現パロ/死ねた
ツイッターで主催した、尾形の葬儀で出会う女性達のお話です。
ツイッターでは #語らう女 のタグでわたし以外のものを含む全文が読めます。
ここには朝倉執筆分のみ記載。
(序.1.2.3.4.5.結の中の序.5.結のみの記載ですが、単体でも読めます)


◇序

 ひんやりとした空気が五人の女を包んでいた。みな一様に、黒い衣を身に纏っている。ある女は手元のアイスティーを眺め、ある女は天井の照明などを落ち着かない様子で見ていた。
 外は嫌になるくらい晴れ渡っている。
 純喫茶には穏やか音楽が流れている。四角いテーブルを結露したグラスが濡らしていた。

 今日、ひとりの男の葬式が行われた。参列者こそ、そう多くはなかった。世間的に、男は生きにくい性格をしていたのだ。
 彼女たちはそんな中お互いを見つけた。視線を彷徨わせたり、一点をぼうっと見つめていたりと様々だったが、彼に対する情を持っていたのをお互いに感じ取った。
 それは誰の提案だっただろうか。
 女達は、式を終えると静かな喫茶店へと入っていった。先ほど初めて会った人間のはずだが、どうもひとりでいるよりよっぽど良いと感じたのだ。
 ひとりの女が瞬きをし、口を開いた。

◇五人目

 テーブルについてすぐに、黒い手袋を外した。生地に水分を吸収されたのか、手のひらがからりと乾いていて、どこか気持ち悪い。
 わたしは四人の話はぼんやりと聞いていた。わたしが知っている彼は、本当に彼の小さな一角に過ぎなかったのだ。喫煙席が視界の端に入り、喫煙室で二人並んでいた日々が脳裏に過った。
 わたしの番だ。
「尾形とはね、同じ部署だったの。わたし」
「××社の?」
「そう、わたしの部署異動からだから、もう三年くらいかな。それくらいの付き合い」
 視線を向けられているのはわかっている。わたしは汗をかいたジンジャーエールを口にした。すっかり薄くなってしまっているし、刺激も弱々しいものだ。不味い。
「彼、あなたの事だと思う。飲んでるときにね、一度だけ、話に挙がった事があるの。女性との噂はあっても、それについて自分から話すことなんてほとんどなかったから、あのひと、あなたといた時間はきっと心地良かったのよ」
やわらかなウェーブを帯びた茶髪がやさしく揺れる。きれいなひとだ。尾形もこのひとに想われていたのだ。
「職場での彼は、まぁ淡々としていたよ。自分のノルマをこなして、適度に手を抜いて、でも、優秀だったわ」
なんとなく、視線が想像がつく、と言っているような気がする。
「別にね、思い出深いエピソードなんてないの。彼はただの同僚で、出勤すれば顔を合わせて、たまぁに飲みに行って。そうね、日常の一部だったというだけ。なにも、なにも特別なことはないわ」
 葬儀に似つかわしくないわたしの指先を眺めながら、彼のことを思い出す。

 吐き出した紫煙を睨む。苛立ってしまう。連鎖的に最近別れた彼氏がわたしの指先の匂いを嫌っていたのを思い出し、小さく舌打ちをする。
「荒れてるな、」
 彼はなんだかにやにやとしながら喫煙室に入ってきた。顔が死んでるぞと、言いながら火をつける。
「夜空いてる?」
「ああ」
 わたし達は通勤の乗り換え駅が同じだった事もあり、その駅付近の大衆居酒屋に腰を落ち着ける事が多かった。明るい照明、有線で流行りのJPOPが流れる。床はてかてかとしていて、壁には手書きのメニューが店中に貼り付けられている。
 ざわつく店内がわたし達の距離感には丁度良い。甘さも苦さも特に無いような関係。ただの同僚。お互いの話をふうんと軽い相槌で聞き合う事のできる相手というものは、案外、大切なものであったりする。少なくとも、わたしにとってはそうであった。
「そういえば、やぁっと別れましたよ」
「めでたいじゃないか」
「そりゃどうも」
 籠いっぱいの枝豆。黒い皿に盛られたエイヒレ。半個室のようなテーブルで、片方の肘をついて、行儀悪くわたしは青々とした枝豆を口に運ぶ。ブルーのワイシャツ姿の尾形はどうでも良さそうにスマートフォンを弄ったり、ジョッキのビールを減らしたりしながら相槌を打つ。
「おまえ、男のシュミ悪いもんな」
 ははっと彼は笑った。
 それについては自覚があるため言い返す事もできない。前の彼氏も、その前に好きだった男も尾形は知っている。彼が笑いながら髪をかきあげる。喧騒と湿度のある室内で、その仕草だけが少し異質に見えた。
わたし達はいつも仕事の愚痴だったり、恋人の話だったり、映画の話だったり、本当にどうでも良いことを話していた。わたしが話している時間の方が圧倒的に多かったが、彼は相変わらずどうでも良さそうに相槌を打つ。月に一、二度、薄い会話をアルコールでだらだらとするのだ。
 喫煙室とあの居酒屋。わたし達が視線を交わすのも、プライベートな話をするのもこの二つだけだった。普段はデスクでブルーライトを浴びながら、お互い淡々と仕事をして、ふらりと煙い空間で顔を合わせればなんとなく夜の約束をするのだ。三年間の付き合いで、たったそれだけの間柄だった。
 喫煙室でわたしが上司の理不尽に苛立っていたところを彼に見られたのがきっかけだったような気がする。嫌なところを見られた。取り繕うとするも、彼は少し嫌な笑顔を浮かべて「俺はなにもおもしろいものは見てはいない」なんて言うのだ。壁際に姿勢悪くもたれかかって、髪をかき上げて自らの煙草に火をつけた。わたしはそれを見て面の皮の事などどうでも良くなってしまった。「むかつくから、今日、お酒に付き合ってよ」なんて言えば、彼は少し驚いた顔をした。そして、相変わらず嫌な笑顔で了承したのだ。

