24ライ/お題金魚
転生ネタ
冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、人心地つく。華奢なヒールから解放された足をだらりとソファから投げ出した。
着替えないとシワになってしまう。でも、まぁ、良いか。今日くらい。
無機質なガラステーブルに白いブーケが映えた。途中のゴミ箱にでも捨ててしまえば良かったのだ、こんなもの。
素敵な式だった。女の子の夢を詰め込んだような空間だ。しあわせそうな新婦。目尻の泣きぼくろが可愛らしくて、ドレスから伸びる、ほっそりとした二の腕、甘そうな唇、これから百之助を守りゆくのはあのひとなのだ。
そう思うとなにか腹の底で燻って死にゆくような、どこか開放的なような、理解のできない感情になる。
化粧も落としていないのに、明日瞼が張り付いて後悔するのもわかっているのだけれど、もう一歩も動きたくなくて、わたしはそのまま意識を手放した。
微睡のなかで、乾いた音を聞いた気がする。
現代において、あいつと俺の立場は逆転していた。向こうでは俺の後ろをついて回るおせっかいでおしゃべりな女だった。それがどうだ、今生では物心ついた頃にはあいつの後ろを歩くのは俺だった。相変わらずおせっかいでおしゃべりなあいつの後ろを、気づけばついて歩いていた。あいつが本を読めば俺は隣でページを捲る。あいつが公園に行けば俺はボールを持って後を追った。
そんな関係が10数年続いたある雨の日だ。俺の部屋だったと思う。湿気であいつは髪がまとまらないとぼやいていたのを覚えている。
「おまえ、覚えてるだろう」
「なぁに、百之助」
はぐらかすなと、声をかけようとすれば、あいつの瞳は俺を見ているのに、どこか遠くを見ているようだった。俺を見ないあいつに腹が立って押し倒せば、ふふふといつものトーンでおかしそうにわらった。
「はやく自由になりなよ」
思わず息が詰まった。覚えている。覚えている上で、突き放された。
俺の下から抜けて部屋から出て行った。それから、俺たちはゆっくりと疎遠になっていった。
俺の記憶は少し濁った水面を見ているようなものだった。それこそ後ろをついて回っていた頃なんて、これがどんなものか、どうすべきかなんて考えてすらいなかった。
あの頃、あの女は鶴見中尉の駒の1つだった。おせっかいがどう転んだのか、気づけば中尉の元をうろうろとしていた。ある時は心配そうに包帯を替え、ある時は寝る間を惜しんで怪我人を診ていた。気づいたら存在していた女が、どこから来たかは誰も知らなかった。
連れ出したのは気まぐれだ。俺の病室担当だった女を唆した。自由になりたくはないか、なんて囁けばあからさまに動揺したのはおもしろかった。
女は網走でつまらん死に方をするまでずっと隣にあった。
あの頃は俺より随分と若かったような気がする。器用に包帯は巻くのに、着物を着るのが難しい、なんて言っていた。あの女はやけに白い肌だった。第七師団にいる中で、徐々に指先だけは痛めていった。
俺が連れ出したから、俺の気まぐれによって、そんな理由でずっと後ろをついてきた。
「俺がそんな良い人間じゃあないのはわかってるだろ、」
「尾形さんはそう言いますけど、あなたがいないと、わたしはこうして好きに雪を踏み締める事も出来ませんでしたよ。きっと」
「大袈裟だ」
ため息をつき、視線を外せば、女は距離を詰めてきた。真っ直ぐに俺を見る。
「わたしが尾形さんに価値があるとか思われてるかはわからないですけど、連れ出したんですから責任持って役立ててくださいね」
俺はあの女の心がわからなかった。何かと女は俺を気にかけた。ちゃんと寝れたのか。好き嫌いしないで食べた方が良い。からだは冷えていないか。また怪我をしていないか。そうする意味もわからなかった。俺と同じ気まぐれなのかもしれない。ただ、その小さな口を動かして、俺の後ろから喚くのを止めたことはなかった。
鹿の腹の中でのことだ。外はごうごうと吹雪いていて、女は俺に身を寄せた。
「尾形さんは、自由なんですか」
「なんだ」
「いや、わからないなって。自由をぶら下げてわたしを連れ出してくれましたけど、尾形さん自身はどうしたいのかよくわからないから」
「それで、おまえはなにか不満なのか」
「わたし、感謝してるんですよ。あそこにいるのは本意じゃなかったし。鶴見中尉はわたしに利用価値があるとでも思っていたみたいですけど、ただの非力な女なので」
「ただの非力な女なら、こんな獣臭い鹿の中に隠れるような事、ごめんだと思うが」
「確かに獣臭いですね。でも今は尾形さんもいてあたたかいし、まあ、これも経験という事で」
狭い鹿の中でもそもそと女は体の向きを変えた。
「尾形さんは体温が低そうですけど、こうくっつくとあたたかいですね。こっち向いて寝ても良いですか。反対向き、獣臭くて」
女の柔らかい体が俺の胸あたりにあたる。気の抜け切った顔をして目蓋を閉じた。
女のつまらん死に方はよく覚えている。第七師団の流れ弾に当たった。鶴見中尉に見つかることもなく、女が相手にあの女として認識される事もなかった。
俺はその様子をただ、上から見ていた。
口元が、最後に動いたような気がした。
別に今生、あいつに固執する理由などないのだ。
ただあの時、寄りかかる事を享受するようなおまえの甘さがどうしようもなく俺を苛立たせた。そのくせ、どうしようもなく心地よかった。
式での事だ。あいつの元に白い花が飛んだ。取らなければぽとりと落ちるだろうそれを両手で掴んだ。
花束を見て、俺たちを見た。そのあと、眉をハの字にしてわらった。俺の隣の女は良いことをしたというように笑みを浮かべた。
ちがう。あいつがそうわらうときは、なにかを我慢しているときなんだ。どうして今更そんな表情をしたんだ。
おまえが離れることを望んだはずだろう。
俺はおまえの心がわからなかった。
隣にいるぬくもりは、どうしておまえじゃないんだろうな。