恋は盲目 | ナノ


ノボリの場合

ゴツリ、後頭部に重い衝撃が走って、そこから私の意識は途絶えた。





いつからでしょうか、ついついナマエ様を目で追ってしまうようになったのは。……たぶん、一目惚れというやつでしょう。思えば最初から追っていたような気がするのです。ナマエ様は優しくて笑顔が素敵な方でございます。わたくしがそうなったように、きっと、他にもナマエ様に想いを馳せる輩がいるに違いありません。それなのにナマエ様ときたら、その可愛らしい笑顔を無償で振り撒くのですから、そのうち変な虫が付くのではないかとわたくしは気が気じゃございませんでした。

わたくしの気持ちなど露知らず、今日とてナマエ様は朝を迎えました。朝一番のまだ眠そうな、背筋を伸ばす声はそれはそれは愛らしく、お恥ずかしいことながら思わず欲情してしまいそうになります。

わたくし達二人が会える時間はあまりありません。お互い入れ違いになることもしょっちゅうです。しかしわたくしは悲しいとは思いません。……寂しいと思うことはありますが、ナマエ様のお声を聞けるだけで幸せでございます。





最近ナマエ様はある男に言い寄られているようです。かなり参っているらしいのですが、本人にはバッサリと言えずに困っているとおっしゃっていました。優しすぎるゆえに断れず、ついつい笑顔で受け入れてしまう。それはナマエ様の好き(よき)ところではありますが、わたくしとしてもかなり悩みの種であります。だからこそ、わたくしがナマエ様をお守りしなければいけないのです。愛する者に手を差し伸べるのがわたくしの役目なのです。





目を覚ますと温かい布団の中だった。いつ私は家に帰ってきたのか。思い出そうとしても思い出せず、記憶として覚えているのは残業上がりで帰りの夜道を歩いていたところまでである。

元々今日は残業をしなくてもよかったのだが、最近言い寄ってくる男に飲みに誘われ、そろそろそれが限界に感じていた。私は他の同僚にはバレない程度でエスカレートする行為、セクハラにうんざりしていたし、それ以上に恐怖を感じていた。後が怖くて助けを求められない性格の自分だから今日はないはずの残業を言い訳に断り、本当に残業をしていた。あの男に度を越したセクハラをされるくらいなら真面目に残業をやって、明日の分の仕事を少しでも片付けるほうが何倍もいい。

ここまで考えて、意識はハッキリしているし、やけくそでお酒を飲んだ覚えもない。そもそもお酒は苦手な部類なのであまり飲まないのだ。やはりおかしい。とりあえず起き上がろうといつものように腕をぐっと上に上げて背筋を伸ばそうとして、ふと手首に違和感を感じた。違和感を感じると共に、ガチャガチャと安い金属の擦れるような音が耳に届く。その左手首に巻かれたのは明らかに拘束を目的とするように手錠が嵌められていた。

恐怖で声が出なかった。一瞬出たのは息を吸う音だけ。これは一体なんなんだ。怖くて部屋を見渡すが、いつもの私の部屋と何一つ変わっていない。しかし違和感はあった。いつも寝る前に必ず側にいたはずの、私の唯一のポケモンの姿がどこにも見つからないのだ。手錠によって繋がれた手首に、いないポケモン、気付けば私は恐怖に支配されていた。

突然、キィ、と音を立ててゆっくりと扉が開いた。怖い、はずなのに、その扉から目が離せない。


「ナマエ様、おはようございます」


もしあの言い寄ってきていた男ならどうしようかと思っていると、出てきたのは私の予想とは違い、スラリとした雰囲気のいい男だった。私の名前を違和感なく呼ぶその姿に、知り合いかと考えたが、私にこんな知り合いはいない。誰かわからない人物が、自身のことを知っているというのは、それもまた恐怖であった。


「………だ、れ…です…か…」


必死に絞り出した声はカラカラだった。喉が渇いているわけでもないはずなのに、気付けば汗がびっしょりと服を濡らしていた。その様子に男は「やはり寝起きは喉が渇きますね。こちらをどうぞ」と冷たい水が注がれたコップと真っ白なタオルを差し出してくる。しかしそれを受け取れるはずがない。私の手は震えている。何よりもそれが本当にただの水なのかわからないし、なぜこんな犯罪のようなことを私にしといてそんな優しくするのか。甚だ疑問でしかなかった。それを見かねてか、男は思い出したように話し出した。


「誰ですか、だなんて他人行儀な。どうぞわたくしのことは、ノボリ、と呼んでくださいまし。だってわたくし達、恋人同士でしょう?」


何を言っているんだこの男は。恋人?誰と誰が?この男と、私が?どういう思考回路を持ってすればそこに辿り着くのか。これならまだ、あの男の度を越したセクハラを受けるほうがマシだった。男は私の反応なんて気にも留めずに言葉を続ける。「あの男が」「ナマエ様が」その言葉は明らかに私が最近悩んでいた内容であり、家の中で自身のポケモンにしか溢していない愚痴だった。


「おや、顔色が優れないようですが…無理もありませんね、あの男のことを思い出してしまったんでしょう。しかしもう大丈夫でございます。これからはわたくしがナマエ様の側にずっといるのですから、安心してくださいまし」


目を細めて笑った顔は、あまりにも綺麗で、凍ってしまいそうなほど怖かった。



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