現パロ
焼肉をする男女はできている。って、これはどういった理屈なのだろうか。
まぁ、わたしには関係がない事なので、黙ってタンを口に運んだ。目の前の炭火からの熱気で、皮膚からじわりじわりと汗が出る。化粧は溶け始めているだろう。それにやられて冷えたジンジャーエールを口に運んだ。うまい。わたしの育てたハラミの表面が良い色になった。口内に唾液が広がる。少し甘味のある皿に潜らせ、白米にワンバウンドさせた。ハラミだけを口元に運べばしあわせが広がる。うまい。
しあわせの咀嚼をしているとスマートフォンが震えた。あと10分ほどで席を立たなければ。
スカートのホックを1つ緩めておいたのは正解だった。思う存分、しあわせをチャージしたわたしは、午後から無敵である。
店に設置されている歯ブラシとマウスウォッシュ、リセッシュで匂いを飛ばす。お気に入りのポーチで化粧を直した。ヘアスプレーを振りかけて、最後にきつめの赤の口紅を塗った。
「秋山お疲れ様」
「お疲れ様です。菊田さん」
厄介なクレームが来るのはわかっていた。我ながら、まともな対応ができたと思う。クーラーの効いたオフィスでひっそりと首あたりを揉んだ。終業後、1時間。周りにはほとんど人はいないのだが。
「流石だったな。負担をかけて悪いが、秋山が対応してくれて本当に助かったよ」
「いえいえ、無駄にそこそこ長く事業部にいるので、使えるところで使ってください」
菊田次長は数ヶ月前にこの部署に移動してきた。センスの良いスーツや小物、こうやって下を労ってくれる言動に部内が少し色めき立ったのは記憶に新しい。
「すみません。ありがとうございます」
差し出されたカフェオレはわたしが愛飲しているものだ。よく見ているんだなと感心する。
「そういえば、朝となんか雰囲気違うな」
「疲れてやつれてます?」
ちょっとふざけた表情で返せば、いや、と言いながら自身の顎あたりをさわっている。そのまま少し顔を近づけて、じぃと見られる。思わず背筋が伸びる。顔が良いな。
「いや、なんか、顔色が良い?朝よりきりっとしてる、みたいな」
「あー、口紅が朝と違うんです。気合い入れるのに変えてみました」
クレーム対応のために1人焼肉したとは言えないが、化粧を変えたり、お守りになるようなアクセサリーを付けたりはする人が多いだろう。
「そういうもんか」
「わたしにとっては、そういう物ですねぇ」
へぇ、と相変わらずわたしの顔面を遠慮なく見ながらこぼす。やめて、流石にもうファンデーションよれてると思う。
「その色良いな。いつもの淡い感じとのギャップと、なによりおまえに似合ってる」
「なんですかそれぇ」
「すまん、すまん。セクハラになるか。これ。気をつける」
やっと距離ができた。軽く謝りながら菊田さんは目尻を下げている。びっくりした。変にときめいてしまった。
わたしだって色めき立ってしまった1人なのだ。
「明日の夜、空いてるか」
「空いてますけど」
「飯行くから空けとけよ、」
「えっ、」
菊田さんは、じゃあお疲れ、と言って退室してしまった。ぽかんとしたわたしを置いて。
これが木曜日の事である。
まさか2日連続で肉を焼く事になるとは思わなかった。
「宇佐美があきらは肉が好きって言ってたからな」
「ふふ、お肉だいすきなんです。恥ずかしいですけど」
ここにいない同期を恨めしく思う。そんなわたしが食いしんぼうみたいな情報をよりによって菊田さんに伝えてくれるな。
昨夜は帰宅後、いつもより念入りにスキンケアをして、丁寧に髪を乾かした。デートでもあるまいし、と思いながらもクローゼットの中身を並べた。別に今日の仕事を労ってくれるだけかもしれない。きっと、そう。散々悩んで、深いネイビーのやわらかなスカートと低いヒールをチョイスした。これなら、綺麗目に見えるしめちゃくちゃ気合い入ってます感もない、はず。
ぎゅっと、いつにも増して集中して仕事を終わらせて、就業と同時に化粧室に駆け込んだ。菊田さんから受け取った書類に、ライトグリーンの付箋が貼ってあった。ブルーのインクの少し右上がりの字で、駅前の本屋を待ち合わせに指定された。
付箋による待ち合わせの約束ににやけ、ときめきを覚えてしまったわたしは化粧室でそれを纏った。昨日、菊田さんが褒めてくれた、真っ赤な口紅。わたしのお守りで、すっと背筋が伸びるそれ。はみ出さないように筆で丁寧に塗っていく。
菊田さんと訪れたのは小綺麗な焼肉店だった。わたしがお昼に行く、ランチサービスに精を出しているチェーン店とは明らかに違う。薄暗い照明。テーブルの間には仕切り布が下りていて半個室をつくっている。小洒落た店内は繁盛しているようで少しがやがやとしていた。お洒落だが、カジュアルで会話のしやすい、そんな空間だった。
とりあえず、タンやハラミ、カルビと塩キャベツなんかを注文した。菊田さんは生ビール、わたしはジントニックだ。
2人前のお肉が運ばれてくる。我先にとトングを取った菊田さんはわたしがやると主張しても、離してくれない。
「なんだ、俺の焼いた肉じゃあ不満か、」
そんなことを言われれば引き下がるしかないのだ。
腕まくりをした菊田さんが銀の網の上を赤色で埋めていく。肉を並べているだけなのに、格好良いとはどういう事だろう。
菊田さんとジョッキをぶつける。
簡単に労いの言葉を述べると口をつけた。
焼けた肉をわたしのお皿に寄越してくれる。
「うまぁ」
分厚いネギ塩タンをレモンでいただく。噛みごたえがちがう。やわらかいのに、しっかり弾力があって1枚に満足感がある。肉の旨味と油が口内に広がる。その後に爽やかなレモンが後味を良くする。いくらでも食べれそうだ。
「うまそうに食うな」
「だって美味しいんですもん」
思わず砕けた感想を漏らしてしまい、恥ずかしい。誤魔化すように視線を外した。
「素が見れるのは嬉しいよ。ほら、うまいならもっと食え食え」
菊田さんはじゃんじゃん、わたしのお皿を埋めていく。これでは本当に食いしん坊みたいだ。
お酒を含み徐々に緊張もほぐれていった。仕事の話から最近観た映画の話、会社周りの美味しいカフェの話、当たり障りはないがたのしく口を回す事ができた。菊田さんはアクション映画がすきなようで、ガンアクションが良い作品をいくつか勧めてくれた。駅の反対側にあるカフェのパスタが美味しいとか、昨日は牛丼だったとか彼の日常を垣間見ることができた。もちろん、ひとり焼肉をしていたわたしは、昨日のランチについては伏せさせてもらった。
そういえば、と、菊田さんが口にする。
「焼肉をする男女はできている、だっけか。今も言うのか、そういうの」
「さぁ、」
菊田さんの目線はなんともないという感じでカルビに向いている。まだ片面が赤々としたそれをトングできれいにひっくり返す。良い焼き色だ。
「そういえば、今日も赤い口紅なんだな」
視線が上がり顔を見られる。
目を細めてわらったと思えば、瞳をじぃと見られた。照準でも定められたかのような表情に、まるで獲物になった気分である。
「気合い、入れてくれたんだな」
否定もできないような、そんな音だった。昨日の冗談のような口調とはちがう。しっとりと耳の中にしずんでいく。
わたしの赤々とした唇は彼の皿の上なのだろうか。菊田さんはいつものやさしげな表情に戻り、わたしの皿にカルビを入れた。
焼けた肉のにおいが腹部を擽る。