一条と幾年と(ウツシ)

 夜のクエストが終わり、空を見上げた時のことだ。きらりと一条の星が流れた。ごうごうと炎を吐き、毒を撒く竜と命のやり取りをした後のことだった。先ほどまでの激しさは鳴りを潜め、大社跡は静寂が支配していた。どこか遠くで虫や獣の声がする。人々の営みの気配は古く遠く、そんな空間で、空に星が流れた。
 闇夜を切り光る姿に、あのひとを重ねてしまった。うつくしい斬撃の軌道を、あたたかな声を、身軽な姿を、どうしてもわたしの手に捕まってくれない彼のことを思い出した。
 剥ぎ取りが終わり、必要な素材を収納していく。この命はこの地に還る。顔に浴びた竜の血を、手の甲で少し乱暴に拭った。星なんて眺めてしまったから、無性に彼に会いたり苛立ったのだ。なんて、寂しい夜だろうか。

「お疲れ様です」
「お疲れ様。愛弟子。今日も大活躍だったようだね」
「ありがとうございます」
 集会所に戻れば、夜も更けているのにウツシ教官と里長がなにやら話し込んでいた。血濡れのわたしに教官は柔らかな布を近づけた。お湯に通したようで温かく心地よい。手の甲で拭った頬を、彼の手で素の肌の色に戻していく。派手に汚したね、と小さく笑われてしまった。優しさが嬉しい反面、弟子でしかないのだと突きつけられてしまう。そんな優しい雰囲気の中、話は始まった。
「君の個人的な話で申し訳ないんだけど、確認しておかなきゃなんだ」
「なんですか?改まって」
「そのね、今後の里の守りにも関わるからなんだけど」
 珍しく歯切れの悪い教官を不審に思いながらも言葉を待つ。
「君は外で祝言を挙げたりするのかな。あちらの村の方に嫁いだりとか」
「は?」
 今後の防衛を考える上で、継続的な戦力として数えられるか、の確認らしい。幼い頃からわたしの面倒を見てくれた彼からそのようなことを聞かれるのは、擽ったくもあり、どうしてそんなことを聞くのだ、という煮えきらなさもあった。
「しばらく前に彼とはお別れしました。わたしには、恋愛というものは向いていないようなので今後は狩猟に集中します」
「そうかい」
「なので、この里を出る予定などはないですよ。大事に育てていただいた恩を今後もしっかりと返していきます」
 疲れていたこともあって、少しつんと返してしまっただろうか。心の中で小さくため息をついた。ああ、教官だって変な顔をしている。わたしより忙しい彼に気を遣わせるなんて、嫌な女だ。眉を寄せた教官と先ほどから黙っている里長に挨拶をして、集会所を後にした。
 本当に、もう少しどうにかならなかったものか。かわいくない自分に嫌気がさす。

 数ヶ月前のことだ。ひとりの男性と出会った。弓を使う、遠距離の彼と近接武器のわたしでは狩りでの相性が良く気づけば一緒にパーティを組むことが増えていった。外の村の彼は色々なことを教えてくれた。彼もまた、カムラの里の話を興味深そうに聞いていた。体を回転させて金属の背でハンターを巻き込む竜のこと、砂地を泳ぐ大きな口の魚のこと、どれもわたしには興味深いものだった。
 ふたりで駆けるクエストが両手の指を超える前くらいだろうか。彼から、交際を申し込まれた。わたしは初めてのことで驚いてしまったし、それでも新鮮さをくれる彼ならと頷いたのだった。共にクエストに行ったり、お茶をして過ごしたりと時間が過ぎていった。彼が、そろそろ良いか、と尋ねた。知識としては持っていた。性行為をしたいという話だった。
 初めて彼と体を重ねた時のことだ。どうにも集中できない。痛みには強いが、彼に触れられていることが妙に不快だった。行為が終わり、同じ布団に入ったが、わたしは一睡もできなかった。
 繋がる、とはどういったことだろう。そう悶々とベッドの中で考えているときに、あのわたしの背中を推してくれる声を思い出した。
 次の日、眠れなかったわたしに彼は痛みがあったからだろうと心配をしてくれた。ただ、なぜか、わたしは彼に好意を抱いているかもしれない、なんて感情は徐々に冷えていった。
 ひと月もしないうちに、わたしは彼から離れることにした。
 わたしが里外の特定の人物とパーティーを組み続けることも珍しいこともあり、教官達はきっと把握していたのだ。
 度々災禍に見舞われる、この小さな里を守るためには、わたしの先の話は大切らしい。
 最近気づいたことだが、わたしは、おそらく、ウツシ教官に恋慕を抱いている。いつからか、なんてものはわからない。彼の隣が欲しくてどろりとした感情すら持ってしまった自覚をした。ただ、親を亡くしたわたしに生きる術を、役割を与えてくれた彼からこれ以上時間を奪いたくないと思ってしまう。いや、これが言い訳だという自覚はある。怖いのだ。たったひとつの大切な感情を、初めて気づいた心を、もし拒否されてしまったらなんて思うと、感情から目を背けたくなる。

