ぎぃんぎぃんと頭を鉄で殴られたような頭痛が止まない。
内側から少しずつ削られているに違いないんだ。ノミかなにかを打ちつけられて。それとも気持ちの悪い化け物が頭の中を食べているんだ。きっとそうに違いない。ベッドの中でくだらないそんな空想をし、痛みから気を逸らすことに努めた。
激痛はわずかな眠気さえも奪っていくから、ただ低く声を殺し、脂汗でじめじめするシーツに横たわって耐えるしかない。養護教諭が居なくとも、頭痛薬くらい出せただろうに。

今何時だろう。保健室の時計を見上げる気力も、目を刺激する光を放つ携帯を開く気力もない。けれど生徒の騒がしい足音が行き来する廊下がいつのまにか雨の音に支配されていたことから、大体の時間を予測することはできた。
目に見えない小さな針が胸を刺す。頭の痛みは二日前に終わった生理痛によるものだったが、その現象と胸の痛みとはなんの関係もない。

「(科学、受けたかったのに。)」

「生理ですか?」

突如布団の外からかけられた声に思わず息をのむ。誰もいないと思って、全く油断していた。重い布団の中から瀕死のモグラのように這い出すと、冷たい空気が一層こめかみを刺激した。

「本田さん……。」

「本当嫌ですよね。一月のうち一週間も腹痛と戦わなくちゃいけないなんて。なんで女だけこんな苦しみを味わわなければいけないのでしょう。」

突如現れた幼い顔立ちのクラスメイトは、隣のベッドに腰掛けて猫のような目で私を見る。あまり会話をしたことがないけれど、こんなにスラスラ言葉を並べることができる人だっただろうか。薄暗い保健室で見る彼女は教室の彼女とは違う大人びた雰囲気を持っているように見えた。
私の知る本田桜は、小さな体に乗った小さな頭をうつむくようにさせて、人と人の間にひっそり隠れているような印象だから、目の前の少女に小さな違和感を覚える。
本田さんに嫌悪感を抱いている訳ではない。ただ、自分の頭の中の彼女のイメージと目の前の少女の間には少しの距離があり、それに小さな戸惑いを覚えただけだ。
頭痛のためか、雨のためか、他の何かによるものか。

「本田さんは腹痛派なんだ。私は頭痛。」

「勉強にも身が入りませんね。」

「全くよ。」

不思議な感覚を持ったものの、この不気味な保健室に彼女が居てくれることがうれしかったし、気を紛らわすのにちょうどいいと思った。
控えめな雨音しか聞こえてこないここにいると、糸のように切れ間のない高い音が耳の中から進入を果たし、私の頭に何か嫌なものを植え付ける。発狂しそうな気味の悪さをもたらす高音の糸を、落ち着いた彼女の声が優しくなでるように遠ざけてくれるから、精神的にかなり楽になれた。定期的にうなり声をあげるほどだった頭痛もさっきよりずっと落ち着いている。これも本田さんのおかげかもしれない。

頭だけ出していた布団から抜け出し、ベッドに腰掛けた彼女と向かい合うように座った。お泊まり会のようなシチュエーションに頬の緩みが止められず、自然と口元が笑ってしまう。
本田さんも体調不良かしら。けれど、黒目の大きい子供のような目でこちらを見る彼女からは、具合の悪そうな雰囲気は感じ取れなかった。

「本田さんは授業どうしたの。お腹痛いのならベッドに横になったら?」

「いえ、私はなんだか科学の気分じゃなくて。」

「お兄さんの授業は嫌?」

なんとなく、ですね。眉が僅かに寄せられ、しかしそれはすぐさま元の柔らかな弓形になる。
あれ。ことんと何かがのどの奥に落下していく。
また私の中の本田さんとは違う、なんだか少し、灰色のような本田さんだ。

「いたっ、また痛くなってきた……。」

「大丈夫ですか?」

「……ん、だいじょうぶ。」

「お可哀想に。生理なんて、なくなってしまえばいいのに。」

ひどい頭痛は雨音さえも拾い上げて痛みに変えるのに、本田さんの声は私に痛みをもたらさない。彼女の控えめな、空気を撫でる程度の音がいいのか。内側から溶かされていくような痛みの中でぼんやり考える。

「子供なんて絶対産まないし、いりませんもの。こんな苦痛と一生付き合っていかなきゃいけないなんて……。」

「本田さんは、結婚して、それから、赤ちゃん、産んだり、しないの?」

「しません。」

はっきりと否定を口にする彼女の表情を私は見ていなかった。あんまり頭が痛むので、ベッドの端で額に手を当てながらうつむいていたから。おとなしい彼女に強く否定の言葉を吐き出させる原因を考えることも、それを強く不審に思うことも、頭の痛みに気を取られてただ浅い呼吸を繰り返すだけだった。
斧で頭を殴られたら、きっとこんな風に痛むんだろうな。じわり、涙が湧いて出る。そっと、私の前の本田さんは、抱えるような動作で私の体を後ろへ倒した。小柄なのに、案外力持ちのようだ。顔にかかる黒髪が彼女にそっくりの男性を連想させ、胸がうるさく鳴り響く。
冷たいシーツが気持ちいい。横になると頭の血液が沸騰しているのがよくわかった。無理に座ったりしたのがよくなかったのかもしれない。本田さんは甲斐甲斐しく額の汗をハンカチで撫でてくれた。やんわりつむった目の中に、彼女がどんな表情をしているのか、容易く想像することができる。優しい彼女はきっと傷ついた他人が心配で心配で、泣き出しそうな顔をしているに違いない。

