「雪なんかにはしゃいじゃって馬鹿ね。」

なんて、そんなことを簡単に言ってのけてしまうマギーの方こそ馬鹿なのだ。馬鹿も馬鹿、地球一の大馬鹿野郎なのだ。
そう思うけれど口を開くことはせず、ただお説教をするような声を出す彼女にされるがまま金属の体にブランケットを巻かれている。口を開いたところで凍えた金属の発声器官は音らしい音を作り出せないに決まっている。だから彼女の声を聞こえなかったものとして、雪が降り続く窓の外を暗澹たる気持ちで見ていた。

「雪なんてはしゃぐほどのものじゃないじゃない。」

そんなの当たり前だ。雪なんて地球じゃなくたってニューヨークじゃなくたって今日じゃなくたって見られるのだから、そんなものが目的で寒空の下アパートの庭に立ちっぱなしだったのではない。けれどやはりそれを口にすることはしなかった。やろうと思えば俺も機械生命体のはしくれ、いくらだって声を出す手段は持ち合わせている。けれどそんな物理的な問題ではなく、俺には声を出して何かを彼女に伝えようというエネルギーがもうどこにも残ってはいなかった。こんな様を見られたくはないのに、マギーはお節介にあれやこれや俺の周りに持ってきてはぐちぐちと文句を垂れる。

「家に入ろうとしたけど合い鍵を忘れた、なんて言い訳も通用しないわよ。あんな鍵くらい簡単に開けられるの知ってるんだから。」

こんな風に変なところで聡いから困る。マギーは賢い。賢いけれど、やはりお前は馬鹿なのだ。馬鹿も馬鹿、大馬鹿野郎に違いないのだ。そんなマギーにこの気持ちが分かるわけない。
オイルじゃないけどないよりかはましよ、そう言ってマギーが取り出した小さなチューブからはなにやらいい香りがして、俺はオイルを塗らなくても錆びたりはしないのに、と思いながらただそれを見ていた。彼女はそこから出した半透明の物質を一度自分の両手に広げてから、躊躇うことなくキンキンに冷えた俺の両手を掴む。動くことすらままならないほど凍えた金属の両手を。

「つめた!」

そりゃ冷たいに決まってるさ。煙のような白い冷気が視認できるほど凍えついた鉄の塊なんだから、マギーのぐにぐにした指とは体温も硬さもなにもかも違う。まるで生きてなどいないみたいに芯から凍りついた金属の指は、お前の弱々しい皮膚にはあまりに冷たすぎるだろう。
もう忘れようと思ったのに、マギーがいらないお節介を焼くから俺はまたいらないことを考え始めてしまう。

「(驚カソウト思ッタンダ。)」

決してこんな風にではない。
マギーが「すごいわフレンジー」と言って気でも違ったみたいにきゃあきゃあ笑ってくれると思ったから、どんなに雪が激しくなっても指先が言うことを聞かなくなっても足の関節が曲がらなくなっても、ただ北極のように冷え切ったアパートの庭に立ち尽くしていたんだ。
痛いほどの冷たさを感じているだろうに、マギーは俺の冷え切った金属の指にクリームを丁寧に塗り付ける。真っ赤になった手のひらが彼女の痛みと忍耐を表していて、諦めたはずなのに再びため息が出てしまいそうな無念が押し寄せた。

「(ズット待ッテイタンダ。)」

ずっと、バリケードが新しいプログラムを持ってくるのを。この優しさも暖かみも連想させない金属の指を、体を、彼女のものと同じ温度と柔らかさに作り変えるプログラムを、俺はずっと待っていたのだ。しかし凍えてしまうほど待ってもそれは届かなかった。大方スタースクリームが俺のように小さい機体を後回しにして自分たちから先にインストールをはじめたのだろう。憎しみや悔しさよりも悲しみが胸を占めた。馬鹿みたいにスタースクリームを信じて馬鹿みたいに期待して馬鹿みたいに喜んでいた自分を惨めに思った。
マギーは氷のようになった指先で余すことなく俺の指にクリームを塗り込む。じっとそれを見ていても彼女の手の痛々しい赤色が目立つだけで、自分の指が彼女と同じ肉と体温を纏うことはなかった。

