こんなに小さくて可愛いくて柔らかそうなのに、天ぷらうどん一杯に匹敵するカロリーを持っているだなんて、ショートケーキはかわいい癖に凶暴なアライグマのようだ。一時の欲望に任せてお腹に入れてしまうと翌日泣きを見る結果になる。んだけど、知ってるんだけど。

「……食べたいなあ、ケーキ。」

「北都ちゃんダイエットしなきゃって言ってたじゃないですか。」

言ってたけどさあ言ったけどさあ。食べたいものは仕方がない。もともと甘いものに目がないのだもの。こんな、信号を渡ってすぐの目に入りやすいスイーツショップでいちごフェアをされたら、食べないわけにはいかないだろう。
星ちゃんもケーキ好きでしょ、宝石みたいなケーキが並ぶショーウィンドウから目を逸らし、チラリと背後の男を見る。なんだかんだで星ちゃんは昴流の姉の私に優しいから、同意をくれるものとわかった上での質問だ。

「すみません、僕今ダイエット中でして。」

「えー!?星ちゃんダイエットしてるの!?大丈夫よ、星ちゃんなら太ってもせくしーだから!」

「北都ちゃんにそう言われると安心しちゃうなあ。でも北都ちゃんも二の腕周りがわずかに……」

キャー!とお腹の底からでてくる叫びと共に早速彼の言う二の腕を確認する。指で何度か揉んでみるが、長袖の上からでは太ったのかどうかよくわからない。わからないから余計に不安になる。
星ちゃんのいけず。頬を膨らませるも、しかし私は挫けなかった。今日はいっぱいウィンドウショッピングしたから、きっとケーキ一個と紅茶分くらいはカロリー消費しているはず。頭の中で歩いた距離と大体の消費カロリーを算出し、自分のなかで言い訳じみたゴーサインを出した。

「大丈夫よ!沢山沢山歩いたから、ちょっと贅沢したって太りはしないわ。さあケーキよ!」

「駄目ですよ北都ちゃん。寄りたいお店があるって言ってたじゃないですか。」

確かに行きたかったショップにはまだ半分も行っていない。それをぶっちぎってのんびりするにはショッピング欲も治まっていないから、ケーキ休憩は無しで夜まで歩き回った方がいい気もする。しかし私はショーウィンドウの前でケーキとにらめっこしたままそこを動き出したりしなかった。
なんとなく、背後にいつもとは違う空気を感じて、ショーウィンドウに映った男の平和ぼけしすぎとも言える垂れ下がった目尻のあたりを見る。

「星ちゃんはケーキ食べたくないの?」

「さっきも言いましたがダイエット中で……」

ダイエットだなんて勿論嘘だ。星ちゃんは時々嘘つきになって、なにか、良いことか悪いことかわからない何かを私達に悟られないようにしている。
いちごタルトの横に星ちゃんのふにゃふにゃした表情が映っていた。口元を見る。目尻を見る。柔らかい微笑みがもたらす皺を見る。それらに“なんとなく”でいいから違和感を感じたら、私は今日一日彼に厳しく当たろう。そう決めた。私の勘は結構、本当のことを言うとかなり当たるのだ。

「北都ちゃん、そんな所にいたのでは他のお客さんに迷惑ですよ。」

「いーの。私もそのお客だもの。ね、星ちゃんはショートケーキにする?チーズケーキにする?」

「太っちゃいますよ。いいんですか。」

「いーいもーん。沢山動いたからちょうどいいくらいだわ。」

北都ちゃん、彼がそう私を呼んだとき、優しい微笑みを形作る睫のアーチが一瞬だけ、痙攣した。
やだな。私の勘がため息を吐くような諦念と共につぶやいた。星ちゃんがどこかおかしいと告げている。

「……やだな。」

「どうかされたんですか。」

「いやったらいやよ。星ちゃんデート楽しくないの?」

「もちろんとっても楽しいですよ。北都ちゃんのお洋服を見たりネクタイを選んでいただいたり。」

「でも何も買わなかったじゃない。私のワンピース姿を見ても上の空でなんだか落ち着きないし。星ちゃんがいらないなら一人でケーキ食べるわ!」

たっと駆け出しスイーツショップの扉をくぐる。中は昼食時を遠く過ぎ人もまばらで、私は大きなガラスがはめ込まれた窓のそばのテーブルに座った。
いいわよいいわよ。沢山ケーキ食べてやるんだから。領収書も星ちゃんに回すんだから。昴流にも告げ口しちゃうんだから。

