赤羽と喧嘩

1周年フリリクありがとうございました!
『蛭魔か赤羽で、喧嘩してしまうシチュエーションを』ブログで返信してます。


 いつも穏やかな弧を描いている彼女の目元が、すうと冷えていった。目元から感情が引いていく。逆さにした食器からきれいに液体が流れ落ちるようだった。
「大丈夫だね」
 そう、ぽつりと言った彼女の声が透明で、赤羽は柄にもなく恐ろしく感じた。言葉の意味がわからなくて、彼は彼女を見やる。彼女は、また唇を動かす。
「隼人くんは、わたしがいなくても大丈夫だよね。うん」
 そう、まるで自分に言い聞かせるかのように口を動かすと、彼女はアウターとバッグを手に取った。
「待ってくれ」
 彼女の左手を掴むと、立ち止まる。何を不安に思ったのか、それすらも彼にはわからなかった。彼女がこうして弱ったような、諦めたような顔をするのは初めて見たものだから、どうしたら良いのかもわからない。いつもと変わらず赤く色づく唇が、この場に似合わず、それが赤羽はなぜか無性に欲しくなった。
「やめて。そうやって誤魔化そうとしないで」
 ほとんど無意識に、彼は彼女と唇を重ねようとしていた。彼女は彼の手を振り解き、乱暴なに外に出て行った。ドアの閉まる空虚な音が、彼女が赤羽を拒絶したと伝えてくる。
 赤羽はそれから数週間、彼女とすれ違うことになる。

「嫌いになった、とかじゃないのよ。わたしは、彼のことをやっぱりすきだし……」
 妙に耳に馴染む声に視線を向ければ、数週間ぶりの彼女がいた。向かいには、何度か彼女が赤羽に見せた写真の女性が座っている。なんでも話せる仲の良い友人、と言っていたのを彼は思い出した。
 あの日は、別に何か特別なことがあっただろうか。彼は何度も、何度も思い返すが何も思い当たらなかった。恋人と、自分の部屋で過ごしていただけだった。ネットフリックスで映画を流したり、温かな飲み物を淹れて彼女の課題を手伝ったり、そんな日だった。

 今日はなんとなく、近くのカフェに足を運んでいた。コーヒーでも飲んでゆっくりとすれば、どうしようもない活路も見いだせない現状を俯瞰することができるかもしれないと思ったのだ。

「わからないんだよ。隼人くん。だって何だってできるし、なんだって持っているように見えるし、欲しがらないし」
「わたしのこと、甘やかしてはくれるけど」
「言葉だってくれるけど、わたしがわがままなのかなぁ」
「わたしが隼人くんの隣にいなくても良いかなって思ってしまう」
 重たいため息が、彼女から溢れた。つらつらと彼女の口から出てきたのは不満という不満ではなかった。赤羽は彼女の本音を初めて聞いたような気がした。彼の前で穏やかな笑みを浮かべている彼女は、甘やかで苦い感情など見せたことがないのだ。

 そうだ、確かあの日、彼女の反応はいつもと違った。紅茶を淹れれば申し訳なさそうに眉を下げた。これ観たがっていただろうと映画を提案すれば「隼人くんが観たいものはないの?」と聞かれた。観たいものはその時に観ていると伝えれば少し表情を曇らせた。元々、課題とだらだらするという名目の自宅デートだった。彼女の参考になりそうな書籍を渡せば、また眉を下げる。「隼人くん、自分のこと進めていて良いんだよ」なんて言われたので、赤羽は必要な分は終わっていると伝えた。実際、彼女との時間のために先に先にと課題などをこなしている。
 元々、先に事を進めるのは苦にならない性格だった。やれることはやれるうちに。余裕を持って。自分1人で進めてしまえば、彼女の課題だって見れるし、彼女をそっと甘やかすのは自分の特権だと思っていた。

「彼に、わたしが必要がないのなら、離れてしまった方が良いのかしら」
 彼女は頬杖をついた。ストローをくるくると回す。それは久しぶりに見る、考え事をするときの癖だった。グラスの中のジンジャーエールは炭酸が抜けていく。
 赤羽は1人、空五倍色の息を吐いた。長く、深く。それから、自分の手元のコーヒーを飲み干すと立ち上がった。
「彼女、借りてもいいかい?」
 驚く2人に構わず、彼女の手を引き立ち上がる。2席分の会計をスマートフォンで済ませると、青い顔をした彼女を引っ張り外に出た。本当は部屋まで連れて帰ってしまいたかった。

「俺は、君と2人でいられればそれで良いんだ」
 早足で近場の公園に入った。いつだったか、2人で早起きをして散歩をした場所だった。少し前は桜が綺麗だった。彼女と2人並んで見ることは叶わなかったが。
 爽やかさすら感じられる新緑の中、赤羽は真っ直ぐに彼女を見た。春の日差しは午後でも柔らかい。平日の公園の人気はまばらで、誰も彼らを気にしてはいない。遠くで子供たちの声がする。彼らの間だけ、別の空間のように緊張感があった。
「聞いてたの?」
「たまたま、だが」
 赤羽は長く息を吐いた。緩慢な動作でサングラスを外す。赤い瞳を彼女に向けた。
「わがままを聞いてくれるんだろう。じゃあ、離れないでくれ。2人でいたいなんて言葉ですら不安なら、なんだって君に渡そう」
 彼がそう言うと、彼女は卯花色のため息をはいた。
「聞いてたのなら、隼人くんは1人でも大丈夫でしょう」
「そんなことはない。もう、毎日君のことばかり考えて大変だった」
「わたし、面倒くさい人間よ。愛されてる自覚があった上で不安になってたんだよ」
「それくらい気にならない。俺がもっと君を欲しがれば良いんだろう」
「自己中心的な癇癪持ちだよ。あんなにやさしくしてくれるのに、やさしくされるだけだと足りなくなるのよ」
「それを、不安なことを言葉にしてくれればそれで良い。そんな感情だって俺との間で生まれたものだろう。受け止め切るさ」
「また、急に飛び出すかも」
「それは、もう、辞めてくれ」
 流石に苦しい。と、小さく空気震わせた。
 ぎゅうと、彼女を掴む手を強めてしまった。赤い瞳が揺れる様を、彼女はしっかりと見た。少ししっとりとした手のひら、揺れる瞳。ああ、彼は本当にわたしを欲しがってくれているのだ。彼女はやっとそれを認識した。不安に揺れる瞳は、その奥に独占欲の熱が見え隠れしている。赤羽のそんな表情を彼女は初めてみた。心臓がきゅうと鳴るようだった。このひとが、わたしを必要としてくれている。その事実が、つま先からじわじわと彼女を侵食していった。
 彼女は彼に擦り寄る、額を彼の胸に当てた。その行動に驚き、彼は数度、瞬きをした。久しぶりの彼女の体温が、自らの胸の中にある。その事実が夢のようだった。
 彼からは彼女がどんな表情をしているかはわからない。
「ひとりにしないから、わたしのこと、離さないでね」
 そう小さく呟くのが、彼女の精一杯のわがままなのだろう。きっと、言葉にするのが苦手なのだ。そんなこと、ずっと知っていたはずなのに。赤羽は穏やかな弧を目元に浮かべながら、静かに、ああと頷いた。




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -