現パロ
シャワーから出ると、部屋はほどよく冷えていた。よれたTシャツにハーフパンツなんて格好でテレビをつける。金曜日だしと、帰りに購入した白い缶、お惣菜の唐揚げとマカロニサラダ、作り置きのきんぴらをテーブルに並べた。チークウッドのローテーブルはそこそこ埋まる。
画面が切り替わり映画が始まるようだった。毎夏、おなじみの世界的アニメーションスタジオ祭りである。
缶を開ける音の軽やかさに喉が鳴る。冷たい缶に唇をつけて、琥珀色のそれを呷った。
「あぁ、」
思わず気の抜けた声が出てしまったが、1人の空間だ。わたしの生活音とテレビの音声だけが支配する。
番組の導入が終わり、本編が始まるようだ。
冷えた唐揚げを口に運ぶ。咀嚼しながら、なんとなく、味が無くなっていくような錯覚を得た。
思わずついたため息は、ビールの炭酸より幾分か重たい。
彼の事は本当にすきだった。彼もわたしのことを大切にしてくれていたのを感じられたし、彼自身、とても魅力的な男性だったから。彼のわたしに触れる、かさついた手がすきだった。もう幾年か前のことだ。
「シャンプー変えたか、」
「ああ、うん。ボトルの中身違うものが入ってる。夏に使うには甘ったるすぎたの」
「良い匂いだな」
「菊田さんに褒められると悪い気はしないなぁ」
今年ほどの酷暑ではなかった気がする。わたしもまだ、若かった。いつもより爽やかな香りを身に纏い、彼に寄り添っていた。当時住んでいた部屋は午前の光の差し込みが気持ち良くて、よく彼とお昼過ぎまでを怠惰に過ごしたのをおぼえている。
2人ブラウンのソファに並んでぼんやりとテレビを眺めていた夜のことだ。
「わたし、この映画すきよ」
「観たことないな」
「嘘、もったいない。子どもの頃からね、ずっとすきなの。ねぇ、今日はこれを観ましょう」
21時すぎ、画面には真っ赤な空の下を影が急ぐ。多様な生物が家路を急いでいるようでかわいらしい、そんなオープニングの頃だ。
「曲は知ってる」
「素敵よね。きっと、内容もすきになるよ」
彼とデートで映画を観るときは洋画が多かった気がする。お洒落な革靴を履いた紳士が出てくるような映画。そういえば、この映画にも素敵な紳士が出てくる。
「高校生の話だったんだな」
「青々としていてかわいいの」
彼は、この映画にどんな感想を持ったのだろう。2人、自転車に乗る映像を眺める彼をこっそりと盗み見る。アニメーションを一緒に観たのは初めてだった。彼の横顔は思いの外真剣で、少しどきりとした。
猫の紳士が出てくる映画が別にあると伝えたら、少し驚いていた。あの青々とした光を浴びた後も、わたしたちはなにかにわらいながら、愛しげにキスをしてシーツに沈んだのだ。
次の日はブランチのフレンチトーストを作りながら、劇中歌を一緒に口ずさんだのをおぼえている。彼は曖昧な歌詞をハミングでごまかしていた。おだやかな表情をした午前。
あの時のシャンプーのシトラスの香りも、なににわらっていたのかも、彼の体温も、音の外れたハミングも、ブランチの味だって、なにも思い出せないのだ。
映画に紐付けされた事実がだけが、無理矢理引き出しの奥から引っ張り出される。
隣から消えたぬくもりが、低い声が思い出せない。
干からびたと思っていた感情は、また水気を帯びてしまった。
ねぇ、わたし、もうこの映画を観れないよ。
白い缶は汗をかいている。
耳に残るうたを飲み込んだ。