夏の庭
現パロ/夏らしいお話が書きたかった。

 わたしはその夏、久しぶりにおばあちゃんの家に帰省していました。
 じわじわと太陽は地面を攻撃し、部屋の中までじっとりとした熱気が入ってきます。わたしの前髪はぴたりと額に張り付いて大変煩わしいです。暑さと、この家の空気に耐えられなくなったわたしは近所を散歩することにしました。
 某地方の観光地はここから車で1時間ほど、周りは山と田畑ばかりの土地です。静かな田舎は、都会の喧騒を忘れさせてくれますが、同時に孤独がのしかかってきます。夏休みに入っても部活動はありましたがお盆休みといえばそうもいきません。父方のおばあちゃんの家に、片道4時間をかけて帰省することになりました。
 おばあちゃんの家は、坂の下に位置していました。散歩をしに行くとだけ伝えて、わたしはまだ知らぬ上の道を歩きます。
 スマホ、麦茶、タオル、コインケースの入ったビニールバッグを手に緑の鮮やかな道を歩き始めました。
 木陰の中を歩くのはあの家にいるよりよっぽど涼しいし、空気も良いような気がします。15分でしょうか、もっとかもしれません。ゆるくても登りが続けば、足は疲れるもので、わたしは立ち止まりました。ろくに舗装もされておらず、足場の悪い道をサンダルで歩くべきではなかったと、少し、後悔しました。

 「あら、こんにちは。ここにお嬢さんなんて珍しいわ」
 振り向くと艶やかな黒髪の女性が立っていました。この暑い中、汗なんてかいたこともないような透き通る白い肌、血のように赤い唇が印象的です。白い肌に、レースやフリルを上品にあしらったワンピースが映えます。
 「こんにちは。すみません、私有地でしたか」
 「いいえ、我が家はこの先だけれど」
 女性はジョウロを手にしていました。足元を見れば、色鮮やかに紫色の花咲いています。名前はわかりませんが小ぶりな花弁が縦に連なっている様が素朴でうつくしいと思いました。この先というのは、その上品なアプローチの先のことを指すのだろうと思いました。
 「なにもない田舎だけれど、どうしてこちらに」
 「祖母の家に帰省で」
 「そうだったの。あら、」
 彼女はわたしの足に目を落としました。わたしはなぜかそれだけのことで、どこかに冷たい汗が流れるような気がしました。
 「足を怪我しているわ。すぐにうちなのだけど、手当てをさせてくださらない?」
 「あ、本当だ。これくらいかすり傷ですし、大丈夫です」
 「駄目よ。若くても跡が残ってしまいます。私がしたいの」
 首を傾げて問われれば、なぜか否定の言葉は出てきませんでした。
 彼女は家永と名乗りました。わたしも名乗れば「可愛らしい名前ね」なんて褒めてくれました。家永さんがわたしの名前を呼ぶと、とても懐かしくてあたたかな気持ちになります。部活動では苗字で呼ばれていましたし、父にはあれとか、おまえ、と呼ばれていましたから。
 深い緑の中、白い花が咲いていて気持ちが落ち着きます。アプローチを抜けると小さな家がありました。古い洋風の家は手入れが行き届いているようで、経年変化をした木材はやわらかな艶を出していました。お庭は色とりどりの花が咲き誇っています。わたしでも知っているようなペチュニアやラベンダーも見られました。
 「家永さんがお手入れを、」
 「そうです。美しいでしょう。この家はいただきものですが、私が手を加えたの。庭は1番の自慢なんです」
 家永さんに促されて庭に設置されていたガーデンチェアに着きます。彼女は少し待っていてと家へ入ってい行きました。
 数分後彼女は薬箱とグラス、焼き色のうつくしいクッキーを持って現れました。
 「ここね、こんなに田舎だから誰も来ないの。お喋りに付き合ってはくださらない?」
 セッティングをしながら問われれば頷くしかありませんでした。グラスには氷と薄く色付いた液体が入っています。庭で取れたハーブティー、と言ってわたしの前に出しました。
 家永さんは手際良くわたしの怪我の処置をしてくださいました。てきぱきとした動作を眺めていると「むかしは医者だったの」と教えてくれました。
 「このハーブはね、気持ちがすっきりするのよ。癒されるでしょう」
 「本当だ。それに、いい香りですね」
 ゆっくり口に含むと爽やかな、それでいて少し甘い香りが広がりました。
 「ここにはいつまでいるの」
 「あと1週間ほどいます」
 「そう、じゃあまた遊びに来てほしいわ。若いお客様は久しぶりなの」
 なにもない田舎でやることもなく、時間を浪費する事に比べたらとても魅力的な誘いに聞こえました。これが地元だったら警戒したでしょうに、彼女のやわらかな笑顔にわたしは、また来る約束をしました。

