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五分ほど話しただろうか。もうそろそろ切れ、と目で訴えてくるジンさんに従って電話口で小言を言う――本人はまだ言い足りないだろう――相手を宥めながら電話を切った。切る瞬間「おい!ナマエ!」と呼び止められた気がしたが気がしただけだ、うん。私なんにも聞こえなかったからあとから八つ当たりしないでねカイト!
「カイトはどうだった?」
「もちろん怒ってましたよ」
前日に出て行く雰囲気を見せるわけでもなく突然いなくなったわけだし、置いていかれた身としてはあれが正しい反応だと思う。カイトは目が覚めたとき人の気配が全くないことに違和感を感じたらしく、 何かあったんじゃないかと私達の身を案じてくれたというのに、残念ながら何かあったわけではなくただカイトが置いてきぼりを喰らっただけだった。残念ながら、というのは少しおかしな話かもしれないが。しかしこれが私の立場だったら私も当然怒る。私じゃなくても怒る人は多いだろう。
「俺達の気配に気付かなかったあいつが悪い!」
「それ本人に言ってあげればどうです」
「カイトが俺を見つけたときにまだ覚えてたらな」
あと何年後の話になるんだが。それならきっと今回置いていかれたことよりも探している最中に積もりに積もる別のことで文句を言われるに違いない。
「あ、ところでジンさん」
「ん?」
「飛行船のチケットは取ってるみたいですけど、どこに身を隠すかは決めてるんですか?」
「身を隠すってお前……まぁたしかにカイトに見つからないようにするつもりじゃあるけど別に俺はコソコソするつもりはねぇぞ?」
身を隠さずしてどうやってカイトから逃げるというのか。「とりあえずなぁ」とジンさんは目的地を話し始めたが、その告げられた場所を聞いて私は『見つけてください』と言っているようなもんじゃないのかと耳を疑った。
*
ジンさんの気配どころかあのナマエの気配さえしない、不気味なほど、静かな朝だった。
「……ナマエ?」
真っ先にジンさんの元へ行かなかったのはあの人なら何かあっても大丈夫だろうと思っていたからだ。これは過大評価ではなく、たとえA級賞金首のクート盗賊団が束になって襲ってきてもジンさんは返り討ちするという自信がある。まあ、普通に考えてその盗賊団が襲ってくることはないだろうし、ジンさんもよっぽどのことがない限り殴り込みに行くような人でもない。どれかというと自身の興味をくすぶること以外には一切関心を持たないような人だ、そんなことありえないだろう。
名前の人物が普段寝ている部屋の扉の前に立ち、ギリギリ聞こえる程度の小さな声で呼んだ。しかしその返事はなく、俺はもう一度、先程よりも少し大きめの声で名前を呼ぶが、やはり反応がない。間を置いてから音を立てないようにゆっくりと扉の取っ手に手をかけた。
「………な、んで」
何度も入ったことのあるその部屋は元々私物が少なかったが、自分の目に映るその部屋は少ないどころか何一つない、もぬけの殻だった。敵が入り込んだとしてもここまで綺麗に片付けていくはずがない。俺はナマエの部屋を後にして急いでジンさんの部屋へと向かった。
ナマエのときのように確認することもなくバンッと勢いよく扉を開ければ、ナマエと同様、ジンさんの部屋も驚くほど綺麗――普段は資料などでかなり汚い――になっていた。だがジンさんの部屋はナマエのように何もかもがなくなっていたわけではない。ふと目に付いたソレに思わず目を見開いた。
「ジンさんの……ハンターライセンス?」
手に取ろうとしたがそれよりもライセンスの下にあった荒っぽい見慣れた字が書かれてある紙に興味が湧いた、という表現はどこかおかしいかもしれないが、ライセンスよりもそのしわくちゃな紙が今は大事なような気がしたのだ。紙を掴み字面に目を通せば、鏡で見ていないのに自分の顔が読み進めるごとに曇っていくのがわかった。眉間の皺はかなり深いに違いない。
“最終試験”
大きく、主張するように、一番最初の行にあり、ジンさんを探し当てること、ヒントとしてライセンスだけは置いていってやるということ、ついでにナマエも連れて行くこと、など他にもいくつか書かれていた。なんでナマエまで……と思ったがナマエが今年中は修行を、と頼んでいたのを思い出した。それにしてもジンさんとマンツーマンでやる羽目になるとは思ってもいなかっただろう。
「……ハァ」
どうせ誰にも聞かれることなんてないと俺は大きく溜息を吐いて一か八か二人の携帯へと電話を掛けてみたが、ジンさんはすでに番号を変えたらしく繋がらないし、ナマエは電源が入ってないらしく繋がらない。二人の声の変わりに聞こえてくる平坦で機械的な声を聞いていると段々不満が積もってきて、俺はブツリと電話を切った。
ナマエから電話が掛かってきたのはそれから約一時間後の話である。
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