「(アレサエアレバ、ココニハ二人分ノ手ガ並ンデイタノニ。)」

あれさえあれば。
見下ろす手に靄がかかる。涙なんて人間らしいシステムはない。溶けた氷がアイセンサーにかかったからだろうか。繊細な機械で作られた視界はさらりとした液体に満たされて、その先の二つの手と二本の金属を映し出す。明らかに生命を持っていない鉄の指先を、しもやけの人間の手が懸命に撫でている、シュルレアリスムのような光景だ。
そうだ。あれさえあれば、ここには四つの熱を纏った指があったんだ。マギーはしもやけにはならず、ほの暖かい体温を持つ俺の手はきっと甲斐甲斐しくクリームを塗り込む彼女の指をしっかり握ってやったに違いない。
ぼやけた視界がマギーの手の色を広げる。その光景はまるで、四つのしもやけの手が重なり合っているようだった。

「なによ。雪あそびができなくてそんなにショックなの?」

聡い彼女は俺の悲しみに気づいたのか、先ほどより幾分柔らかい声を出し子供に尋ねるように首を傾げた。しかし雪あそびなんてしたかったわけじゃない。やっぱりマギーは馬鹿だ。こんなになるまでお前に恋した俺だって、きっときっと馬鹿なのだ。

「あんたの手、暖まったら早いのよ。」

クリームを撫でつけられた指は痛々しいまでの冷たさを消してほんのりと暖かくなっていた。にやにやと頭の上で彼女が笑っている気配がする。マギーは今日のことを知らないから笑っていられるのだ。俺はどうしても上を向いて彼女の笑顔に応えることができない。

「あたし好きよ。あんたの手、あたしが握ったらすぐ暖まるんだもの。」

そんなこと。反対にお前の手はさっきのように痛いほど冷たくなってしまうじゃないか。思って顔を上げる。見上げた睫の長い女はさっきまでの不機嫌を消し去って照れたように笑っている。口を横に引っ張って、お世辞にもうつくしいとは言えないガキっぽい笑い方。
マギーは馬鹿だ、そう言おうにも指先のように暖まりきっていない口はふるりと震えただけで思ったような動きはしてくれない。女は俺のそんな動きを確認したのか、さらに機嫌よく目尻を下げて笑う。

「そんなに雪が好きなら今度スキーに連れてったげるわ!」

握った俺の手を指揮者の仕草で振り回し、彼女は彼女なりの論理でそんな提案を導き出す。馬鹿め馬鹿め馬鹿マギー。こんな所より沢山の雪が見られるわよ、なんて、そんなのまったく何の解決にもならないんだよ。ぜんぜん嬉しくないしぜんぜん笑えないしぜんぜんお前は俺のことを理解していない。しかし、心底楽しみにしているような笑顔のまま鼻歌まで歌いだされてしまうと、頭の中で繰り返した言葉や後悔や悲しみなど少しずつ擦り減って、気がつくと内側の膨張したものは空気が抜けてすっかり小さくなっていた。俺は雪など見たかったわけじゃない。寒すぎるのは俺のような小型の機体にとって命取りになることがあるし、わざわざ遠くに行ってまで見たいものだはない。ないのに。

「決めた!有給溜まってるから来月泊まりで行くわよ!フレンジーも休みなさい。」

「……デモ、体中冷エテ、動ケナクナル。」

「大丈夫よ。子供用のスキーウェアを着れば寒さは防げるし、手は私が握っているもの。」

これで凍えないわね!彼女が一層力をこめて俺の手を握ると、僅かに暖かさを取り戻したマギーの両手からほんのり熱が伝わってきた。彼女が気でも違ったみたいにけたけたと笑うから、俺まで内側を何かにくすぐられてふいに吹き出して笑ってしまう。ガキっぽく口を横にひっぱってしまう。

「もちろん、」

これに続く彼女の言葉を知っている。意味ありげに溜めた言葉の隙間のわけだって、俺にはわかっている。重なった指に力を入れると、そこは彼女の言ったとおりにすっかり暖かくなっていた。マギーはいたずらっぽい顔をしている。俺はさっき抱えた後悔をいつの間にか消し去って、彼女の緩んだ口角を見ては馬鹿みたいにスパークを熱くしている。見つめたマギーが息を吐き出すと同時に、二人重ねて言葉を放った。

「もちろんバリケードに乗って!!」



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