現パロ/元カノシリーズ


 先ほどまでの喧騒とは異なり、二次会となれば参加人数も半分ほどに減った。薄暗いシックなバーで向こうの席ではネクタイを緩めた尾形が女性社員に絡まれてるのが見える。わたしはというとジントニックをちまちま飲んで、目の前の彼から目線を逸らすことで精一杯だ。
 「先輩、聞いてますぅ」
 「ああ、うん」
 部署の飲み会には参加する事にしている。普段話さない人と絡んで、先の仕事を円滑に進めるためにも良い手段だと思っているからだ。一次会のテーブルには後輩の尾形がいた。それだけで周りの女性社員は色めき立つ。
 「先輩、二次会行きますよね」
 「うん、行くよ」
 今はこの会話すら、この状況の布石だったのではと思う。
 二次会会場はシックなバーを抑えてあった。一次会の居酒屋のように座敷席でもないため、それぞれ空いている席につき2〜6人ほどのグループで飲んでいる。尾形が何を考えているかわからないが、先輩はここで、なんて座らせた席の目の前には宇佐美が着いた。
 「先輩、それで」
 よく回る舌だ。彼が口を動かすたびに、頬の黒子が動く。その様子をぼうっと眺めている。
 宇佐美はわたしの後輩で尾形の同期にあたる。口がうまく、外面も良くて、仕事の覚えも早かった。職場で共にすれば手のかからない後輩、の立ち位置に収まっていた。
 飲み会で鯉登さんに日本酒を勧められた時の事だ。飲み慣れないそれは、わたしと相性が悪かったらしい。すっかりアルコールで溶けきったわたしはうっかり、うっかり宇佐美に介抱された。介抱の名目でホテルでワンナイトしてしまったのだ。この時気づけばわたしはベッドで喘いでいて、混乱したことだけは覚えている。あれ以来、わたしは日本酒を飲まない事に決めている。
 「僕と付き合いましょう」
 「えぇっ」
 「じゃないと、中に出しちゃいます。先輩との赤ちゃん、絶対かわいいですよぉ」
 あろう事か、宇佐美は行為中そんな提案をしてきた。だめ、とか、いや、とか、そんな音を口から出し、最終的に付き合うことを肯定してしまったのだ。行為中の言葉を信用するな、これはレディースコミックからの教訓なのだが、どうやら彼は本気だったようで目が覚めればなんともやさしい顔で寝顔を眺められていた。
 からだは丁寧に拭かれ、顔の化粧も落とされて、わたしの衣服はシワもなくハンガーにかけられていた。いたせり尽せりである。
 「おはようございます」
 なんて微笑む彼にぎこちなく笑うことしかできなかった。照れてるのかわいいですね、なんて都合よく言ってわたしの髪をわしゃわしゃと撫でた。社内恋愛、したくなかったのに。
 「それでね、起き抜けのぽやぽやした感じもかわいいと思ってます」
 「そう、」
 社内恋愛、したくなかったのは他の人間にバレるのが面倒くさいから。そして、何より別れた時面倒くさいから。
 わたしと宇佐美は先月別れた。
 そう、別れたのだ。
 社内恋愛で面倒くさい、別離である。先月末、駅前の喫茶店でお茶をしているときに「先輩は僕の気持ちわからないんですか」「こんなにすきなのに」「本気なんですよ」「先輩との温度差がつらい」なんて、言われたので「そう、じゃあ別れようか」なんて言ってコーヒーを飲み干してお店を出たのだ。
 それがどうだろう、先ほどからわたしが逃げないようにわたしの左手に指を絡ませてつらつらと口を動かしている。尾形のテーブルの女性陣には、宇佐美狙いもいたようだ。ちらちらとこちらを見てくる。宇佐美、あんたの背中に視線は感じないの。手、見られたらどうするの。
 「先輩、僕、あのシルバーの靴を履いてる時の服とてもすきです。あの青いスカート先輩のために作られたようでとても似合ってました。あの日は水族館に行きましたね。ぼんやりと水槽を眺める先輩もかわいかった。あの日の先輩、待ち受けにしてるんです。仕事中、これを見るとがんばれます」
