相談があんねんけど、あたしの声に顔を上げたフランスからほのかなコロンの香りが流れてくる。それがなんて名前でどんな瓶に入っていていくらするのかは知らない。優しい柑橘系の、それでいて色っぽい、フランスみたいな香り。好き。

「あらー、スペインじゃん。どうしたの元気なさそうね。」

「相談したいことがあんねんけど、」

「私に相談……さては恋ね!好きな人?誰よ。お姉さんに教えなさい!」

ちゃうねんあたしじゃないねん、否定しながら彼女の前の席に向かい合わせで腰掛けた。そこは口うるさいドイツの席で、無断で座ろうものならすぐさま文句が飛んでくるのだけれど、放課後の教室にはあたしたち以外誰もいないから問題ない。

「あたしじゃないねん。あたしの友達やねんけどな。」

「あんたの友達っていったら、また広い範囲よね。絞れないじゃない。」

それでそれで、言葉を促すフランスの手元にはさっきまで書いていたらしい手帳。あたしはこういう女の子らしいものは一月経たない内に飽きてしまうけれど、フランスのそれは入学式の日に隣の席で連絡事項やらを書き込んでいたものと変わらず同じ、茶色の革である。
あたしはそこで下から見上げる無邪気な彼女の視線に気がつき、そして同時に口の中がからからに乾いていることにも気がついた。大丈夫。なんてことない。これは、友達の相談なんだ。

「あたしの友達にな、好きな人がおんねんやんか、」

「好きな人って年上?年下?」

「同い年。で、その人とはめっちゃ仲がいいねんけど、たぶんその人には友達としか思われてないらしいねん。」

「あー、そういう系。」

わかるわかるという風に数度うなづいて、それから彼女は視線を手帳に落とす。夕日に照らされて、長いまつげの影が頬に伸びていた。フランスはあたしなんかじゃ使い方も到底わからないような道具を使い、毎日まつげを長くして登校してくるのだ。

「で?女としてみてもらうにはどうするかって?簡単よ。まず胸はD以上にしてボタン二つ開けね。スカートは超ミニにしてボディタッチはしつこいほど多く!これに落ちない奴は他に何か理由があるのよ。ホモだとか、ロリコンだとか、熟女好きだとか。」

そう言って笑うフランスのスカートも短く、ブラウスからは下着がのぞきそうなほどだ。あたしもそういうものを意識してスカートを短くし、ブラウスのボタンを開けている。いるけれど、フランスのそれとはどこか違う。なんだか洗練されていない。フランスはあたしたちよりずっと大人びていて、同じように制服を着崩しても、下品な考えなんて透けて見えないのだ。

「その人な、他に好きな人おるみたいやねん。」

それは落ちへんわな、私が言うと、笑っていた彼女のくちびるが一瞬固まって、それから自身に暗示をかけるようにまつげがじっと閉じられた。
やっぱり。あたしはどこかで安心して、どこかで果てなく絶望する。

「うわー、それはなんていうか、相当難しいわね。」

頬杖をつくフランスのくちびるから、胸の内の冷たいものを遠ざけるような息が漏れた。彼女に向かい合ったあたしの膝はいつの間にか内股になっていて、嘘は表情ではなく足に出る、誰かが言ったそんな言葉を思い出した。意味もないのに膝を組む。彼女の視線を感じはっと顔を上げるけれど、その瞳はあたしではなくあたしの背後の時計を見ていた。

「でもねえ、男って単純な生き物よ。密室ですこうし胸でも触らせたら、獣よ。」

そうよ猛獣よ。闘牛よ。桃色でつやつやするリップが崩れない笑い方。ぎこちなくって、あたしはこれも好きなのだ。

「闘牛はあたしやん。人のネタ使うのやめてくれますぅ。」

ケタケタと笑う。笑うけれど、ねえフランス、あなたの目はあたしの後ろの時計ばかりを気にしているね。
笑顔を頬に貼り付けたままそっと視線を下げると、蟻みたいに小さな字がたくさん書き込まれた手帳に、【5:00 駅前 ◎】の書き込みが目に入った。日付は今日。他の枠には様々なシールがテストやショッピングの予定ごとに貼られているのに、そこだけは手書きの二重丸が細い細いペンで書き込まれていた。大人の女の手帳みたい。ゾッと震えたくちびるを噛む。

「つまり、男ってそんなものなのよ。特に私たちぐらいの歳の男はね。女の子の中身なんて全くよ。胸が大きくて尻が軽そうなら、なんだっていいんだから。」

「ちゃうねん、そうちゃうねん、」

あたしが否定すると、言葉に熱が籠もってきたらしいフランスは何が?というまばたきをした。まっすぐあたしを刺すみたいなまつげがしっかりこっちに向けられていて、やっぱり怖くなってしまう。
言え。言いなさい。大丈夫だよ。きっとばれない。だって、これは友達の話なんだから。
机の下で膝ががたがた震えていた。

「その子、女の子が好きなんよ。」

あたしが震えるのどを必死で押さえつけやっとそう言うと、フランスはくちびるを無意味に開けて動きを止めた。言わなければよかったのかもしれない。あたしは言ったそばから後悔しだして、膝の動きが悟られないよううつむいてじっと黙った。
鼓動が教室中に広がって、うるさいし怖い。大丈夫。あたしの話じゃない。ないんだから。

「そ、れは、」

「友達やで、友達の話やねんで。」

「いや、うん、わかってるけど……。」

充分間を置いてから、彼女は「ヘビーね。」とため息と共に吐き出す。

「……告白、したほうがいいんかな。」

「うーん、それは……。」

「辛いねん。その人が好きな人のことで悩んでんのが。」

あたしのことを好きになってくれたら、絶対そんな思いさせへんのに、そんな言葉が頭に浮かんで、すんでの所で口を閉じる。だからあたしじゃない。あたしの話じゃないんだってば。
思考をひねるようにうなりながら机に突っ伏してしまった彼女からいい香りが流れてくる。なんのブランドか知らない。いくらするのかも知らない。プレゼントした相手の歳も、声も、名前さえ、あたしは知らない。

「……黙って、」

「え、」

「黙っていた方がいいのかもしれない。」

「……なんで、」

「だって、女の子同士でしょ?相手が男なら友達に戻れることもあるかもしれないけれど、女の子なら、ちょっと。」

困ったような笑顔を浮かべる。その、視線の先。時計は五時をとっくに過ぎている。あたしの膝はもうどうしようもなく震えて、それが伝わった彼女の机がわずかに揺れていた。
けれどきっと、デートに浮かれた彼女は気付かない。

「あー、私もう行かなくちゃ。ごめんね、突然だったから時間がなくて。」

「うん、」

「スペインもいい恋しなさいよ。恋は闘牛!あ、お姉さんなんかかっこいいこと言っちゃった。」

軽口を言うフランスの方を見ることができず、あたしは足下に置いた鞄の中を探る振りをして顔を隠した。パタパタと、コロンの香りが遠ざかる。嫌だ。さみしい。行かないで。目のあたりが熱くなって喉の奥が熱くなって心臓の真ん中が熱くなって死んでしまいそう。

「(しんじゃいそうなの。)」

体中が熱いの。死んじゃいそうなの。一緒にいてほしいの。そんな子供みたいなわがままを言えば、優しい彼女は約束をほっぽってでもあたしのそばにいてくれるだろう。でもあたしは、そんなわがままを彼女に押し付けられるほど身勝手にはなりきれなかった。子供のような意地が、決して許してはくれなかった。
くちびるを食いしばって言葉を飲み込む。喉がじわりと痛くなって、さみしい心により一層追い打ちをかけた。

うん、でも、それでいい。

「フランス!」

大声を出して教室を飛び出すと、廊下を歩いていた彼女が足を止めて振り返る。遠いけれど目のいいあたしにはよくわかる。長いまつげ。ピンクの頬。しっかりした化粧。大人みたいな顔。

「あたし、恋とかあんまわからんけど、なんかあったら相談してな!フランスが辛い恋してんの、わかってんねんから!」

背が高くてスーツが似合って清潔感がある、そんな人。知ってる。後ろ姿だけ知ってるよ。
廊下のずっと先に立ち止まったままの彼女は、綺麗に引かれたまゆを泣き出しそうにぐっと下げて、それから小さく、うん、と言った。入学式にだって聞かなかったまったく子供らしいその響きは、コロンの香りと相まって一層あたしの涙腺を刺す。

フランスの好きな人は、きっと密室ですこうし胸を触らせたくらいでは傾かない、そんな大人の人なのだろう。いくら子供みたいに泣いたって、困ったような顔をして頭を撫でるだけの、そんな大人の人なのだろう。
そんなのどのクラスの男子もかなわないよ。あたしなんか、もっともっと。

「(だってあたしは女だし、子供だし、)」

あたしがいくら泣いて彼女の気を引いたって、そんな大人になんかかないっこない。

「(あのフランスだってぜんぜんかなわないんだもん、)」

私たちはどうしようもなく子供だ。どんなに化粧に慣れたって、残酷なほどに子供は子供。
いくら泣いても下着を脱いでも、大人の男にはまったくかなわないのだ。




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -