ドライヤーの音が聴覚を支配する。あたたかな風と佐一くんの大きな手のひらの感触がなんとも心地よい。ここがわたしの極楽である。
 捕食者の様な顔で攻め立ててきた昨夜とは違い、テーブルに置いた鏡に写った顔は穏やかに笑みを浮かべている。ドライヤーにかき消されてはいるけれど、たぶん、鼻歌なんかも歌っている。最近お気に入りの車のCMのやつだろうか。
 目が覚めて隣に彼の体温があるのは幸福な事である。ゆっくり同じベッドで目覚めて、おはようと言って、じゃれあいながらシャワーを浴びた。
 「洗いっこしよっか」
 なんて、言ってくるのもかわいい。彼は最近、やたらわたしの髪に触れたがる。
 わたしが彼の硬い髪に指を通すようになったのも最近の事だ。痒いところはございませんか、なんてふざけてみれば、バスチェアーに座った彼は顔を上げて後頭部をわたしの腹に擦り付けてきた。
 「なにするの、」
 「ふふふ」
 なんとも気持ち良さげで、大型犬のシャンプーを連想させられる。白い泡がわたしの腹を汚した。それらを流して交代だ。
 彼の指がわたしの頭皮を刺激する。花の香りがわたしを包む。微睡ながら、髪を撫でられるときとはまた違った気持ち良さだ。
 「佐一くんは美容師さんになれるねぇ」
 「そんなに気持ち良いの」
 「うん。とってもじょうず」
 「へへへ。やったぁ」
 丁寧に泡を流してくれる。
 わたしの髪に触れるようになってから、以前にも増して、至れり尽くせりの状態だ。佐一くんによってたっぷりと栄養を与えられた髪の毛は、今までのカラーリングのダメージなどなかったかのように艶々で滑らかだ。天使の輪、なんてくっきり浮かんでいる。いつだって梳かしたてのような指通りだ。美しい川のような流れに、彼の選んだ甘すぎない香り。毛先もしっとりとしていて、それでもベタつきがない。
 「佐一くん何か言った」
 「ううん。なんでもないよ」
 鏡に写る彼の口元がなにか、紡いだような気がした。
 スイッチを切り、コードをまとめる。
 今度はヘアアイロンを取り出して、大きな手で、器用にわたしの毛先を調教していった。
 彼がヘアオイルの瓶を開けると、ふわりとやさしい香りが広がった。ベルガモットの香りはなんとなく、落ち着く。大きな手のひらに伸ばされていくオイル。するするとかれの体温で広がっていく。

 きっかけは彼女のなびく髪を直した事だ。2人、休みに海に行った時の事だ。海岸沿いを歩いていれば、強い風に見舞われた。海に行くから、と言って貝やヒトデをモチーフにしたヘアアクセをつけていたのを覚えている。
 海の匂いを含んだ風が、彼女の髪を巻き上げた。ふんわりとセットされていた髪は、ばらばらと重力に従って落ちる。風の強さに、きゅっとまぶたを閉じた彼女の顔にも、どこのだろうか、長い毛束がかかっていた。
 「目、つぶってて」
 一言告げて、彼女の髪に触れた。
 彼女の髪はいつも丁寧にセットされている。艶やかな指通りだ。しかし、この時俺は衝撃を受けたのだ。ベタつく潮風を受けた髪は彼女のやわらかい髪を数分でごわつかせたのだ。
 そしてこの時気づいたのだ。彼女のきれいなシルエットは、いつも時間をかけて作られているのではないか。かわいいを保つのは、案外、難しいことなのではないか。

 「うん、今日もかわいい」
 「佐一くん何か言った」
 「ううん。なんでもないよ」
 スイッチを切り、コードをまとめる。
 「佐一くん、本当じょうずになったねぇ」
 彼女の毛先だけ内巻きにカールをさせた。髪の内側から、カーブをつけるようにヘアオイルを纏わせていく。内から外へ。ゆっくり、丁寧に。
 俺の部屋には、彼女の髪を整えるためのものが増えた。シャンプー、リンスなんかは前々から彼女が持ち込んでいたが、ドライヤーも良いものに変えてみた。出先で良さげなヘアオイルを買ってみたり、それらは俺の部屋を徐々に浸食している。
 彼女は本当にかわいい。あまい香りのするやわらかな肌も、小さな唇もかわいい。俺から見ればくるぶしの凹凸すら愛しく見えてくる。小さな踵も、つるりと磨き彩られた足の爪も、かわいい。
 ベッドの上の乱れ髪。撫でてやれば気持ち良さげに目を細める表情がかわいい。手触りよく俺の手のひらに絡むそれは、俺が丹精込めて整えたものだと思うと、思わず喉が鳴ってしまう。
 「佐一くん、それなぁに」
 俺の手元で光るシルバーに彼女は気がついたようだ。
 「今日はこれを着けて出かけよう」
 「ありがとう。かわいい」
 銀の花の髪飾り。長い髪の上部で、所謂くるりんぱを2つ作った。そこにそれを挿す。駅ビルで見かけた華奢なその花は彼女によく似合っている。レディースのアクセサリーの置いてある店内にいる俺は少し目立ってしまっただろうと思うが、こうして彼女を彩ることができるなら、その甲斐もあったというものだ。
 グリーンのワンピースを着た彼女は姿見の前でくるりと回っている。きっとお気に入りのミュールを履くのだろう。
 今日も俺の彼女はかわいい。
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テーマ「人外ファンタジー」
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