水町くんとファミリーレストラン

馴染まない飼育

 8時過ぎの教室で彼女は違和感を覚えた。曇った空も、まだ少し肌寒い室温もいつも通りではある。
「おはよう、水町くん」
「おはよう」
 彼女の隣に腰を下ろした彼は、なんだかぎこちない。窓の外を見てみたり、無駄にスマートフォンを触ったりしている。いつもなら、昨日の練習がキツくて良かったとか、朝練を頑張ったとか、今日の2限目で間違いなく寝てしまうとか、そういったなんでもない会話が始まるところだ。

 昨日に遡る。水町は練習後チームメイトとファミリーレストランを訪れた。お財布に優しいこの系列は、高校生の強い味方だった。テーブルの上を様々な皿で彩り、部活の事、最近ダウンロードしたソシャゲのこと、テストがだるいこと、それからクラスメイトのことなんかを話した。
 お手洗いに立ったところで、レジにいる人間に気がついた。頭数個分、自身より低い身長。やわらかそうでいて、ハキハキと話す声。白いブラウスにチェックのエプロンをした姿はいつもとは違うが、隣の席の彼女だった。背筋を伸ばし、レジスターを操作している。彼女が客を笑顔で見送りまでしたところで、自身がトイレに席を立ったことを思い出した。
 テーブルに戻れば、やれ遅いと笑われたが、厨房の方に引っ込んだ彼女のことが気になってしまう。いつも隣に座るときの表情とは違い、どこか大人びたような顔が引っかかって離れない。そんな顔が他にもあるのなら、見てみたいとすら思った。何度か彼女はフロアを往復して、それから姿が見えなくなった。
 それからしばらく学校で、彼女を見ると妙に落ち着かなくなる。水町はそんな感情を飼ったことがなく、どうすれば良いものかと悶々とした。

 週に1、2回、それからというもの練習後にそこへ立ち寄るようになった。もちろん彼女が居ないことだってあった。
「そんなに気になるなら声をかければ良いだろ」
 そう言うこの男も、なんだかんだこの寄り道に付き合ってくれる。チームメイトのこの男から見れば、水町の感情など明らかだったが、彼自身はまだそれを捕まえられていないようだった。男の発言にも、なぜか彼女に声をかける気にもならず、たまにちらりと視界に入れるにとどめている。あまり長引くようなら止めなければと、男は小さく思った。普段はさっぱりとしているが、意外に自身の感情に鈍いようで、それがむず痒かった。

 彼女が違和感を覚えた朝から、もうすぐ3週間になろうか。水町の態度は気づけばいつも通りになっていた。何だったのだろう。気のせいだったのだろうか。彼女はそう疑問に思いながらも、隣の席で日常をこなしている。
 1限目から古典は流石に疲れる、と水町は授業を終えた開放感から伸びをした。左隣の彼女は、それを見て笑っている。眠いよね、なんて言ってみせるが彼女は古典の成績が良い。
 彼女は次の教科の準備をしながら、そういえば、と口を開いた。
「たまにさ、来てるよね」
「ん?」
「ファミレス。わたしのバイト先」
「ああ!」
「声、かけてくれればいいのに」
 そう唇を少し突き出しながら溢す彼女は少し幼く見える。水町は悪い悪いといつもと同じく7月の空のような笑顔を浮かべた。
「でもどうして急に。何か水町くんのハマるメニューでもあった?」
 水町はうーんと少し唸った。顎に手を当てて、天井の照明を見る。思考も言動もさっぱりとした彼が言葉に悩む様が、なぜだか彼女にとっては新鮮に思えた。
「なんかさぁ」
「うん」
「元気になるんだよなぁ。クラスでの印象とも違うけど、がんばってるなぁってところを見てたら、オレも練習がんばろうって」
「へ?」
 彼女はまさか彼が自分を見にわざわざ店に通っているなんて想像もしていなかった。彼の発する言語が日本語なのはわかるが、意味が理解できない。
「そんな感じ」
「そんな感じ……って、あのさ、わたしを見に来てたの?」
「ああ、うん」
「なんでか、理由を聞いても良い?」
 自惚れてしまいそうだ。水町の突拍子もない発言や行動は今に始まったことではないが、あまりに予想外すぎたのだ。
「あれ、なんでだろうな……」
 またも彼は顎に手を当てる。テンプレートのような仕草でも水町が行うと、いつも大きな全身を動かして自身を表現していることもあり途端に小さくなったようで、彼女には大変かわいらしく感じられた。
 彼女はわかってしまったのだ。彼がかわいらしく見える理由も。どうして、いつも通りの朝が欲しいのかも。水町の発言で心が落ち着かない理由も。
 ただ、彼の心は彼女のものではないから、そんな都合の良いことがあるはずがないと思ってしまうのである。
 2人の耳に馴染んだチャイムが鳴る。
「やべぇ、今日、オレ当てられるじゃん」
 ああ、逃げたな。
 そういう確信を持って、目だけを彼の方に向ければ耳が赤くなっている事がわかった。忙しなく教科書やらを引っ張り出す姿に少し、くすりと笑ってしまった。数学教師の低い声がドアの開閉音とともに聞こえる。
 来年も同じクラスになれば良い。なんて思っているのは彼女だけではないのである。




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -