彼女が幾年もの月日を掛けて作り上げた、タイムマシン401号の話をしよう。

タイムマシン401号とは、その名の通りタイムマシンことである。科学に疎く、数学が苦手で、二桁の足し算でさえおぼつかない彼女が、気の遠くなるほどの時間を費やし、エスカレーター理論を紐解き、四次元の研究をめまいと闘いながら続け、遂に先日、ようやっとそれは完成したのだ。
香港産シロップ漬けパインの空き缶と、腕時計をばらしたものと、その他台所にある家庭的な物の数々によって作られた試作品第1号から数え、失敗した試作品の数400きっかり。そして彼女が我が子を愛でるように頬ずりする、高さ3メートル半の金属の球体こそ、記念すべき完成品のタイムマシン401号である。

「これさえあれば遠い過去に戻ることができます。」

彼女は熱を出したように頬を赤くしながら、背伸びをする格好で401号に腕を回し、その特殊金属板でコーティングされた頭の辺りを撫でた。
遠い過去。夢に溢るる未来ではなく、過去に戻る機械。
過去に行きたいの?僕は尋ねる。ええ、過去に行きたいんです、と頬の赤い女。

「過去に行ってやり直したいんです。」

「私は彼らのお姉ちゃんだから、責任というものがあります。」

「キエフルーシなんてどうでもよかった。」

「マフラーがふたつあればよかった。」

「後悔ばかりがつきまとう日々でした。」

女は爪先立ちをやめ、401号の前で立ち尽くすように腕をだらりと垂らすと、不意に背中を二三度振るわせて、泣き出しそうな素振りを見せた。落ち着きのない女だな、僕は思った。けれどもまだ彼女は泣き出す寸前で、いつもなら高い声を出しポロポロ涙をこぼしているのに、今日は重力を逆手に取り、真上を見つめて涙をこぼさまいと努力しているようなので、少しだけ彼女を見直すことにする。
そんなに急がなくてももう少しここに居ればいいのに、そんなことも思った。

「ああ、急がなければなりません。」

「一刻も早く、」

「二人の軌道を戻さなくては。」

「はやくはやく、」

「一秒だって惜しい。」

女は腕時計を確認する。期待に震えるように頬は赤く、水分を湛えた瞳はどこか虚ろにタイムマシン401号を映している。
行ってしまうの、僕は尋ねた。ええ、行ってしまうの、彼女はタイムマシン401号に乗り込みながらそう答え、いかにも座り心地の悪そうな、機械やらチューブやらの張り巡らされた椅子の上で三角座りをした。額を膝の上にくっつける、寂しさから耐えるような姿勢だ。
透明な丸い扉が内側から閉められ、鉄製の大きなカギが回される。そうか、行ってしまうのか、いまいち実感がわかず、ぼんやりそう思うと、耳の中がキインと鳴るような不思議な感覚が頭を侵す。

ねぇ、なんだろう、これ。
尋ねたけれど、ガラスの向こう側の彼女にはまるで聞こえていないらしく、反応は無かった。
ひどい耳鳴りがする。頭が軋むようなめまいに近い感覚がする。

ねぇ、ねぇ、ねぇ!
女は微動だにしない。タイムマシン401号の中で様々なボタンが光り、メーターのようなものが音を立てて数字をはじき出す。
待って待って待って!
僕はガラスの扉を強く叩き、彼女がこちらを向いてくれることを祈った。叩きながら、彼女の名前を呼べば気づいてくれるかもしれない、そう思ったけれど、しかし目の前で小さくうずくまる赤い頬の女の名前など知らないことを思い出す。

「待ってよ待ってよ待ってよ!!」

ガラスを叩く手が裂けてしまいそうに痛い。声を張り上げるのどだって、血が染み出したんじゃないかと思うくらい、ひりひりと熱を持っている。
タイムマシンは振動を始め、機械の働く音も次第に大きくなっていく。思いきり力を込めて機械の下部を蹴り上げてやった。ブーツのつま先が妙な形にねじれて、スポーツカーがぺちゃんこに潰れたみたいなひどい音を立てた時、女の肩が僅かに動いた。僕は、気づいてくれ、心からそう祈った。涙が出そうなほど祈っていた。
緩慢な所作で女は顔をあげ、こちらに水分をいっぱい含んだ目を向ける。ぎゅうっと細まったそれから耐えきれず、涙が透明な線を作って、顎のあたりから落下した。

「泣かないでよう、ロシアちゃんっ、」

ぐちゃぐちゃの顔で女は言った。機械音でよくは聞こえなかったけれど確かに彼女は“ロシアちゃん”と言った。
ちがうよ僕はイヴァンだよ頭がおかしくなったの?そう口を開きかけた時、目の前の球体は消えていた。影ひとつなくなっていた。
全く一瞬のことだった。



それからしばらく待っていたけれど、タイムマシンが戻ってくることはなかった。過去に行く機械だと彼女が言っていたから、きっと未来へ行く機能は備えていなかったんだろう、僕は無理やり納得する。
うふふ。妙な笑いがこみあげてきたけれど、誰も咎める者がいなかったので僕はそのまま笑い続けて見せた。
うふ。うふふ。

「そう、そうなんだ。僕の名前はロシアだったんだ。イヴァンは仮の名前なんだ。本当はロシアっていう寒い国で、二人の姉妹がいるんだよ。妹はベラルーシって名前で大きなリボンをいつも頭につけてる。とってもかわいい女の子で、僕のことが大好きだって離してくれないんだ。お姉ちゃんはウクライナ。ドジでいつも失敗ばっかりして泣いてるよ。大人のはずなのにすごく泣き虫なんだ。でもとっても優しい人なんだよ。これはほんと。僕、これほど真実らしいことは知らないし、言ったことだってないな。ウクライナ姉さんは優しい人だった。優しい人だったんだ。」


なんてドジな姉さん。過去しか行けないタイムマシンなんて、まだまだガラクタと相違無いよ。

「早く戻ってこないとまた忘れちゃうよ。」

タイムマシン401号とおっちょこちょいな女の話はこれでおしまい。






(世界が侵略なり統合なりでどんどん一つになっていったら彼らの国としての名前や記憶はどうなるの、という話。ウクライナちゃんは国として存在してるからロシアとベラルーシって名前もちゃんと覚えてて、でも国がなくなったイヴァン君達はなにそれ?みたいな。ウクライナちゃんはロシアやベラルーシが国として存在できるように過去に戻ってなにやらの工作をして、それがタイムマシン出発後のイヴァン君にロシアの記憶をもたらす的な!長い補足だ!)



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