「謙信様が謙信様が、」

そう言って彼女は一目散に俺の方へ駆けてくる。よほど嬉しいことがあったのだろう、大嫌いな俺に話しかけてくるくらいだ。おもちゃを見つけた子犬みたいで、その表情は、その動作は、その声音は、本物の子犬を100匹まとめたって敵わないほどかわいい。
かわいいけれど笑えない。

「見てくれ佐助!謙信様が私に下さったのだ。私に、私だけに、謙信様が……!」

そう言って見せられたのは小さな髪飾り。銀の縁取りがちりりと高慢ちきな光をあげた。
一見すると簡素な作りに見えるそれだったが、目を凝らすと繊細な蔦の模様が薄く彫られているのがわかった。きっと高価なものなのだろう。特別に作らせたのかもしれない。
町の女が好むような華美なものでは決してないけれど、忍ばれた極最小限の細工がかすがの金色の髪によく似合うと思った。だからこんなに胸が痛いのだ。

馬鹿じゃないの。こんなの、忍が付けていいと思ってんの。落としたらどうすんの。光が反射したらどうすんの。敵にばれたらどうすんの。軍神って、案外おまえのこと考えてないのな。

「くノ一相手に本気になるような人じゃないしね。」

そう言うとかすがの瞳は驚いたように大きく見開かれ、それから僅かに、本当に一瞬だけ、泣き出しそうな形になった。
頭のどこかで平手打ちを覚悟していた俺様は面食らった。
だって、かすがを傷つけてしまったのだ。いつも冷静で素直じゃなくて痛々しいほど強がりなかすがを。
かすがが悲しむくらいなら平手を一万回食らった方がましだった。嫉妬に駆られて馬鹿なことを口走ったもんだ。ああもうくそ。後悔してもしきれない。

「……謙信様は、」

彼女はそう裏返りそうになった声でつぶやいた後、ぎゅっと髪飾りを握りしめてそっぽを向いた。握った拳は弱々しく震えていて、俺様の言葉の攻撃から髪留めを守っているようにも見えた。

謙信様は、その続きは何なの。謙信様は忍を差別しない。謙信様はお優しい。謙信様は私を愛してくれている。そんなことを言いたいんじゃなかったの。どうして続きを言わないの。いつもみたいに強い口調で言い切れよ。
そっぽを向いたかすがはなにも言ってはくれなかった。言い切ってしまう自信がないのだ。あの人はかすがを大切にしてくれているのに、いつまで経ってもおまえは同じところで二の足を踏んで、傷つくのを恐れては言葉を飲み込んでばかりいる。

「(俺様は絶対におまえを傷つけないよ。)」

だから信じてくれ、なんて、言えっこない。
第一今さっき彼女を傷つけたばかりだ。そして今だって。

「軍神が上忍を探してるって話、かすが聞いてないの?」

かすがの周りの空気が凍えていくのがわかった。握られた髪留めがぎりぎり音を立てて壊れそうになっていることにも彼女は気づいていない。
大嫌いな俺様の嘘は信じても大好きなあの人のことは疑ってしまうんだ。そんなことを思った。思った自分が悲しかった。
最低だな俺様って。本当に最低で、卑怯で、ひどい奴。

握った手のひらに爪を立てる。
かすが、こんな歪んだ形でしかおまえを大切にできなくって、本当にごめんね。


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