 「先輩が僕の部屋に来た時、生活できてるかってちょっと叱ってくれたじゃないですか。あれ、嬉しかったんですよ。僕、基本ある程度の事はできるからあまり、他人に叱られたことないんですよ。ふふ。先輩のお陰で食器とか増えました。生活しやすくなりましたよ」
 「先輩が作ったハンバーグ、美味しかったです。買っておいたエプロンを使ってくれたのも嬉しかったし、玉ねぎ、炒めてるのと生のもの、両方使うのは初めてでした。ねぇ、先輩、僕また食べたいです」
 ぎゅうと左手に力が込められる。恋人つなぎのように指先が絡み合っている。あつい。
 宇佐美は持っていたグラスを一気に傾けた。琥珀色の液体が彼の中に吸い込まれていく。すぐに店員を呼び新しいものを注文する。指をにぎにぎと動かしたり、たまにそっと輪郭をなぞるように触れたり、その度にわたしの心臓は居心地が悪いと主張した。
 「先輩、どうして別れるなんて言ったんですか。僕、あきら先輩のことこんなにすきなのに」
 「それは、」
 「それは」
 運ばれ来たグラスを宇佐美は右手で弄ぶ。ゆらゆらとする琥珀色がわたしの乱れた心を自覚させる。
 「社内恋愛、色々と面倒くさいし、」
 「うん」
 「宇佐美と同じだけの熱量はきっと持てないよ、わたし」
 「それだけですか」
 「うん」
 「そっかぁ」
 宇佐美はため息をついた。それから汗ばんできた左手をきれいにつなぎ直す。湿ってるから離してほしいのだけど。
 「先輩は僕のことすきですか」
 「すきよ。じゃなきゃあんなに時間を割かないわ」
 脅して付き合うなんて、ごめんだけど。なんてもらせば、かわいいおねだりじゃないですか。なんてにこにこと返された。
 「社内恋愛の何が面倒くさいんです」
 「それは、その、周りにバレたら、とか、別れた時気まずいじゃない」
 「僕と別れて、先輩、気まずかったんですか」
 なんでそこで嬉しそうな顔をするんだ。
 「それって僕の事考えてくれてたんですよね。嬉しいなぁ。僕も先輩のことずうっと考えてました。職場でも家でも」
 「そう」
 「この前の言い方が悪かったですね。すきに温度差があっても許せます。先輩が僕の側にいてくれるならそれでいいんです。キスしたり、触れたりするのが僕だけなら。だって先輩は僕を想ってくれてるって」
 宇佐美は瞬きも、息継ぎもせずに口を動かす。その迫力に思わず左手を引こうとすると、彼は力を強めた。ちょっと痛い。
 「先輩、僕たち周りに関係を隠すのうまかったと思いませんか」
 「そうね」
 「本当は先輩が彼女だって自慢して回りたいし、僕の彼女にちょっかい出すようなら首でも絞めてやりたいんですけど、ちゃんと我慢してました。特にあの取引先の男性、ちょっと先輩に絡みすぎだと思います。お尻ばっかり見てますし」
 「こわ、」
 「怖がらないでくださいよ。ちゃんと我慢できてたでしょう。ね、僕はうまくやれますよ」
 「たしかにね、」
 今度はにこにこと機嫌が良さそうだ。わたしは宇佐美の笑うと目がきゅっとなって目尻がかわいいところに好感を持っている。言わないけど。
 「だからね、あきらさん、選んでください」
 宇佐美はわたしを自分の方に引っ張る。テーブルの縁が腹に食い込んで痛い。がたりとたった音は、わたしの中に大きく響いた。湿った手のひらはぴったりとくっついて、アルコールで上がった体温があつい。これはどちらの熱なのだろう。
 「ここで僕がキスするか、また付き合うか。ねぇあきらさん、今日は僕の部屋に帰りましょう」
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