last year's little romance(武蔵)

2021.2.14.たが夢で無配ネットプリントだったものです。印刷してくださった方、ありがとうございました!


 金曜日の夜。彼女と待ち合わせた。十二月ほどではないが、街には浮かれた販促品が並び、ハートや甘いにおいが店先を彩っている。
 最寄り駅前に立っている彼女の傍には仕事用のラクダ色のハンドバッグが見られた。やわらかそうな髪を何度か自身の手で弄んで、スマートフォンの液晶を眺めたりしている。ライトブルーのコートは品を良く彼女を温めていた。
 俺が近づいていることに彼女が気づいた。目が合うと、手を振って笑顔を見せてくる。嬉しそうな反応をされると、表情が緩むものだ。
「お疲れ様」
「お疲れ様、待たせたか」
「五分前くらいに着いたばかりよ」
 彼女はこっち、と目的地に向かって歩き出した。楽しいリズムでも刻むように、彼女は足を動かす。それを少し後ろからついて行く。振り向いて、五月のような声で名前を呼ばれる。
 スーパーに寄って二人並んで食材を選ぶ。トマトやキノコ類、牡蠣なんかをほいほいと籠に入れていく。二人で食材を買うのはこれが初めてだった。
「今日はトマト鍋で明日の朝はリゾットにするけど、食べれる?」
「美味そうだな。作れるのか?」
「鍋に突っ込むだけだから、流石に大丈夫よ」
 彼女自身は料理が苦手だと言っていた。カートを押しながら、レジに並ぶ。二人で金額を割って(これはお互いに気を使ってしまうから、と交際を始める時に決めたルールである)白いレジ袋に食材を詰めていく。そこそこの重みになったそれを俺が持ち、歩いた。
 彼女の部屋はスーパーからほど近い。アパートの二階で、窓際の日当たりの良さを気に入っていると言っていた。
「厳くん、お風呂入る?」
「いや、手伝う」
 そう言ってキッチンに二人並んだ。一人暮らし用の部屋で、俺と彼女がそこに並ぶのはなかなか狭かったが、腕をぶつけては彼女はくすくすと笑うのでそれで良かった。魚介や野菜の下処理をして、鍋に並べていく。トマトジュースやコンソメを入れて煮込んでいく。もうしばらく火にかけたら完成だ。
 部屋の隅に置いたナイロンの鞄から下着を出して、脱衣所に置いた。洗面台にはすっかり我が物顔で歯ブラシが鎮座している。いつもより大きめの鞄に入れてきたものについて考えると、柄にもなくそわそわとしてしまった。喜んでくれるだろうか。
 二人で作った鍋は魚介の味が良く出ていて美味かった。これは明日の朝も楽しみだ。
 彼女は温かい飲み物を用意してくれた。俺はその間に、鞄からそれを取り出した。
「厳くん、はい。バレンタイン」
「ありがとう」
 小ぶりな箱を手渡された。リボンを解くと、トリュフがいくつか並んでいる。やわらかい笑顔を見せる彼女は満足気だ。
「俺からもあるんだ」
 彼女の前に、同じように小箱を出せば驚いたように口を開けた。
「厳くんが、用意したの?」
「ああ」
「自分で、買いに行ったの?」
「ああ」
 二、三瞬きをする。
「うれしい。ありがとう」
 顔を綻ばせる様を見て、用意して良かったと安心した。
 バレンタインの催事売り場にガタイの良い俺は大層異質だった。いくらか低い高さに頭のある女性たちの中、一人うろうろと彷徨う様はかなり滑稽だっただろう。現に彼女も自分で買いに行ったのかと突っ込んだ。あの悪魔のような男に知られれば、腹が捩れるほど笑うのだろう。どれを選んで良いのかもわからず、とりあえず勧められるままに試食をしたり、人が多いメーカーは近づけば既に売り切れが目立ったりと、チョコレートを一つ用意するのが思っていた以上に手間だと知った。
 俺にとって交際関係になる相手は彼女が初めてだった。彼女は違うようだったが、二人で過ごす時間を新鮮だと喜んでくれている。不器用な自覚はある。それらしい言葉をかけることは苦手であるし、ボディータッチも同年代にしたら少ないのだろう。そんな俺を見越した周りは、やれバレンタインだ、恋人らしいことをやるべきだ、なんて囃し立てた。
 結局選んだのは、つるりと光沢のある赤いハート型が混ざったセットだった。ヨーロッパのメーカーが限定出店をしていたようで、普段は日本で買うことができないらしい。
「とっても美味しい。ありがとう」
 目尻を下げる彼女は味わうようにゆっくりとそれを食べる。真っ赤なハートは、彼女を彩るアクセサリーのようだと柄にもなく思った。
「美味しいものも食べたし、明日は起きたら厳くんがいるし、素敵な週末ね」
 明日は二人ベッドで寝坊するべく、これを食べたら風呂に入って、それから歯を磨こう。甘ったるい口内を揃ってミントに塗り替える。そういう事がしたい、夜だから、二人で溶け合って、昼前に起きる。たぶん、掛け布団は蹴飛ばされていて肌寒さを感じるのだ。隣で眠る彼女の呼気を感じて、ゆっくりと目を覚ます。穏やかな週末だ。
 イベント事の日取りなんか、大して気にして生きてこなかった。今年のバレンタインは金曜日、次の朝を彼女と迎えられる。なるほど、これは良いものだ。




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