 それからの数日、彼女と色々な話をしました。彼女はわたしの知らない事を教えてくれます。庭の植物についても教えてくれました。うつくしく心を癒すだけでなく、こうすれば毒にも薬にもなる、なんて博識な彼女の話は飽きません。
 また、なんでもないような学校の話でも彼女はとても興味深そうに相槌を打ってくれました。
 「もう帰らないと」
 「あら、もうこんな時間ね」
 彼女といると、ついつい話に花が咲いて時間を忘れてしまいます。お夕飯に誘っていただいたりもしたのですが、早く帰らねば煩いので眉を下げて断りました。その日彼女は少し間を開けて「またお誘いするわ」と返しました。察しの良い彼女はそれ以降わたしを夕飯に誘うことはありませんでした。

 その日は雨でした。明日でわたしは帰ることになっていて、少しでもたくさんお話をしようとお昼ごろに彼女の家を訪れていました。
 家を出る前に「どこへ行ってるんだ」と苛立った父の声を聞きましたが、「ちょっとね」と返して、いつかのサンダルを引っ掛けてそそくさと出てきました。初日に足を怪我して以降、スニーカーを履くようにしていましたから、また切ってしまうかも、と少し後悔をしました。そのうえ、慌てて出てきたので傘を忘れてしまったのです。できればあの家にいたくないわたしは家永さんの元へと、坂を走りました。
 途中で小雨が降ってきてしっとりとしたまま彼女の家に着きました。彼女は庭でハーブを取っていました。
 「どうしたの。濡れてしまっているわ」
 「すみません、傘を忘れてしまって、」
 彼女は「そう」とだけ返して、わたしを玄関まで連れて行きました。
 「入って」
 「いいんですか、お邪魔します」
 家永さんの家の中まで入るのはこの時が初めてでした。通された部屋は静かな空間でした。音の話ではなく、生活感が無いというか、この部屋の空気が動いていた気がしない、そんな雰囲気でした。
 氷のような透明なガラスの花器に庭にある花が飾られているのが印象的でした。黄色いを中心にぐるりと細やかな紫色の花弁が縁取っているそれは、先日アスターという名を家永さんから教えてもらっていました。
 「さ、拭きなさい」
 「何から何まで、ありがとうございます」
 「いいのよ」
 彼女が差し出した若草色のタオルはやわらかく、花のような香りがしました。体についた雨露を拭います。
 「夏だけどね、体を冷やしてはいけないわ」
 あたたかいものを飲んだほうが良いと、彼女はカップを差し出してくれました。
 それはいつもとは違うハーブのようで、あたたかいのに清涼感があって飲みやすかったです。家を出てから、やっと人心地着いたような気分になりました。
 薄暗い室内で、明日帰る旨を伝えれば、彼女は大変残念そうにしてくれました。
 「寂しくなるわね。ずっといてほしいくらいだわ」
 「わたしも家永さんともっとお話ししたかった」
 帰りたくない。なんて思わず漏らせば、家永さんはわたしの手を握ってくれました。
 わたしはぎょっとして彼女の顔を見ます。だって、とても冷たかったのですから。氷のような温度がわたしの手の甲を往復しました。
 彼女の黒いまつ毛が艶々としているのがわかるような距離です。家永さんは視線を落としました。
 「あなたの指、すらりとしていて素敵ね」
 「爪の形も良いわ。マニキュアとか塗らないのね。色素沈着も傷みもしていない」
 「冬はどう?ひび割れしやすかったりするの?」
 「触れると吸い付いてくるわ。汗じゃあないのよ。瑞々しい肌ね」
 「私ね、隅々まで完璧になりたいの」
 わたしはその時やっと違和感に気づきました。頬も、唇だって葡萄のように張りがある彼女の手に。少し骨張っていて、彼女の容姿と比べると透明感や美しさに欠けるのです。庭仕事をしているからでしょうか。皮膚も少しざらざらとしています。
 背中に冷たい汗が流れるような感覚がしました。
 ですが、なぜか思考がぼんやりとしていきます。テーブルの上には上品なティーカップが鎮座していました。
 「あら、眠たいの?いいわ、お眠りなさい。まだ雨も降っているし、あなたがここに居る事を咎める人はいないわ」
 家永さんはわたしの髪を撫でました。人に撫でられるのなんて、母が出て行ってからなかったので不思議な感じがします。なんだか心は凪いでいます。
 ゆっくりと意識を手放す直前、わたしの左手を生暖かいものが這ったような、そんな気がしました。
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