「たまには俺とクエストに出ないか?」
 今日もうつくしく桜が咲き誇る。里には人々の営みがあり、笑い声が聞こえ、刃物を研ぐ音や団子を突く音、繋がりと役割を全うする気配に満ちていた。
 珍しい誘いだった。集会所にクエストを受注しに行こうとしたところ、呼び止められた。彼と共に狩猟をするなんて、いつぶりだろうか。彼がわたしのことを弟子としか思っていないとしても、わたしはそばにいたいのだ。了承すれば、本当に嬉しそうに笑んでくれた。

 ふたり、夜の大社跡に来ていた。メインのモンスターはつつが無く討伐できた。ただ、終わったと気を抜いた時に足を滑らせて藪に突っ込んでしまった。頬に小さな痛みが走った。負わなくていい怪我を負った。それは普段通りの自分でないと、改めて自覚するには十分だった。
「少し話そうか」
 教官は少し寂しく笑う。そんな顔をさせたいわけではないのだ。
 サブキャンプに戻り剥ぎ取った素材をアイテムボックスに仕舞う。ふたり、岩の上に並んで座った。夜の静けさも星の瞬きも、昨日とそう変わらないはずなのに妙な緊張感がわたしたちを支配している。昨夜会いたかったひとが、隣に腰を下ろしている。こぶし3つぶんほどの、すぐそばにいるのに、会いたくて寂しさを覚えたというのに、胃の中がもやもやとするようだ。今日の自分が駄目すぎて、ウツシ教官の顔を見るのに時間がいった。ゆっくりと視線を上げれば、彼はわたしをじっと見ていて、思わず思い切り視線を逸らしてしまう。パチパチという焚き火の音が耳につく。
「俺は、嫌われてしまったかな?」
「それは絶対ないです!」
 寂しそうな声に反射的に答えた。ひとりでぐるぐると考えて、悩んで、結局この体たらくである。恥ずかしい。
「じゃあどうして、俺の手を離れようとするんだ」
 ごくりと、唾を飲み込んだ。ああ、貴方がそれを聞くのか。
 小さく口を開いた。
「すきなんです」
「え」
「すきなんですよ。わたし、ウツシ教官のことが。求め合えたらなんて思ってしまう。貴方との師弟以外の繋がりを欲しています」
 ああ、言ってしまった。口から出た言葉はもう戻らない。彼の反応が何よりも恐ろしい。彼を傷つけてしまうくらいなら、と口にしたが早くも少し後悔をしている。
「ウツシ教官がわたしを弟子としか見ていないことだってわかっています。ただ、この感情は、好意は自分じゃコントロール出来ない……」
 ふと、熱が近づいた。
「愛弟子、顔を上げて」
 こんな時に、やさしい声を出さないでほしい。いつもと違う柔らかな声色に切なくなる。わたしは返事もできずに、頭を振ることしかできなかった。
「じゃあそのままで良い。よく聞いて」
 教官はわたしの髪をゆっくりと撫でた。肩が跳ねそうだったが、やめて欲しくなくて我慢した。最後に彼がこうしてくれたのはいつだったか。わたしがまだ、彼への感情を自覚する前のことだ。
「俺はさ、君の教官で、そして兄のようなものだ。だけどね、恋人の枠まで俺で埋めてしまって良いのかい?」
 その言葉にわたしは簡単に顔を上げてしまった。甘い色の瞳と視線がかち合う。
「君はさ、俺しか知らないわけではないから、それでも俺が良いって言うんだろう」
「……そうです。わたしはウツシ教官が良いんです」
 口付けも、それ以上も他人に許してしまったこの身である。それでも貴方に受け入れてほしいと思ってしまう。
 視界が陰ったと同時に、あたたかなものが唇に触れた。触れるだけだが、どこか確かめるような口付けだった。
「君がその気ならね、俺に断る気なんてないんだよ」
 ウツシ教官は目元にやわらかな弧を浮かべる。
「教官は、ウツシ教官はわたしで良いんですか?」
「こんなにかわいい君を貰えるなら、他には何もいらないかな。俺だって君が良いんだよ」
 彼は少し照れたように頬をかいた。そんな言葉、貴方から初めて言われた。わたしは顔が熱くなる。きっと耳の端まで熟れきっているだろう。夜で良かった。
「君が欲しがってくれなかったら、きっと、ずっと、兄のままだったよ」
 だからね、ありがとう。と教官は続けた。気づけば彼の胸の中にいた。ぎゅうぎゅうと抱きしめられる。冷たい鎧と温かな皮膚。金属の部分はすぐに体温が伝わって温かくなる。わたしを抱きしめてウツシ教官は黙り込んだ。わたしは少し時間をかけて彼の背に腕を回す。少し、彼のからだが揺れた。ウツシ教官はため息をついた。
「格好悪いけどね、俺だって君の処女は欲しかった。誰にもやりたくなかったよ」
 その言葉にわたしは顔を上げた。わたしだって初めてはウツシ教官が良かった。なんて、今さら遅い。
 ウツシ教官はわたしの頬を撫でる。今日の真新しい傷を指先でなぞった。そして、わたしにもう一度口付けを落とす。
「俺たちがこんなに臆病だなんて、きっと誰も想像しないだろうね」
 なんせわたしは現役、里一番のハンターで、彼はそれを育て上げた教官である。わたしは彼の胸の中、呼吸だけでわらった。
 わたし達の上を星が流れていった。そのことにも気づかずに、あたたかな彼の体温に触れる。わたしとずっと共にいてくれた、うつくしいひとのにおいがする。




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