24ライ/お題:金曜日
現パロ


 今日は俺の方が帰宅が遅かった。あきらは風呂を上がったところのようで肌をしっとりとさせて俺を出迎えた。20時前の事である。
 俺は浴室に押し込められ、彼女は夕飯を温めて配膳を進めるのだろう。バスタブには彼女お気に入りの入浴剤が入っている。乳白色の液体は保湿効果があるのだと言っていた。あまいにおいがする。

 土曜日である明日は、国立新美術館まで足を伸ばす予定だ。あきらの趣味で異国の宝飾品の展示を観て、六本木近辺のカフェでだらだらして、ミッドタウンを冷やかして帰る。初めて行ったのはもう何年も前の事だ。あのガラス張りのひやりと沈黙した建物が好きだと言っていた。俺は別に美術品に興味も無いし価値もイマイチわからないが(めちゃくちゃ高いんだろうなぁ、なんて感想になってしまう)彼女の興味深そうな表情を眺めるのが好きだ。美術館なんて少しの非日常に彼女は少し気合を入れて化粧をしたり服を選んだり、その工程も楽しんでいるようだった。仕事着でも部屋着でもない品の良いワンピースやセットアップを見に纏うあきらを見ていると結婚する前に戻ったかのような気持ちになる。
「ねぇ、どちらが良いかしら」
 明日の衣服が決まったようだ。
 ベージュと葡萄色の小瓶を手に持っている。とろりとした液体を転がして弄んでいる。
 俺が色合わせなんてからっきしだと彼女は知っているので、どちらでも良いという事だろう。単に好みを聞かれているようなものだ。
「紫が秋らしいんじゃないか」
「じゃあそうするわ」
 リビングのローテーブルにマニキュアを置くとソファに座った。テレビでファミリー向けの洋画が流れている。彼女の隣に座って画面を眺めるもすぐに飽きてしまった。ふと隣を見れば、テーブルから背を曲げて小さな刷毛で爪を彩っていた。机上に手のひらを乗せ広げて、1枚1枚に丁寧にエナメルを乗せていく。姿勢が悪い。息を詰めながら5枚の爪を塗り終えため息をついた。顔を上げた彼女が俺の視線に気づく。
「映画つまんない?」
「ああ、なんか飽きちゃって」
 ふーんとさして興味も無さそうにする。ふぅふぅと彼女は左手に息を吹きかけた。
「ねぇ貴方。もし暇ならさ」
 そう言って彼女は俺に小瓶を握らせた。
「左手ねぇ、いつも上手く塗れないのよ。やってくれない?」
 自慢じゃないが、俺は不器用である。絵を描いた記憶なんて遠い昔だし、知人の家のリノベーションの手伝いにペンキを塗りに行けば盛大にはみ出るわ、缶を倒すわ酷い目にあった。長年連れ添っているのだ、あきらだってそれは知っているはずである。
「ねぇ、はやく。乾かないと寝れないから」
 小瓶を開けてる。この刷毛、つまむ場所すら小さくて持ちにくい。よくこんなので器用に濡れるな。
 ソファに座るあきらの前に降りて、左手を取った。小瓶に刷毛をつけてエナメルを取る。垂れそうなのを見て、慌てて彼女の親指の爪に持っていった。
「ありゃ」
「あらら」
 量が多かったようだ。爪の脇にたっぷりと溜まり、皮膚にも葡萄色が付着してしまった。
「刷毛を瓶の口で少し扱いて。1回で濃く塗らなくて良いから。乾いたらもう1回、って」
 小さな瓶の口に数度先を撫で付けた。垂れそうになることもない。ゆっくりと人差し指の上に持っていけば、自身の指がぷるぷると震えているのが見て取れた。桜色の爪の上に滑らせる。なるほど、これは息が詰まる。
「上手、上手。その調子よ」
「掠れてないか」
「もう1回塗ったら綺麗になるから。それで良いよ」
 同じ調子で他の3枚もひとつひとつ刷毛を下ろしていった。シンナーのにおいが鼻につく。葡萄色が淡い爪を侵食していく。なんだか、彼女を染めているような錯覚を得る。
「なにニヤニヤしてるの」
 顔に出ていたらしい。
 親指以外の爪先の2週目を塗っていく。天井のLED照明を白く反射して、てかてかとしている。小指の先まで、ゆっくりと刷毛で撫でる。
「ありがとう。おかげで明日のお出かけが益々楽しみよ」
 お世辞にも綺麗とは言えない指先を嬉しそうに眺めて、ふぅふぅと息を当てる彼女。左手を取ってみて、出会った頃より歳を重ねたのを感じたが、あの頃と変わらない少し歪に切ってしまっている小指の爪も、俺を見るやわらかな目元も、デートの前に気合いを入れてくれるところも、もう何年も愛しいよ。
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