※ぬるい死ネタを含みます






  私が言葉を飲み込む癖を身につけたのはいつだったのだろう、なんて考えてしまうのは今まさしく「痛みに耐えて声なんて欠片も出ません」という風を装って言葉を飲み込んでいるからで、死に際だと理解しているからにはこの世にやり残したことや遺された人達への遺言のようなものを覆い被さる彼女に話し続けられそうなものなのだが、しかし私はのどの奥にぴしゃりと蓋をして沈黙を決め込んだ。

  溢れ出した赤いものがコンクリートに横たわる頭を不気味に湿らせていくので、そちらもかなり気がかりではあるのだが、当たり前なことに私の左胸に空いた小指の先ほどの穴のほうが確実に意識の大部分を占有していた。呼吸する度、瞬きする度、心臓が動く度に今まで経験したことのない激痛が全身に走るのだ。
  いたいいたいいたい。
  いっそのこと甲斐甲斐しく傷の面倒を見るマチがナイフか針か石か何かで傷口をグリグリえぐってくれたなら、私はいち早く苦しみから抜け出して死ぬことができたのに。死ぬことができたなら、今にも飛び出してきそうな薄気味悪く肥大した秘密をそのまま墓場までもって行けるのに。
  しかし彼女は私の傷口を腫れ物のように扱うばかりでえぐったり裂いたりしてくれそうになかった。仲間だから仕方がないけれど、私の好きな人としては失格だな、虚ろな意識でそう思う。だがそう考えるともうずいぶん多く血液が流れ出た傷口に一生懸命治療を施すマチがひどく可哀想な気がした。涙腺が変に緩くて、左からでた涙が右目に入る。

「死んじゃだめだよ!」

「っ……!」

「我慢して!止血してるだけだから!」

  いたいいたい苦しい。
  うっすら瞳をあけると、私の体に何かを施すマチが子供みたいな泣き顔をしてこちらを見下ろしているのがわかった。いつも不機嫌にシワを刻む眉間を一層寄せて、彼女の方こそひどい怪我でもしているような顔だ。
  マチ、マチ、お願いだからそんな顔はしないでよ。
  痛い熱い苦しい胸が一層悲鳴を上げて、荒くなる呼吸の間に好きだと言ってしまいそうになった。しかしもし口にしてしまったなら、優しいマチはきっと私を助けられなかったことを悔やんで、なんにも悪くない自分を責めて、一生お門違いのお馬鹿さんな傷口を心に抱えてしまうだろう。そんな傷を与えるなんて神様だろうと私が許さない。彼女に傷を与えてしまうのが私ならば、私は私を殺すべきである。

「意識を手放すな!」

「……はっ」

「みんながもうすぐ来るから!」

  マチの声は水の中で聞いたみたいにぼやける。ああ。そろそろダメだ。とうとうダメだ。いよいよダメだ。死んじゃったら会えないよ。

「勝手に死ぬなんて許さないよ!」

  ごめんね。でも許して欲しい。許さなくてもいいから悲しまないで欲しい。飲み込むまでもなく声はもう出ない。

「あたしは、あたしは!」

  私は、私は、あなたが大好きだった。女の子同士だったけど。いつだって伝えられなかったけど。言葉を飲み込む癖を覚えちゃうくらいだったけど。

「(絶対に言えないけれど大好きなんだよ)」

  言葉も形も行動もマチのすべてが好きだよ。大切だよ。愛おしいよ。
  手にも口にも目蓋にも力が入らなくなって、なんだか生ぬるい波打ち際に横たわっているような気になった。染み出したまだ温かい血液のせいなら笑えないな。笑えないけれど、まあいいか。マチの幼い少女のような顔も、叫ぶような声も、傷口になにかする痛みもぼんやり掠れていって、おっとりした波の音さえ聞こえるような気がした。うっすら閉じた視界の外はなんだかやけに白々している。いつもなら目を閉じていてもチカチカして仕方がないのに、白いシーツの中で目が覚めたみたいにやけに気持ちは落ち着いていた。
  近くなる波の音が清々しくて口角が自然と上向きになる。海がすぐ近くにあるに違いない。ずっと前からそんな気がする。遠くでこどもがはしゃぐ声がして耳を澄ますと、その子は私のことが好きだという。叫ぶみたいに、怒鳴るみたいに言っている。

「私はマチが好きなんだ」

  肺の中を空気が通り抜ける感覚がした。波の音も遠く離れて、騒がしかったこどもは驚いたように叫ぶのをやめる。ああでもだめだ、だめだよだめよ。私たちだけの秘密だよ。私が彼女を愛していたなんて、くれぐれも優しい彼女には。



砂肝様提出



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