「禁煙しようかな、」
 何度目かの夜のことだ。春だった。桜が散り、やわらかな緑色がちらつき始めた頃合いだ。少し気温が高かった事もあり、彼はジャケットを脱ぎ腕まくりをしていた。不健康な白い肌が、少し赤みがかっていた。いつもの喧騒のなか、ぽつりと呟いた。
「できるのか」
「いや、無理」
 どうした急にと彼の表情が言っている。
「すきなひとが、爪を褒めてくれたけど、やに臭い女はなぁ、とか言ってるのを聞いたのよ」
「それで」
「煙草やめて付き合えるならラッキーかなって」
 俯きうーんと唸っていると、彼はわたしの左手を取った。驚き顔を上げれば、彼はわたしの指先に鼻を寄せると匂いを嗅いだ。アルコールの入った体はただでさえぽかぽかとしているのに、沸騰しそうな血液が全身を駆け巡った。
「その程度の事で決めるようなヤツ、またロクな男じゃないだろ、」
「たしかに、」
 わたしは動揺が悟られないか、いつもの顔をつくれているのか、気が気でなかった。なんだったのだろう。尾形はわたしの指先を見つめていた。
「まぁ、確かに爪の形きれいだよな、お前。今日はマニキュアが剥がれてるが」
 わたしは勢いよく左手を彼の手元から引っこ抜いた。なんなんだ本当に。
 尾形は機嫌良さそうにわらっていた。

 尾形は良くも悪くも目につく男だった。あの独特の雰囲気が良いのだと先輩は言っていた。あの低い声が魅力的だと後輩は甘い声を震わせていた。同期の男性は嫌味を言われたと頭を掻いていたし、上は淡々と仕事をこなしていく、なんて評価だったのではないかと思う。
 別にわたしだけが彼のことを知っていた訳では無い。わたしはきっと尾形の上辺しか知らないし、先ほど挙げた人間と変わらないのだ。
 彼が目立つから視界に入るし、たまたまわたしが喫煙者だったから話すようになって、そのまま一緒に飲むような仲になった。それだけのことだ。
 彼に向かう視線なんて、数多存在していたわけで、わたしの視線は別に特別でもなんでもなかったのだ。
 
 あるひとはわたしのことを見ながら、あるひとは自身の手元を見たりして、それぞれわたしの紡ぐ言葉を受け止めていた。
「別に彼のことを好きだったとか、そういうのじゃないの。わたし達はただの同僚で、適度に関係の無い距離感が心地よかっただけよ、」
ふふっと、なぜだか笑みが溢れた。
薄い関係でも、寂しいものは寂しい。この喪失感を埋めてくれる相手もいないのだ。剥げたマニキュアに気づくようなひとはいない。淡いピンクを纏った指先を撫でた。
「彼がいないことが、日常になってしまうのね」
氷の溶け切ったグラスはやっぱり美味しく無くて、遠くでする生姜の風味に少し苛立った。

わたしの知らない彼の一面に、劣等感を今更覚えるなんて、自分でもどうかと思う。
でも、彼女たちには教えてあげない。惨めなわたしは彼の唇を知っている。たった一度だけの戯れるようなそれをわたしは未だに忘れられないのだ。あの日のわたしは、たまたまアルコールを控えていた。いつもの居酒屋の油っぽいメニュー表から、ジンジャーエールを注文したのだ。彼は出張明けだったはずだ。妙に疲れていて、ただそのくたびれ方をセクシーに感じたのを覚えている。珍しくアルコールの回ったらしい彼がなにを思ったのか唇に触れた。駅までの道で気まぐれに落とした口付けの温度は、夜風のようにぬるかった。
彼すらも忘れた、アルコールのぬくもりをわたしは惨めに大事にしている。
好意にも育っていない感情に蓋をして、時折鑑賞するなんて、なんて悪趣味なことだろうか。わたしはこの干からびた標本を捨てられないのだろう。
わたしは本当に男のシュミが悪いよ。


◇結

 喫茶店を出ると、空は少し赤みがかっていた。クーラーやドリンクで冷えた体をぬるい温度がじわり、じわりと溶かしていく。
女たちはもう、きっと会うこともないのだろう。
男は確かに女達の前で呼吸をしていた。胸を上下させる。咀嚼をし、目を細めたりして、嚥下をする。爪を切ったり、欠伸をしたり。そんな当たり前のことすら、ある女は懐かしみ、愛おしくなった。
 駅へ向かう者、駐車場へ向かう者、各々が歩みを進めていく。
彼という人間を女達は忘れる事があるのだろうか。

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