「(しちゃうんだから!)」

ぷりぷりしながらメニューに目を通す。いちごショート七百円、いちごタルト八百円、いちごとブルーベリーのスペシャルセット千五百円……。
ふいに目で追うメニューのカタカナにどこからか伸びてきた影がかかり、私は身を引き締めて不機嫌な声を作った。疑念は極力隠す。先回りされては厄介だ。

「……星ちゃんに食べさせるケーキなんてありませんよーだ。」

「すみません北都ちゃん。そんなに機嫌を悪くしないでください。」

答えず、ロマンチックな装飾に囲われた窓ガラスから外を見る。夕方になりつつある街では、煉瓦模様の舗装が施された歩道の街灯や向かいのショップの看板にポツポツとライトが灯りはじめた。
昴流どうしてるかな。
私と星ちゃんがケンカしたって知ったら、昴流はどちらの味方をするだろう。いや、昴流はどっちの味方もしないな。どちらの肩も持てないで、きっとひどく悲しむんだ。やさしいやさしい、私には勿体ないくらいの弟だもの。
ここにいない彼のことを考えると、凍ったように胸が苦しくなって、伺うようにガラス窓に映った向かいの男に視線をやった。

「星ちゃーん。」

「はい。」

「なに悪いこと考えてるの?」

ガラス越しにうっすらと浮かぶ星ちゃんを見つめる。直接は見ない。かち合った黒い瞳がいつも私が見ているものとは違う、影のようなものを含んでいたら、私はずっと見つめ合っていられる自信はない。

「バレましたか。北都ちゃんが着ていた黒のミニスカートを昴流君に穿かせたらどうかと考えてました。」

そうじゃなくて。そうじゃなくてよ。

「私が着てたものなんてぼんやりとしか見てなかったくせに。」

「見てましたよ全部。トリコロール柄のバッグも透明なハイヒールもすべて北都ちゃんに似合ってました。」

だったらなぜその時に言ってくれなかったの。急に、いつもなら軽く五六個持ち歩くショップバッグがひとつも足元にないことを寂しく思った。
そういえば、注文がまだだ。下を向いた視界にメニューが目に入り、口の中が急に寂しくなる。すみませーん!精一杯呼ぶけれど、店員さんは新たに入ってきたお客さんに気を取られていてこちらを振り向きもしない。
忙しいのはわかるけれど、ほんの少しだけむっとして椅子から立ち上がった。

「忙しいんですよ。他のお店にしませんか。」

星ちゃんはそう言ったけれど、私はつかつかとレジ付近の店員さんに近づいた。

「北都ちゃん!」

急に大きな声で呼ばれ、思わずびくりと足をとめる。どうしたの、星ちゃん。振り返って向き直り、出した言葉は瞬間するする萎んで落下した。

私がほんの少し前まで座っていた席に、さっきお店へ入ってきたばかりの知らない女の人が腰掛けている。
え?え?どういうこと?そう女性の前に座ったままの星ちゃんに目で問うと、彼も大きく目を見開いて私の方を見ていた。私が恐れていた影のようなものはない。ただ、信じられないという顔をしてこちらを見ている。

「星ちゃん、ねえ、」

彼は悲しそうに眉を下げて、ぼんやりと下を向いたまま私の声に答えてはくれなかった。急に世界がぐるぐる回る錯覚が始まり、震える指がそばにあったテーブルに触れる。
さっきの店員さんが急に姿勢をのばし、すぐ横を颯爽と通り過ぎていった。星ちゃん。私に気づかせないようにしてくれてたんだね。目で追う黒いエプロンの女性は星ちゃんの前まで行くと、彼の向かいの席にだけ水の入ったグラスを置いた。
そうだったね星ちゃん。

「(そうなんだ、私たち死んじゃってたね。)」

もうカロリーも運動量も気にする必要はない。なんだって、好きなことをしていいんだ。なのに熱い何かが頬を伝うのは、本当は悪い人な星ちゃんがあんまりにも優しいからだ。


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