すきな部屋で目を覚ます菊田

2021.02.06. ジュゲムジュゲ夢にて無配ネットプリントだった「アイスクリームチョコレート」です。印刷してくださった方、スペースに来てくださった方、ありがとうございました!


 目覚めて最初に認識したのは、自分の部屋ではない音だった。控えめだが確かな秒針の音が聞こえ、そうだ、昨夜は彼女の部屋に泊まったのだということを思い出した。南向きの窓から午前の透明な光が差し込む。彼女はもう起きているのだろう。キッチンの方から微かに気配がする。
 昨夜は甘やかな夜だった。白いシーツにぱらぱらと広がる彼女の乱れた髪。桃色に上気したやわらかな肌が甘美だったこと。何度夜を越えても、もっと俺だけのものにしてしまいたいと年甲斐もなく思ってしまうのだ。
 そんな夜を過ごした後なのに規則的な生活を心がけている彼女はもう起床したらしい。隣に無い温もりに少し寂しくなりつつ、欠伸を一つ落とした。朝一で開いたのであろうカーテンは白いレースが揺れている。彼女のお気に入りの清潔感のあるそれは、七月のブラウスを連想させた。

 白い腕にたっぷりとした繊細なレースを蓄えて、暑いとハンカチを額に充てていた。
「お待たせ」
「お疲れ様です」
 梅雨明け前で湿度の高い日だった。紫陽花の花弁が端から茶色く鮮やかさを失っていくような時期だ。泣き出しそうな空の下で、俺を待っていた。交際を始めたばかりの彼女が着ていた白いブラウスと手に持った赤い傘のコントラストをよく覚えている。いつも時間より早く着いている彼女を待たせてしまうのが申し訳ない。
「勝手に待ってるだけですから」
 傘を開きアスファルトの上を歩く。いつも水色や白を身に纏っている彼女が真っ赤な傘を差しているのが意外だった。
「赤はなんか、わたしの色じゃない気がするんですけど、雨の日ならゆるされるかなって」
 白いレースに赤い影が映る。いつもと彼女の雰囲気も違って見える。髪が広がって嫌だけど、この色を纏えるのはすきだと彼女は言った。
「知らないだけで、似合う色はたくさんあるんだろうな」
「そうだと嬉しいですね」
 赤い傘の隣にひと回り大きな紺色の傘を並べて、歩く。
「少し時間があるから、買い物でもしないか」
 そう問えば嬉しそうに頷いた。飯の予約まで、ゆっくり彼女に様々な色をあてて過ごした。

 俺の部屋でゆっくりしていたときのことだ。たしか、一緒にソファに並んで映画を観ていた。古い映画で、彼女はサスペンスがすきだから食い入るように画面を観ていた。
 ローテーブルの上の俺のスマートフォンが鳴った。画面には上司の名前が流れる。仕事の連絡が彼女との時間に入ってしまうのはこれが初めてではなかった。彼女に小さく断って廊下に出た。
 部屋に戻ると彼女は画面を停止して、両手でマグカップを抱えていた。映画が始まる前にに淹れた紅茶はぬるくなってしまっているらしい。俺は観たことのある映画だから、流しておいて良かったのに。彼女の隣に腰を下ろした。
「杢太郎さんが仕事ができて頼られているのはわかりますけど、まぁ、良い気持ちはしません」
 少し尖らせた唇がかわいいこと。拗ねたような表情をさせてしまった。顔の横の髪を耳にかけながら、俺から少し逃げるように視線を逸らした。かわいい。
 この手の話はそれこそ面倒くさいと今まで避けてきた会話だった。彼女の前の女性たちなら、それなら、なんて少しずつ距離を置いたりしただろう。
「わたし、たぶん、けっこう、面倒くさいおんなです」
「いや、悪い。俺が悪いなこれは。ちゃんと言ってくれてありがとう」
 スマートフォンをテーブルに置いて、彼女の顔に視線を合わせれば、少し眉間に皺を寄せていた。かわいいという感情は厄介なもので、ずぶずぶとそれに嵌って抜け出せなくなるらしい。その日は一日俺が彼女にべったりと張り付いてしまった。彼女は「杢太郎さんの方が面倒くさい……」とこぼしていた。

 彼女と夕飯を作った事がある。
 彼女の部屋のキッチンは一人暮らし用ということもあり、正直狭い。窮屈なこともあってだろう「杢太郎さんは座ってて」と言っていたし、若干動きにくそうだ。本当に彼女のことになると、今までの経験など無かったようになってしまう。この狭いキッチンで彼女に張り付いているのはどう考えてもスマートではないのだ。結局、俺は玉ねぎを剥いたあと、これを混ぜて置いてとボウルを渡されキッチンから退場した。
 小さなことでも一緒に共有したいなんて、なんでだろうな。

 俺はこの部屋で目を覚ますのがすきだ。
 毎日彼女の一部を感じながら生活できたら、なんて甘いことを思ってしまうくらいにはもうどろどろに彼女のことが愛しい。

「結婚してぇ」
 やわらかな思い出が連鎖的に脳裏によぎった。思わず口からこぼれた言葉は、彼女の足音と混ざって消えた。

「杢太郎さん、起きましたか」
「ああ、おはよう」
「おはようございます」
 寝室に顔を出した彼女は俺のすきな表情を浮かべていた。すっかり耳に馴染むようになった彼女の声に俺はやっと腰を上げて彼女の元に向かう。




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