冷たいような感情を持っていないような、世界のことなんかなんにも知らない赤ちゃんみたいな彼女の瞳に見つめられると、私の心は瞬く間に凍えていった。心を見透かすような目をする人は時々いる。けれどそんな時に感じるピリピリした緊張感ではなく、足元から伸びた蔦にギリギリと四肢を押さえつけられて身動きの取れない悲しみに、私は全体を、臓器を、脳を、こころを、晒していた。ニノちゃんの目はなにも知らない。世間の汚れたところをなにひとつ瞳に映すことなく、少しまつげを伏せながら橋の下の楽園で生きている。私とはあまりに違うまっさらな女の子。だからこんなに泣きたくなるのだ。

「いちまんえんを貰ったんだぞ。なんでお前が悲しそうな顔をするんだ」

「……」

「なんでも買えるんだぞ。魚もキュウリもお前の新しいベッドも」

「……」

「大きいのがいいな。二人一緒に寝られてなおかつまだ大きいのがいい」

「……いらない」

  いらないよっ、溢れ出しそうな感情を悟られないようなんとか口にした言葉は吐き捨てたようにニノちゃんの足元にへばりついた。私は見えないその形ばかりを睨みつけて、耳がきぃんとする悲しみをやり過ごそうと努力する。時空間が歪んだように頭の中が渦を巻いて、その視界の隅でニノちゃんが驚いているのが感じ取れた。強い口調が彼女を傷つけてしまったかもしれない。そう考えるとツンと冷え切った心臓が今度はジクジク痛み出した。しかし意地のように下を向いた私は目尻に湧き出した涙を悟られないよう目を伏せたぐらいで、彼女を安心させるようなことはなにもできない。

「いらないのか」

「……お金、だめだよ」

「だめなのか?」

「……だめだよ」

  無垢な声はいつものニノちゃんと変わらずこどもみたいな質問を投げかける。だめだよだめにきまってるよ。だって私見たんだから。橋の下で。ニノちゃんが。知らない男の人と。
  ポーカーフェイスの彼女が戸惑っているのが空気に感じ取れた。ニノちゃんはどうして私がぼうぼうの雑草なんかをひたすら見つめているのかきっとわかっていない。それはニノちゃんが綺麗すぎるからだ。可哀想なくらいまっさらすぎるからだ。だから薄汚れたゴミ以下カス以下チリ以下の人間なんかに目を付けられるのだ。
  邪悪な心をもった人間は恐るべき鋭さでニノちゃんみたいに純粋な心を持った人間を探し当てる。そしてその人を絶望させたり痛めつけたり汚すことでなにかとても、とても矮小な感情を満たすのだ。私にはわかる。わかるから、ニノちゃんをいつだって守ってあげなきゃいけないと思っていた。思っていたのに。

「(守れなかった!)」

  どんな時だって私が守ってあげるつもりだった。宝石箱に入れて胸の中で抱きしめているつもりだった。誰かの手が伸ばされても、私が身を呈して守ってあげるつもりだった。それなのに。
  眉間がじんわり痛くなって睨んだ雑草がほろほろ滲む。ニノちゃんのバレエシューズが緑の中でやけに目立って、それはニノちゃんそのものの純白を地面に広げていた。ああニノちゃん。あなたは何も知らないんだね。何をなくしてしまったのかも知らないんだね。
  悲しくて悔しくて可哀想で、とうとう涙を抑えられなくなった。ニノちゃんが汚されてしまった。金星人で魚取りの名人で私の宝物のニノちゃんが汚されてしまった。
  私の宝石箱の女の子が。
「ど、どうした!腹が痛いのか?」

「……うん、お、おなか、いたいの」

「魚に中ったのかもしれない。地球人は弱いからな」

「だ、……じょぶっ」

「村長に薬を貰ってやる。だから泣くな。こどもみたいだぞ」

  それはニノちゃんの方でしょ。百発百中でニノちゃんの方なんだから。なんだかまた悲しくなって水を被ったみたいに涙が止まらなくなった。悲しいし悔しいしこどもみたいで恥ずかしい。私が下を向いて泣き顔を隠すと、ニノちゃんが小さい子の世話をするお姉さんみたいに優しく私の手を握る。大丈夫、私がついてるよ、そう言っているみたいで、私は汚されてもなお気高くあり続ける彼女を想像の中で強く強く抱きしめる。ごめんね。守れなくてごめんね。こんなに弱くてごめんね。私、ぜんぜんだめだったね。
  ゆっくり顔を上げると、夕日を背にしたニノちゃんが少し安心したみたいに視線を柔らかくさせた。それから彼女は「いちまんえんは村長に返すよ」と本当に汚れを知らない声で私に告げる。



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