「カークランドさんは子供が欲しいのですか?」

衣擦れのように小さく気を遣った声は、小さい頃に風邪をひいた私の看病をする母のものとよく似ていた。
弱り切った私は親に甘える子供のように安心して、一層本田さんに好感を持った。もっと本田さんのことを知り、自分のことを知ってもらいたくなる。
彼女の優しさの所以や、私の好きな人のことや、それがあなたのお兄さんであることや、それについての意見を。

「……親は、ね、お見合いで、きちんとした紳士と、っていうんだけど、私は、恋愛結婚がいいな。イギリス紳士じゃなくても、優しくて、年上で、賢い人。」

「へえ、すてきな夢ですね。」

「……べ、別に、よくある夢よ。叶うかどうか、わからない、し。」

「でしょうね。だってあなた、兄さんとは絶対結婚できないもの。」

予想外、いや、それ以上に天地が逆さまになったってあり得ないような辛辣な言葉に、頭の痛みも忘れて彼女を見つめ返すことしかできなかった。

「え?」

なんてたった一言を呼吸と共に吐き出しても、やはり彼女の言った言葉を飲み込むことができておらず、ジクジクした痛みが何かまやかしを見せているのでは、そんな妄想こそ現実だと信じていた。
どうして彼女はそのことを知っているんだろう。見つめた先の女の子。優しくって控えめな女の子。本田さんの表情が頭の中の本田さんと一致しない。瞳が睨むように細められて、しかしそれでいて爛々と輝いている。私はどうなってしまうのだろう。真っ黒でその奥を読み取れない瞳は動物的な危機感を論理的な思考より先に引きずり出させた。

「あなた菊兄さんの事愛しているんでしょ?見ていればわかります。でも兄さんはね、あなたのことなんてこれっぽっちも気にしてないの。」

笑顔なのに、吐き出される言葉には隠そうともしない刃が光っている。
力がこもったために出る筋を浮かべた腕が素早く伸びて、それを認識した瞬間、二つにくくった髪の片方を思い切りつかまれた。恐怖と驚きから、きゃ、と自分じゃないみたいにか細い悲鳴が漏れる。強い力によって強制的に前のめりにされ、振動から一層ひどくなった頭痛のせいで、胃液を吐き出してしまいそうに目の前が揺らいだ。

「よく聞いてカークランドさん。」

本田さんのいつになく厳しい声が頭の側面に殴るような痛みを与える。また髪を引かれた。喉から哀願するようなうなり声が漏れても、彼女は力を緩めるどころかさらに強く髪を引っ張る。
なんでこんなことに。なんで本田さんが。なんで、なんで、どうして、こんな。

「兄さんはあなたなんて好きじゃない。兄さんは人間の女に興味が持てないんです。おかしいでしょう?気持ち悪いでしょう?」

嘲笑まじりの心底人を馬鹿にした声音だった。頭痛よりも胸をえぐる何かの痛みで意識が朦朧とし始める。
これはいったいなんのショーだろう。だれがこんなことを仕組んだのだ。まだ私に目の前の現実は見えない。とにかく悲しくて辛くて絶望して、私はわんわんと泣き出したくなった。

「兄さんはね、絵に描かれた女にしか興味がないんです。可哀想な人。」

「う、そよ。だって、だってだってだって。」

だって、本田先生言ったもの。カークランドさんの髪はきれいですねって。それから、あなたは可愛い方ですね、って。髪に触って、優しく笑ったんだわ。本当に、優しく優しく笑ったんだから。
喉が焼けてしまいそうで言葉もうまく出せなかった。それなのに彼女は先を促すようにまた私の髪を引く。機械のように、淡々と。

「だって?だってなんですか?」

「だって、先生、言ったわ……。」

「可愛いとか素敵とか?うふ、カークランドさんって案外お馬鹿さんなんですね。」

いつもなら噛みつくように反論して理論でねじ伏せられるのに。心を見透かされ馬鹿にされ自尊心を挫かれた私にはつっぱねる気力などとうに残っておらず、髪を掴まれたまま体の力をだらりと抜いてみじめに声を震わせることしかできなかった。ぷつり、うなじの髪が切れる音がした。髪を掴む手にはどんどん力がこもっていく。

「兄さんはね、この、こんな髪型の女がね、好きなの。パソコンや漫画の中の女が。」

頭を強く引かれたかと思うと、彼女はゴミでも投げ捨てるかのように髪ごと私の体をベッドに投げ倒した。シーツに着地した拍子に溜まった涙が流れ落ちる。緊張の糸が切れたようにとめどなく溢れ出した涙は、頬に熱を残してシーツに吸い込まれていく。

「こ、んな、ひ、ひどい、わ……。」

「ええ本当に。兄さんはひどい男です。大した興味も抱いていないのにあなたに勘違いさせるような行動をとるなんて。」

違うそうじゃない。いや彼女の意見は正しい。そんなことない違うったら。
混乱して、自分でも流れる涙の原因を特定することができない。頭が痛いこと。本田さんにひどいことをされたこと。本田先生が私なんか好きじゃないこと。彼女が本田先生を馬鹿にしたこと。すべてがすべて痛くてひどくて悲しくて、溢れてくる涙を止めることなんてできなかった。

「泣かないでください。」

「……っ、ぅ……、」

お可哀想なカークランドさん。優しい優しい本田さんの声がする。私に心底同情して、なんとか癒そうとしてくれている声。頭の中の本田さんにふさわしい声の本田さんが、さっきまで引っ張っていた私の髪を丁寧に梳いた。先生の妹なんだから、優しくて暖かくて決して怒ったり利己的になったりしない本田さんが。

「最初から私を好きになってくだされば、こんな思いをしなくてもよかったのにねえ。」

世界中の善意を集めて作りあげたような本田先生の妹がそう言って笑った。
頭と心臓と喉が痛い。もう、生理なんて来なければいいのに。



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