こんにちは、はじめまして! | ナノ
【四萬打ヒット/サクセラ♀/出産話】





恭平と結婚して一年後に、めでたく子供を授かった。
俺の子供を産みたいとずっと言っていた恭平が、ひどく嬉しそうに妊娠の報告をしてくれた日の事を俺は今でも鮮明に覚えている。
最初こそ、どこか抜けている事の多い恭平が母親になるだなんて想像も出来なかったが、妊娠が発覚してからと言うもの、あれよあれよと言う間に恭平の顔はすっかり"母親"になっていた。
行動もしっかりして、転ばないように気をつけたり、食事や規則正しい生活をする事に気を遣ったり。
これが子供を産もうとする母親としての力か、と思うと、女性は本当に凄い生き物だ。男とは比べ物にならないだろう。
何と言っても、新しい生命を生み出すのだ。男には決して出来ない、神聖な事。
その出産の大変さは、俺の想像をはるかに越えていた。



■こんにちわ、はじめまして!■



その日は突然やってきた。
朝、恭平の悲鳴で目を覚まし、何事かと台所へ向かった。
朝食の準備をしていた恭平の足元にはひっくりかえったプラスチックのコップと水溜り。
なんだ、手でも滑らせたのかとコップに手を伸ばそうとして、恭平がそれにストップをかける。
よく見ると、恭平の脚が濡れている。

「良則さん、落ち着いて聞いてくださいっス。…俺、破水したっぽい」
「…オイ、予定日までまだ一週間あるだろ」
「とりあえず、病院行くから車出して…」
「わ、わかった」

こんな時、どうすればいいのか全く分からない。
とりあえず恭平の言うとおりにするのがベストだろう。
俺は細かい指示を恭平に仰ぎながら、準備を進めた。

いつ何が起きても良いように、と、恭平は入院に必要な荷物をしっかりとまとめて準備していたらしい。
そのリュックを車に積み込み、重たい腹を抱えた恭平の身体を支えて後部座席へと乗せる。
二人分の命が宿るその身体は、結婚当初とは様変わりしていたが、なんだかそれが自分にも誇らしい。
彼女がこれから成す偉業に立ち会えると考えると、嬉しくもあり緊張もした。
恭平はもう立派な母親だが、俺はまだちゃんと父親になったと言う実感が無い。
きっと子供を抱いたその時にならないと無理だと思っていた。
俺を父親にしてくれるのは、俺の子供を産んでくれる恭平であり、俺と恭平の子供として生まれてきてくれるお腹の子だ。
早く会いたい。
予定日よりも早い破水に不安は募るが、俺と恭平の子供だ、きっと大丈夫だろう。
俺は安全運転で、しかし迅速に病院を目指した。

病院に着き診察してもらうと、まだ子宮口が開いていないので出産までには時間がかかる事と、子供の成長度合いによっては帝王切開しなければならないかも知れないとの事を医師から告げられた。
ひとまず恭平は入院する事になった。

「あと数時間後には赤ちゃんとご対面かー」
「お前な…不安とか緊張とかないのかよ」

病室のベッドに座ると、恭平は笑みを浮かべていた。
だって十ヶ月もお腹にいた子に会えるんスよ!と言う恭平に、俺は不安で仕方ねぇよ、と言った。
にへら、と顔を崩して笑う恭平は不安などどこ吹く風で、とにかく数時間後に会える子供の事が楽しみで仕方ないらしい。
案ずるより産むが易し、とはよく言うが、産めない俺は案ずる事しか出来ない訳で。
大きく出っ張った恭平の腹にそっと手を当てて、囁いてみる。

「元気に生まれて来いよ」

返事をするようにポコン、と子供が腹を蹴ってきた。ような気がした。



その日の午後になり、陣痛が来た。
しかし、陣痛が来たからと言ってすぐに生まれる訳ではないんだと、俺はその時初めて知った。
痛がる恭平の腰をさすってやり、額に浮かぶ汗をタオルで拭いてやる。
それ以外、何も出来ることは無かった。こんなにも自分が無力だと感じたことは無かった。
陣痛には痛い時間と痛くない時間があり、その時間の間隔が短くなればなるほど出産に近づく。
痛みに苦しむ恭平は見ていられないほどで、いかに出産が大変かを物語っていた。
しかし、それはまだほんの序章に過ぎなかった。

「痛い…痛い痛い痛い…!!」
「き、きょうへ」
「うぅーーーっ!!いったぁああああいー!!」
「大丈夫なのか…!?」

痛いと顔を歪める嫁に、何だか責任を感じてしまう。
自分が妊娠なんてさせなければ、こんな苦痛を味わわせる事もなかったのでは、と考えてしまう。
出産の時、男は何の役にも立たないと耳にしてはいたが、本当に無力だ。

