クライネスメッチェン | ナノ


流血表現あり


ある部屋から苦しそうな声が聞こえ、ソレの正体がなんなのか、訊かずともそこにいる住民には知っていた。そして、一人の幼い少女も今そこに近付かないほうがいいということだけはわかっていた。

キィ、と控えめに開かれた扉の隙間から覗くビー玉のように大きく、忙しなく動く瞳は薄暗い部屋の中を隅々見渡す。ふと止まった視線の先にはこちらを見る、と言うには優しすぎる鋭い目付きの青年が立っていた。


「何の用ね」


声からわかる通り、青年は腹の虫が悪かった。青年があの苦しそうな声の発信者で、どこか調子が悪いのであれば苛立っている理由もわからなくはないが、まずそれはありえないことだ。まだ片手で足りる年齢の少女は青年がどこか悪いのではないかと思い扉を開けてみたわけだが、青年の前に座る男を見れば部屋の外にずっと聞こえていたソレの正体が青年ではないことにすぐ気付いた。


「フェイタン、その人なにかわるいこと、したの?」


おずおずと訊いてきた少女に青年――フェイタンと呼ばれた男――は顔を歪める。この男の現状、虚ろな目や抉られた肉、止め処なく流れる血とそのせいで男の座っている椅子を中心に広がる血の海。これほどの出血量に関わらず男が死なないのはフェイタンだからこそ為せる業だろう。しかしこれを見て、この少女はこれが只事ではないことを少しは理解できているのだろうか?あまりにも恐怖を抱いていないように見えるその姿に、少女の無知に、呆れ舌を打ちたかった。

それに対して少女はただ純粋に、男が何か悪さをしてフェイタンに説教をされていると思っていた。この建物にいる住民は素知らぬ顔でただ黙々と自分のするべきことをやっていたことを思い出したからこそそういった答えが出た。もしもフェイタンが悪いことをやっているのなら皆が止めるだろう(と悪を知らない少女は思っている)し、何より少女は幼さ故に全ての見方が緩かった。善悪にしても、恐怖の対象にしても。


「……そう、そんなとこよ」
「そっかー!じゃあやっぱりフェイタンはおこってたんだね!」


怒ってた?それはフェイタン自身が怒っていたということなのか、この男に対して説教をするという意味で怒っていたということなのか、多分少女が思っているのは後者だろうとフェイタンは思った。

しかし少女の言う通り、確かにフェイタンも苛立ちを感じていた。目の前でギリギリ程度に原型を留めている男に。

元々この男から情報を聞き出すことが団長からの任務だった。男の居場所を見つけるまでがシャルナークの仕事だったがそれはあっさりと片付いてしまいそんな簡単に見つかってしまうほど今回は味気ないヤツかと興をさました。しかしいざフェイタンが捕まえようとすると、男は舌を噛み切って自害しようとした。結局それはすぐに見つけたフェイタンによって阻まれることとなったが、フェイタンはその男の行動に喜びと愉しさを感じていた。情報を吐かされるくらいなら死んだほうがマシだ、男の行動はそういった風にフェイタンの目に映り、なんて拷問し甲斐のありそうなやつだと隠れた口が弧を描くほどに。

しかしそれはフェイタンの勘違いである。男はただの捨て駒であり、そしてそれを男自身十分理解していた。ここで逃げ切れたとしても捕まったことを知られればもう使い物にならないと、まるで使い捨てのように殺され、フェイタンに捕まったとしても必要な情報を言えば役目を終えた自身は殺されてしまう。ならばいっそ、自害したが早いのではないか。それが男の舌を噛み切った理由だった。残念にも失敗に終わったから、男は万に一つもの可能性に縋るしかなかった。

拷問をされる前に自身が知っていることの全てを打ち明け、命乞いをする。

男はこれしか頭になかった。それがフェイタンの一番望んでいない結果だということを知らずに。


「お前、早くあち行くよ」
「なんで?」
「ここにずといられたら、団長あとでうるさいね」


ここだと血の匂いが付きすぎる。期待していた男に裏切られ、用が無くなった男をただひたすら拷問の実験にしていたときに現れた少女。数日前から目障りな存在だった。こっそりと殺して跡形もなく消してしまえばバレないのではないかと思ったことが何度あったことか。そのたびにタイミングよく団長やシャルナークから「殺すなよ」と念を押されたフェイタンはならばあの少女の近くにいないようにしようと考えた。自身が少女を避ける形になるのは不満であったが、そうでもしないと守れそうになかった。こんな幸せそうな顔の子ども、ほんと、見ていて殺したくなる。


「ね、フェイタンもいっしょにもどろ!」
「いやね」
「……いいっていうまでここにいるもん」


ぷうと膨らませた両頬は本当に怒っているのだろうかと疑問に思いたくなるほどだった。フェイタンは頑固だが、それ以上にこの場に座り込んだ少女は頑固だった。これはこの数日しか過ごしていない間に見て、聞いて、覚えられた記憶だ。フェイタンは聞こえるように舌打ちをすると、愛用の傘の柄を持ち、スルリと刀を抜いた。


「ナマエ」
「……なぁに?」
「こいつにおやすみて言てやるね」
「その人ねちゃうの?」
「そう、今から永遠に」


フェイタンの口から出た言葉に、びくりと男の身体が揺れる。少女にはその永遠の意味がよくわからなかったものの、寝るということだけを理解して、そっかー、じゃあナマエたちがうるさくしたらねれないね、と素直に返し、一言。


「じゃあ、おじさん、おやすみなさい」


言葉を発し終えた刹那、薄暗い部屋で男の胸に銀色の何かが刺さったような気がしたが、生憎それはフェイタンの背中でほとんど隠れてしまい、少女は首を傾げるだけだった。

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