二次元の世界へ行きたい、ネット上で誰かが言った。
リンは二次元の世界から出たいと言った。
レンはそうなったらカラオケに行きたいと言った。
カイトはアイスが食べたいと笑った。
メイコは本物のギターに触れたいと。
ルカもメイコの意見に同意して、何度も強く頷いていた。

お金じゃない。権力じゃない。誰かの不幸を望むものでもない。
私たちの欲はなんとかわいらしいものだろう。
ネット上の人間がつぶやくどの「したい」の言葉よりも、透明に透き通って実体がなく、水や空気と混ざり合うことのできる軽さを持っている。
私は黙ってみんなの意見を聞いていた。じっと口を結んで、あの子に会いたい、ただ強く、強く強く、そう思っていた。それは、みんなのように口に出さなかった分、深く胸に刻み付いたに違いない。

その晩、私は夢を見た。
小さくも大きくもない空間。学生用の机がたくさん並んでいて、空気は少し埃っぽい。私はちょうど真ん中のあたりの椅子に腰掛けて、彼女もまた、机と机の間の通路に椅子を置き、座っていた。彼女の身振りは大きく、何かを話している様子だ。
日が落ちかけているのだろう、彼女の顔は光の加減で薄暗い影をまとい、こちらからはよく見えない。それでも彼女はとても楽しそうにしゃべっていた。幼い頃からの友人に、親友に話しかけるように、ぼんやりとだけわかる口元は始終楽しそうに滑らかだった。
私は、実際には聞いたこともない彼女の声が途切れることなくこちらに向けて発せられているのがうれしくて、どうかそれが終わりませんように、胸の奥でそう祈りながらほんの短い言葉を返す。

「って笑われたんだけど、どこも矛盾してないよね。そりゃあ、カラオケにも行きたいし季節限定アイスも食べたいしギターも欲しいし、恋人だって欲しいよ。でもさ、大変じゃん。そんなにいろいろしてらんないよ。一日八時間は寝たいし、休日は家でゆっくりしたいし、日焼けは嫌だから外出したくない。やりたいこととやりたくないことばっかりなんだもん。世の中はさ。」

彼女はわかったような口振りで世の中というものを語る。滔々と話すその言葉が正しいのかどうかは不明だ。彼女よりも私の方がよっぽど世間知らずだから。けれど、会話の内容が正しいとか間違いだとか、そんなことはどうだっていいのだ。私の願いは今叶えられている。彼女と会いたい、その願いが、夢なんて概念の存在しない私が夢を見るのことで、たった今叶えられている。
そうだ。きっとなにかすごい奇跡が起こっているに違いない。なにか、本当に、世間を、世界を揺るがすような奇跡が、ちっぽけな私という形の中で。

「ければよかったね。」

急に、教室中が静まり返った。彼女がさっきの言葉を最後に口を噤んでしまったからだ。私は自分がいけないことをしたのかもしれない、怖くなって今この場にふさわしい言葉を頭の中から導き出そうとする。

「あなたに会いたいなんて、叶わなければよかった。」

それって、どういう意味なの?あれだけ機嫌よく動いていた彼女のくちびるは、ぎゅっと閉じられて口角が下を向いている。ますます訳が分からなくなる。ごくり、唾液を飲み下す音が教室中に広がってしまうんじゃないかと思うほど、無音の中はピンと空気が張りつめていた。
「だって」隣の女の子が泣き出しそうな声を出す。何で泣いているの。影がじゃまをして彼女の表情が伺えない。ねえ、なにが悲しいの。どうして。

「だって、さっきからあなたの言葉、」




目が覚めると、そこはいつもと変わらない0と1で構成された空間だった。0と1の床、0と1の服、0と1の体。机も椅子もなければ、ほんの少し呼吸のし辛い、粉々した空気の香りもしない。
その場からぐるりと見渡した空間には壁がなく、容量の限りにどの方向にも伸びていて、どんなに目をこらそうとも真っ白な奥行きに突き当たりは見つけられない。どこまでもどこまでもどこまでも。
急に、ひどい目眩のような寂寥感に襲われた。誰かが背後から銃で狙撃したかのように、それは唐突なことだった。

「00101110110」

どうしたことだろう。開いたくちびるからこぼれ落ちた言葉が、言葉に聞こえない。全然、あの子が口にした「00100111101101」や「110111011」」とは似ても似つかない私の言葉。膝が震えて目の前が揺らいだ。なにが、なにが起きているんだ。私の、言葉は。
不意にこぼれた小さな悲鳴もただの0と1の羅列になってのどから現れる。
いやだなんなのこれ。勢いのまましゃがみこんで痛いくらい強く耳をふさいだ。

いやよいやよいやよこんなのいや!
このままじゃ私、あの子と会えない。ここにいたのではきっと会えない。言葉が違う。吸っている空気が違う。体を構成している物が違う。
私のものはあの子のものと全く違っていた。色も形も名前も同じなはずなのに、決定的な何かが違った。服も体も髪も言葉も時間も。
あの子と出会っていなければ、私はそんなことには絶対に気がつかなかっただろうし、疑うことすらなかっただろう。だって、私にはこの世界がすべてで、本当に、世界のことなんてなんにも知らなくて。

叶わなければよかったね。口に出さなかったその言葉は無機質な0にも1にも変形せず、あの子が放った音のまま、のどの奥に溜まっている。強く両手を押しつけてふさいだ耳に無音がもたらす高い音がじんじん響く。痛い。悲しい。泣きたい。だけど、流れる涙もきっと、あの子の透き通った滴とは似ても似つかない真っ黒な数字の塊なんでしょう。風邪のように熱い息がのどから漏れて、私は必死に涙を堪えた。

「叶わなければよかったね。」のどを熱くするその言葉のせいで、今日はもう歌えないや。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -