現パロ/元カノシリーズ


 背中に喧騒を聞きながら、駅の方へと足を向ける。人の流れに逆らって歩くのは気力も体力も使う。
 「ひどいねぇ」
 ぽつりと漏れてしまった言葉は生温い風がさらっていった。ささくれ立った心のこの人混みは毒だ。ざらざらした表面を不躾に触られているような気すらする。
 「すみません、」
 「こちらこそ、って、あれあきら」
 ぶつかった相手を見やれば、佐一くんだった。ワイシャツを腕まくりしている様はあの頃とは違うけれど、大きなからだも、顔に入った傷も彼のそれである。そういえば、彼はこの辺に住んでいた気がする。
 「久しぶりね、休日出勤したの」
 「ああ、うん。そっちは、」
 佐一くんは言い淀んだ。また、生温い風がわたしを包む。髪の毛、きれいにまとめたのにね。頸にかいた汗が気持ちわるい。
 「じゃあ、また。元気そうで良かった」
 「ああ、また、」
 佐一くんに背を向けて駅に向かう。
 数メートル進んだところで、左手を掴まれて立ち止まった。
 「足、引き摺ってるじゃん。大丈夫なの」
 「、鼻緒が、擦れちゃったみたい」
 佐一くんはわたしを道の端まで引っ張っていった。人混みで、あんなに歩き難かったのに、からだの大きな彼の後ろにいるとスムーズに歩く事ができた。なんだか、それだけの事なのに、鼻の奥がつんとして困ってしまう。
 「そんなに痛かったの?」
 ほら、佐一くんも困ってしまった。首を振る事しかできない。
 「靴、貸すからさ。俺の家すぐなんだ。手当てさせてよ」
 付き合っていた時と変わらない彼のやさしさが心地よかった。

 佐一くん。杉元佐一くん。わたしは彼のやさしさと、表情の素直さがとても好ましかったのを思い出した。
 数年前、大学の卒業前から、社会人1年目の間お付き合いしていたのが彼だ。気持ちの良い好青年で、付き合う前から目で追っていた。今思えば20代前半の頃はそんなにかわいい恋愛をしていたのか、と我が事ながら目を細めてしまう。わたしの初めての彼氏だったし、彼には色々な初めてをあげた。
 「お邪魔します、」
 「はい、いらっしゃい」
 佐一くんは同じ部屋に住んでいた。ここにわたしはよく入り浸っていたのがなんだか懐かしい。
 「前より散らかってる、」
 「だって、今、野郎しか来ないから、」
 少し恥ずかしがる佐一くんはかわいい。メンズ雑誌や漫画類(別マがあったのは相変わらずかわいいと思う)が座椅子の周りに少し積んであった。ベッドにシャツが数枚おいてある。ブルーグレーのゆるっとしたTシャツは部屋着だろう。
 「佐一くんのにおいがする」
 思わずするりと溢れた言葉に、彼の喉が鳴ったのを聞き逃さなかった。
 わたしをベッドサイドに促してから、佐一くんはラックから小箱を出した。消毒液と絆創膏を手に取り、みごとに皮が剥けているわたしの指の間に容赦なく液体を吹きかけ、処置をした。
 「ありがとう」
 そんな事をしているうちに、外から重たいドン、という音が聞こえる。
 「今日、花火大会だもんね」
 そうなのだ。本日は快晴。19時より河川敷で花火大会だ。これから夜空にはうつくしい花が咲き乱れるのだろう。刹那的な光景を、その時だけの特別を、愛でることがすきな生物である。
 「そんなにかわいい格好してたのにね、」
 「そうなの、かわいいよね、この浴衣。友達がね、着付けしてくれたの」
 今日はわたしも花火を愛でる予定だったのだ。白地に藍と赤の牡丹を咲かせて、髪だってきれいに簪でまとめていたのだ。
 ベランダに出ない、と言われて出てみれば、向こうのマンションの横から花火が見えた。大きくお腹に響く音とは裏腹に控えめに見えるそれが、なんとなくかわいい。
 「ここ、座って」
 「あ、うん」
 「はい、桃すきだったよね」
 「ありがとう」
 ピンクと黄色のグラデーションの缶チューハイを渡された。彼がこれを持っているのは、少し違和感があるが、なんだか付き合っていた頃を思い出すようである。
 彼は白いビール缶をわたしに向けて傾けてきた。軽い音をさせて、乾杯をする。わたしは佐一くんの喉の動きを、こっそりと盗み見た。
 佐一くんとは喧嘩別れをした、とかではなく、わたしが地方に異動になり別れた。異動といっても、2年で戻って来れたのだが。こんなにやさしくて、かわいくて、そしてたまに見せる荒々しい姿のギャップが素敵なひとなのだ。側にいなくてつなぎとめておける自信が、わたしにはなかったのである。
 「佐一くん、変わらないね。でも、ずっと格好良くなったね」
 「そうかな」
 「そうだよ。あの頃みたいに、やさしくて、でも大人になったなぁって思った」
 わたし、佐一くんと誰を比べているのだろう。甘いお酒はするするとわたしの中に入っていく。わたしの内側をアルコールが満たしていく。
 「彼氏とさぁ、花火見ようって来たんだけどさぁ、ふふ、なんか修羅場になってしまって」
 「修羅場、」
 「なんか、二股かけられてたっぽいのよね。さっきね、相手に見つかって修羅場よ。こんなにおしゃれしてかわいそうなわたし、ムカついたので怒鳴ってる女の子とあいつを河川敷に置いてきた」
 「うわぁ」
 「しんじゃえって言ってしまったのだけど、そんな呪い口にしたくなかったよ」
 口からぼろんぼろん不平不満が溢れ出る。やめよ。格好悪いよ。佐一くんのなかのわたしまでみっともない女になってしまう。それは、なんだか、とてもいやだ。
 佐一くんはただ話を聞いて、わたしの背中を撫でてくれた。
 わたしがどろどろと内包物を空に溶かしている間も、その音は空気を揺らした。
 今頃、あの2人はどうなったのだろうか。
 そんな事を遠くで思ったが、取り乱しているわりにどうでも良いような気がしてきた。
 佐一くんの大きな手は、相変わらず傷だらけで、でもそれがなぜだか安心するのだ。無骨な手が、背中を撫でるのをやめた。
 「ごめんね、俺も酔ってるのかも」
 「ううん、ありがとう。慰めてくれて、おかげで落ち着いた」
 酷い顔をしているのだろう。そろそろお暇しようか。
 そう思ったタイミングで画面がひかり、彼から着信が入る。ため息がでる。スマホに伸ばそうとした手を、佐一くんが絡めとった。
 「俺ね、桃のチューハイ、味がすきなわけじゃないんだ、」
 じっとりと、夏の湿度を集めたような、その奥に隠す気のない熱が見えるような、そんな瞳でわたしを覗き込む。
 「ねぇ、あきらそんな奴やめて俺にしなよ」
 どうしてだろう、花火の音が聞こえない。
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