと。だからお金が欲しいということ。辿々しい言葉をふたりは受け止めてくれた。
 初めて自分の感情を言語化した。なんとなく、散らかったものが片付いたような気がした。ふたりは辛かったですね、なんて言って抱きしめてくれた。ぬくもりと清潔なにおいがした。
「無理はなさらないでくださいね」
「お話ならいくらでも聞きますから」
 そう言って女子会はお開きとなった。

 休暇をもらったとはいえ、流石に体が鈍ってしまう。あの日から既に1週間が経とうとしていた。ゼンチ先生は休暇の期間をいつまで、なんて事は言ってくれなかったが、今日中に帰ることを約束で大社跡に来ていた。探索クエストに出たのである。遠くでガーグァの鳴き声がする。足元をエンエンクが走り抜けていった。
 さて、わたしは気づいている。伊達に物心がついた頃から弟子をやっていないのだ。そもそも、任務で諜報に出る彼がわたしに気づかれるなんて、気づいてほしいのだろうな。と思ってしまう。
「何か、御用でしょうか」
 虚空に向かって問えば、溌剌とした声が返ってきた。廃屋の群れを過ぎた先で足を止めた。
「働きすぎだと聞いたよ」
 あっさりと姿を見せた教官は、隠れていたことに特に悪びれもせず口を開いた。
「すみません。わたしはまだやれる気でいたんですが」
「君はさ、俺の大事な愛弟子なんだ。心配くらいするよ」
 ウツシ教官は少し寂しそうな笑顔を見せた。
「ぜんぜん顔も見なかったけど、どうしたんだい。クエストには出てたみたいだけど、先で何かあった」
「なんでもないです」
「でも、体調を崩すくらい悩んでいたんだろう?」
「それは、わたしの力量不足だっただけです。そのうち復帰しますし」
 少し、しつこい。面倒くさい。苛立ちを落ち着けて話すのに慣れず、小さく深呼吸をした。
「俺には話せないことなのかい?」
 貴方が、それを言うのか。
「教官のこと考えてたら生理が来なくなったんですよ。馬鹿」
 突然の発言にウツシ教官は目を白黒させている。馬鹿なんて暴言、彼相手に初めて吐いた。
「狩猟しか知らないんですよ。わたし。こんな感情、どうすれば良いかも知らないんだ……。こんなにどうしようもない欲、貴方相手に知りたくなかった」
 みっともないから泣きたくない。嫌だ。目が熱い。鼻の奥が痛い。呼吸が乱れる。俯くことしかできないわたし。沈黙が流れる。ああ、やってしまった。口から出た言葉はもう戻らない。
「その、悪かったね」
 その謝罪は何に対してなのか。
「あのひととは、どうなったんですか。わたしには関係ないことですけど」
 お見合いをしていたひとです。あれから何度か里で見かけたし、教官があちらに出向いていたのも知っている。
 ウツシ教官は小さく息を吐いた。こんなみっともない感情を知って、呆れてしまったのだろうか。
「ねぇ、愛弟子。君はどうしたい。どうなりたい。その感情について、君は結局どう思ってるんだい」
「そんなの……ウツシ教官には関係ないことですよ」
 かわいくない、臆病なわたし。俯いたまま頭を振る。
「なるほど、これは効くね」
 その声に顔を上げれば、教官は軽い笑みを漏らした。知らないひとみたい。わたしには向けない、表情は決して素敵なものではなかった。笑っているのに、眉は八の字に下がっていて、妙な力が入っている。
「ねぇ、愛弟子。関係ない、なんて言葉は良くなかったね」
 やさしい調子でわたしに言う。それはわたしに対してか、それとも自身に対してかはわからない。
「そうだな。あのひととどうなったかなんだけど」
 嫌だ。やっぱり聞きたくない。耳を塞いでしまいたい。それを察したのか、教官はわたしの両手を掴んだ。あろうことか、指のひとつひとつを絡ませて、お互いの手のひらがきれいに密着している。教官の手のひらはすこしひんやりとしていた。
「どうにもならないよ」
 ゆっくりと頭を擡げるとその表情に嘘はなかった。
「そうだなぁ。愛弟子。俺はね」
 ウツシ教官は目元をゆるめた。やわらかな弧は四月の日差しを連想させる。一等甘い音でわたしの名前を呼んだ。
「どうにかなるなら君が良いんだ。だからさ、君が俺から離れようなんて許せない。君に関係ないなんて言ったのは悪かったけど、彼女とどうにかなるつもりもなかったからそう言っただけだったんだ。傷つけてしまって悪かったね。
 お見合いもね、上が勝手に組んだだけだったしね。無碍にできない相手だったんだよ」
 彼の冷たい手のひらに、徐々にわたしの体温が移っていく。わたしは、耳を疑った。
「教官は、ウツシ教官はわたしが良いですか?」
「そうだよ」
「あのひとみたいに品良く笑えないですし」
「愛弟子の笑顔が一等にすきだよ」
「全身傷だらけだし」
「ハンター業を頑張ってるからね。俺の教えたことが君の生きていく上で活かされるのは光栄だ」
「どうにかなるって、どういうことですか」
「そうだなぁ。どういうことだろうね」
 ウツシ教官はそろりとわたしの下腹部のあたりを撫でた。硬い装備の上から触れられただけなのに肌が粟立つ。
「女性の身体は不思議だね。俺に悩んで、いっぱいいっぱいになって、そしたらこうなってしまったなんて」
「教官……?」
「もう、心配することはないよね?だって俺も君を我慢しないし、君は俺を我慢すべきじゃないし」
「我慢って」
「そうだろう?俺が誰かに取られるなんて思ったんだろう。じゃあ俺で君を満たしてしまえばその悩みも解決する。君が俺を欲しているなら、俺も欲しても良いだろう」
 背中に少し冷たいものが流れたような錯覚を得た。
 教官は両手でわたしの頬を包んだ。幼な子にするように頬の肉をうりうりと弄ぶ。嬉しくてたまらない、なんて表情をしている。自由になった自身の手で止めるように訴えれば、存外すぐに手を止めてくれた。
 そのまま、顔を近づけて触れるだけの口付けを落とされる。しっとりとした感触がして、熱が離れていく。ずっと一緒にいるけれど、初めて触れた。
「どうしてって顔してるね」
「……そんな雰囲気でもないですよね」
「嫌だった?」
 首を振れば、知ってた。と返される。
「俺はさ、君がかわいくて仕方ないんだよ。撫で回したり、可愛がったりしたいって感情も、君の唇に噛み付いてどうにかしてしまいたいって感情も飼っている」
 今度はやさしく髪に触れた。そのままゆっくりと撫でる。
「知らなかった」
 やさしい弧を描く瞳の奥には、たしかに獰猛なものが見えるようだった。
「だって俺は君の教育者だからね。飼い殺す予定だったのに……。でも君が欲しがってるなら話は別だよ」
 触れてしまったから、もう離す気はないよ。なんてこの雷狼竜は言ってのける。
「いいかい?俺は君だと言葉で示した。もちろんこの先、行動でも示すけど」
 わたしの髪を手櫛ですきながら彼は言う。
「もう君は俺から逃げられないということだからね。君が火をつけたんだから、それが君の責任だよ」
 重たい言葉とは裏腹に、ウツシ教官は爽やかな笑顔を浮かべる。
 胸の奥がふつふつと熱い。その熱は今更顔まで登ってきたようだ。まだ日が高く、夕日のせいにもできない。わたしのそんな顔を愛しいものを見るように彼は眺めている。それはいつもと同じようで、ぜんぜん違う熱を孕んでいた。




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