インスタント・メシア(雲水)

夢小説企画、題名様に提出したものです。


「一口どうぞ」
「俺にか?」
「他にいないでしょ。美味しいからさ」
 始業ギリギリに入室し、俺の隣に腰を下ろした人間が小袋を笑顔で差し出した。教授の遅刻の連絡が入り、各々が好きにやっている教室でこの時、俺は初めて彼女と会話をした。
「金剛くんでしょ。初めまして」
「ああ。よろしく」
 ぺりぺりと口を切ったばかりの袋を彼女が俺の掌の上で軽く振った。まぁるい小さなチョコレートが転がり出る。パッケージにナッツのイラストが入っていて、容易に味の想像がついた。そのままの味が口内に広がる。礼を言えば笑みを零した。同じ学科とはいえ、2年になって初めて話したわけだが彼女は気さくでそのまま会話が続いた。お互いの部活やサークルのこと。この授業の教授はレポートが多すぎること。学食の日替わりメニューが火曜日はハズレだったこと。どうでも良い話が続き思いの外楽しく感じていたら、連絡先を交換することになった。
 また隣の席に座ったり、昼食を共にしたり、一緒に課題を進めたり、友人としての距離を徐々に詰めていく日々を過ごした。
 しばらくして、彼女が俺のことを雲水くんと呼び始める。自らの名前の響きに、妙なくすぐったさと嬉しさを覚えたのは後にも先にもこの時だけだった。
 彼女は甘いものが好きで、いつも何かしらを鞄に備えていた。あの時のナッツのチョコレートだったり、クッキーだったり、合成着色料のきついグミだったり。これは美味しいから、と声をかけて最初の1つを俺の掌に転がした。俺が気に入った素振りを見せれば、笑いながら最後のひとつも食べてと微笑んだ。
「好きなら自分で食べないのか?」
「迷惑だった?」
「そんなことはない」
「ならこれからも貰ってくれると嬉しいな。美味しいものは人にも食べて欲しいタイプなのよ、わたし」
 そういうものなのだろうか。そのうち、これは多分雲水くん気にいるよ。なんて言いながらいつものように手を差し出すのだ。好きであげているなんて言うから、なら良いかと大人しく貰っていると、餌付けのようだと言われることがあった。彼女はなんの気無しに、貴方も食べる?とチョコレートを差し出した。そういう人間なのだ。

 図書館の棚の間は薄暗くひんやりとしている。課題に使う図書を探して、高い森の中をさまよっていれば見知った小さな頭を見つけた。
「課題か?」
 彼女は大げさに肩を跳ねさせる。俺を認識すると胸を撫で下ろし、小さく息をついた。俺から見て窓側に立つ彼女を、午後の光が縁取る。普段より幾分か線が細い印象を得た。図書館の細かな埃すら彼女を演出するための光のようだった。
「雲水くんも」
「ああ」
 手に持った教材を見せる。すると、教授の名前を確認された。
「わたしも去年、その授業を取ってたんだ。今くらいの時期の内容ならこっちの本もおすすめだよ」
 本棚の下の方から分厚い図書を取り出した。彼女から受け取ると、俺自身の手の上では思っていたより小さく見えた。彼女が引っ張り出した際は大きく分厚いものに見えたのに、こんなものか。
 そのまま二人、窓側の作業スペースに並んでそれぞれの課題に向き合った。
 光の色が赤味を帯び始めた頃、閉館のアナウンスが響く。そろそろ出ようか、と言う彼女の顔を見れば、いつもよりなんだか疲れたような顔をしていた。書架の間でははっきりと見えなかった表情が西日に照らされて目の前に現れていた。大きな瞳の下には、少し青黒いクマが浮き出ている。彼女の白いブラウスはあたたかな光を反射しているが、どこか物悲しく見えた。
「わたし、この本を借りてきちゃうけど、雲水くんはどうする?」
「ああ、俺も」
 慌てて広げていた一式を片付ける。
「どうしたんだ」「何かあったのか」「寝れなかったのか」「話なら聞くぞ」なんてワードが喉の奥につっかえて消えていった。距離感というものはいつも難しい。一言、軽く声をかければ良いだけだろうに、俺が踏み込んでも良いことか。悩みがあったとして応えられるか。なんて妙に臆病になり足踏みをしてしまった。これがチームメイト達なら、真摯に相槌を打ったり、元気付けたりする姿が想像できる。

「疲れてそうだが、何かあったか?」
 助走にもならない足踏みをやめて、やっと声をかけたのは図書館を出た頃だった。軽く声をかける気だったが思いの外浮遊感のない色を孕んでしまった。
 キャンパス地のトートバッグを肩にかけ直しながら彼女はこちらを見る。耳にパールのイヤリングが光った。今度は逆光ではなく、暖色がしっかりと彼女の表情を俺に届けていた。
「そんなことないよ。ちょっと課題が多かったから、夜更かししちゃった。それで疲れちゃったのかも」
 なんでもないような事を言ってのける。えへへなんて軽くわらうが声に覇気はない。眉を下げる迷子のような顔は、なんでもないというには説得力に欠けた。なんでもない、なんて返された俺はちょうど良い言葉を見つけ出せなかった。軽く笑んでみせて、無理はするなよ。と言うのが精々だ。普段使わない言葉なんてものは、すぐに出てこないのだ。彼女はわらって、雲水くんは優しいね。と言った。

「雲水くん」 
 彼女が俺を呼ぶ声はこの数ヶ月で随分と馴染んだような気がする。そうやって笑いかけるのも、最初と最後の優しさをくれるのも、勘違いしてしまいそうになる。そうであれば良いと思ってしまう。

 1年生の頃、彼女を挟んで座っていた男女が、今は後ろの方にふたりで座っている。彼女が間にいる時よりも、ずっと親密そうだ。鈍いと言われる俺でもわかるのだ。そういうことだろう。
 優しすぎるんだ。
 図書館での疲れた顔は、きっと彼らの話でも聞いていたのだろう。いつも、俺より前方に座っていたから知っている。彼女の視線がちらり、ちらりとあの男のことを見ていたことを。男子校じゃ見られなかったわかりやすい仕草が視界に引っかかっていたのだ。
 
「あげる」
「いいのか」
「他にいないでしょ。はい」
 隣に座った彼女は最後の一つを俺に押し付けた。
 やっぱり優しすぎるんだ。甘ったるい、いつかと同じチョコレートが口内に広がる。
 あの時より前から、視界で色づいていた彼女に対する感情を自覚してしまった。なんせ彼女は、優しすぎるのだ。いくらだってやりようはある。
 彼女が悩んだ深夜まで、一緒に居られればと思ってしまう。短針が天辺を通り越して、それからもずっとあの声で名前を呼んで欲しいと思ってしまう。
 友達の距離感に甘んじる気なんて無いのだ。恋愛、なんてものは、まだよく分からないままだが少しは欲を出したってバチは当たらないだろう。ひっそりと傷心している彼女に距離を詰めて、俺にだけやわらかな日陰を見せてくれればなんて都合の良いことを願ってしまった。




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