陣痛の間隔が10分を切り、恭平は分娩室へと通された。
看護師の人に"立ち会われますか?"と尋ねられ、断ろうとしたその時、恭平が俺の服の裾を掴んで離さなかった。
それを見た看護師は、奥さんの希望に沿ってあげてください。と諭してきた。ごもっともだ。
俺は意を決して分娩室へ行く決意を固めた。

幸い、帝王切開ではなく普通分娩で出産できそうだった。
マスクや手術着など必要な装備を整えて、恭平が寝る分娩台の隣に立つ。
痛みに耐える恭平の顔は歪み、壮絶な痛みである事が見て取れる。
改めて、この痛みを与えたのは妊娠させた自分だと思うと、やはりものすごく心が痛かった。
すると、痛みが和らいだのか目を開けた恭平が俺を見て微笑んだ。

「そんな辛そうな顔、しないでください…せっかく、この子が生まれたいって、初めて自己主張してるんスから…。それに…」
「…それに?」
「俺は良則さんに、こうして母親になれる喜びをもらったんです…そりゃ痛いけど、痛いのは良則さんのせいじゃない。俺、頑張るっスから…見ててください…」

汗だくで微笑む恭平の顔が歪んだのは、俺の目に汗が入ったからだろうか。
スッと出された手を握ってやると、ホッとした様に目を閉じた恭平。
その次の瞬間、恭平の眉が寄り、今まで堪えてきたのであろう、悲鳴に近い声を出して、握った手を物凄い力で握り返してきた。

「うあああぁぁぁっ!!」

そんなに痛いのかと思うとやはり心配だ。男が出産の痛みを経験すると死ぬ、とよく言われるが、それはあながち間違いではないのかも知れない。
か弱くて力の無い恭平が、俺の手が痛くなる程の力で痛みに抵抗している。
頼むから、早く生まれてきてくれ。
痛みに絶叫して泣き叫ぶ恭平の隣で、俺は無力にも祈る事しか出来なかった。

それから何分が経っただろうか。1秒が1分にも感じられた。長い時間だった。
医師が「頭が出てきたよ、お母さん、あとちょっとだ。頑張って!」と声を上げる。
歯を食いしばった恭平がいきむと、医師の手の中に赤ん坊が。一瞬遅れて元気な産声が部屋にこだました。

「生まれたよ!おめでとう!」「「おめでとうございます!」」

医師や看護師が口々におめでとうと言ってくれた。
俺はまだ実感が湧かず、とにかく恭平が心配だったので、恭平に声をかける。

「恭平…?」
「よし、のりさ…おれ、がんばった、よ…」

途切れ途切れになりながら言葉を紡ぐ恭平。
視界が再び歪む。

「よしのりさん、ないてる…めずらし…」
「…っうるせぇ、感動してんだよ。悪いか」
「ううん…えへへ」
「恭平、よく頑張ったな」
「よしのりさんが、いてくれたから…。ありがとう、おれを、ははおやにさせてくれて…」

疲れているのだろう、力なく微笑むその姿はいかに出産が大変なものなのかを全身で物語っていた。
必要な処置などを終えて、綺麗になった赤ん坊を抱いた看護師が俺の目の前にやってきた。

「お父さん、抱いてあげてください」
「え、でも…」
「良則さん、抱っこしてあげて…俺はもう十ヶ月も抱っこしてたからいいの」

首が座らない赤ん坊は柔らかくて、大事にしないとすぐに壊れてしまいそうな儚さを湛えていた。
そしてその赤ん坊を抱いてやっと、「ああ、俺も父親になったんだな」と思った。
隣で嬉しそうに微笑む恭平と目が合う。

「恭平」
「はい?」
「俺を父親にしてくれてありがとう。この子を産んでくれてありがとうな…」
「ふふ、泣かないでくださいよ」
「うるせぇ、たまには泣かせろ」

子供の顔を見ると、まだ笑うはずがないのに笑っているような、そんな気がした。

「ホラ、お前もちゃんと抱いてやれよ」
「あ、はい…うわ、緊張する!」

小さな命は、自分を育んだ母親の腕にぴったりと収まった。
出産を経て、本当にしっかりした母親の顔つきになった恭平は、腕の中の子供に微笑みかけた。


「こんにちわ、はじめまして!」




家族が増えた。
守るものが増えた。
愛情が増した。
楽しみが増えた。

この日、今まで以上の幸せと、可愛い天使が俺達二人のもとへやってきた。



END
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