現パロ/なんでも許せる方のみ。
線香のにおいが漂う中、あいつはいつも以上に肌を白く際立たせていた。いつもの華やかな化粧と違い、大人しい目蓋、あっさりとしたまつ毛、ただ陶器のような冷たい肌がそこにあった。
突然の事で、不思議と涙は出なかった。
あいつとの交際は3年目に入り、それこそ一緒になる準備も始めていたのだ。彼女の実家が県内だから、職場と実家の間あたりに部屋を借りよう。週末は不動産屋に行く予定でいた。彼女の両親は俺にもよくしてくれる。母親の唇の形はあいつそっくりだったし、父親の笑うと目尻が下がる表情もあいつと同じだった。ばあちゃんに育てられた俺は彼女が愛を一身に受けて育ってきた事を感じたし、そんな彼女は俺を一身に愛してくれた。よく笑い、よく泣く女だった。俺に理不尽があれば俺より怒ったし、祝い事は俺よりも嬉しそうだった。ばあちゃん以外で俺の誕生日を祝ったのもあいつだけだった。
火曜日
「ちゃんと飯は食えよ。明日子さんが心配する」
「ああ」
恋人の訃報で休みを取っていた事を杉元と白石は知っていた。妙に心配をする明日子を交え、ファミレスで飯を食った。そういえば、葬式から食欲がなかったのだ。食パン、ゼリー、カップ麺、コーヒー、ここ3日の胃に入れたものを思い浮かべる。
駅のトイレで全部吐いた。
自販機でミネラルウォーターを買って帰宅した。とりあえず冷やしておこうと冷蔵庫をあける。
冷蔵庫にはあいつと作り置きしていたおかずが残っていた。
唐揚げ、きんぴら、ハンバーグ、
平日夜は2人ともくたくただから、時間があった日に珍しく2人でキッチンに並んでせかせかと作っていたのだ。
「卵を使っているものから食べる、だったか」
ミネラルウォーターを仕舞うのをやめた。ハンバーグを電子レンジに入れる。オレンジの光を浴びながらくるくる回るのを見つめた。
そのままキッチンで食べた。きっとあいつがいたら、行儀が悪いと叱ってくるのだろう。
水曜日
定時に上がり、コンビニにだけ寄って帰ってきた。
「ただいま」
虚空は返事をしない。
コンビニで買ったパックの米を電子レンジに入れる。冷蔵庫の中では唐揚げときんぴら、小皿を2つだし半分ずつ盛り付けた。米のあたためが終わったので唐揚げを電子レンジに入れた。
唐揚げもきんぴらも塩気がちょうど良く、しなびた俺にはとても染みた。
木曜日
少し残業をした。
昼に白石がやってきて、隣で飯を食われた。
明日子から持たされたらしい弁当を渡された。うまかったが、やっぱりあいつの味付けが恋しい。
昨日の残しておいた唐揚げときんぴらを食べる。あいつが残していったものが俺の体をつくっている。3年間、あいつが作ったもの、俺が作ったもの、たまに2人で外食。俺の体はすっかりあいつ関係のもので構成されていたのだろう。あいつは死んでもなお、俺に入り込んでくる。
これで唐揚げときんぴらも終わってしまった。
金曜日
冷凍庫を開けた。いくつか小分けにされたカレーが入っている。
これが最後のあいつの手料理である。
これで終わってしまうのか。ただ、食べなければ、これは俺の体になることもなければ、生ゴミとして終えてしまうのだ。冷凍していたとはいえ、ずっとこのまま、なんてわけにはいけないのだ。
久しぶりに炊飯器を使った。
解凍したルーを、あいつが気に入っていた淡いグリーンの皿に盛り付ける。少し深めのこの皿はカレーやパスタに重宝していたのを思い出した。
「辛口食べれなかったもんな、」
あいつは辛いのが苦手で、甘口カレーと中辛カレーのルーを半分ずつ入れていた。その上、玉ねぎもたっぷり入れるからはじめは甘すぎると感じていたのだ。今はもう舌に馴染んでしまった。
玉ねぎはたくさん、にんじんは普通、たまに季節の野菜が入る。夏は特に豪華だった。肉はその時の懐具合で種類が変わっていて、一度に大量に作って冷凍するからじゃがいもは小さくってとけてしまう。カレーの次の日はカレーうどんかグラタンに姿を変えるのだ。
「鶏肉がでかいな。美味いよ」
虚空から声が返ってくるはずもない。
このグリーンの皿を買ったのは、同棲を始めてすぐだった。生活用品を買い足しに出た時のことだ。俺の持ち物の少なさから、食器類なんかは同じものを揃えようと雑貨店に行ったのだ。あいつはこの色がかなり気に入ったようで、マグカップや小皿なんかも同じシリーズで揃えていた。はしゃぐあいつを眺めていれば「百之助さんも興味持ってよ」なんて頬を膨らませていたのだった。 俺自身は正直なんでも良かったのだが、はしゃぐあいつを見ているのは心が穏やかになり、しあわせな時間だった。
葬式の時も、彼女が灰になったときも、一つも涙なんてものは出なかったのだ。
ああ、やっぱり俺は何かが欠落しているらしい。
「今更、」
目の奥が熱い。鼻の奥が痛い。喉が苦しい。
知らなかった。
半身を喪ったはずなのに、半身が、彼女が、あいつが、おまえがきっとこうしたのだ。初めて涙が出た。母親が死んだときも、ばあちゃんが死んだときも薄情にも水分を分泌しなかった腺が、俺のものでないかのように働いている。淡いグリーンの器は視界で歪む。おまえが泣いたとき、俺はブサイク、と揶揄ったが、なるほど、これは自分じゃ止められそうにない。
食べ終わった器を見ながら、俺は肩肘をテーブルについて頭を抱えることしかできない。
やっとわかったのだ、おまえは帰って来ないんだ。
俺はおまえのことを心底愛していたし、おまえに、たしかに愛を与えられていたのだ。おまえがいなければこんなに苦しむことはなかったのに。おまえが俺を彩ったから、俺は変わってしまった。
泣きはらした顔でおまえの写真を見る。
小分けにされたカレーはまだある。
思い立って、俺はあいつの両親に電話を繋いだ。