『昨年の自動車事故件数は前の年を1パーセント上回り過去最高の数字を示しています。また、12月の犯罪件数は11月と比べ200件増加し、これは景気の悪化による金銭的なー……』

そこでラジオのボリュームを下げる。自分のものではなくサムがくれた真っ赤なポータブルラジオのだ。人型の時はラジオと接続できないため、気が向いたときはこれを持ち歩いて散歩に行く。正に今がその時で、隣に男が寝そべっていること以外はいつも通りの景色である。

「ごめん。音が大きかったね。」

顔の上に警察帽を乗せた男は小さくうなる返答を寄越すと、ながいながい猫のような伸びをした。反動で帽子が顔の横に落ちるけれど、拾うことはせずただ眺めるだけだった。

「……何時だ。」

「6時11分。」

「やけに明るいな。」

それもそのはず、おいらたちが今いる古いダムの照明は、辺りがうっすら暗くなり始めた頃に点灯し、半円を描く建物に沿って設置されたそれが彼と彼の帽子の影を三つの方向に作り出している。煌々と灯る白色灯がバリケードの伏せた睫の影まで三方向に映し出し、不意においらはその先端に触れたくなった。

「上手にできてるね。」

「あ?」

「人間みたい。」

先に向かって細くなる繊細な睫に指を近付けると、皮の手袋で包まれた手にはたき落とされた。触るくらいいいじゃないか。減るものでもない。頬を膨らませて男を見る。

「そっちの方が人間みたいじゃないか。どこで覚えた仕草だ。」

「サムとミカエラの喧嘩。」

人間の喧嘩はとても平和的である。まず軽い皮肉で牽制しあう。相手が引かなければ口論になる。さらにイライラが募れば殴り合う。サムとミカエラの喧嘩はそこまでひどいことはないけれど、人間同士が殴り合ったって薄い装甲同士がぺったんぺったん合わさる程度なので、ひどいけがになることはまあない。おいらたちのと違って。
なにかがひやりと背中に触れて、それを払拭するようにラジオのボリュームをあげた。バリケードが起きたので構うことはない。スピーカーの奥でさっきと同じ女の人が機械のように文章を読み上げている。彼女も機械なのかな。ふと思ったけれど、そんなはずはなかった。

『……て、プルトニウムが使用された形跡が見られたとの発表がありました。これについて調査委員会は来週にも現地で実地調査を行い、現地の反政府組織のリーダーと関わりがあったとされる……』

時々ノイズが入る一定の音を聞き続けるのは気分が落ち着いてとてもいい。内側に溜まったものを緩やかに吐き出し、前を見つめた。ダムのずっとずっと奥に光る粒が沢山ある。ビルか看板か高速道路を走る車のライトか、大小様々な集合体が点描画のように広がっている。手を伸ばせば届きそうなのに、実際はどんなに手を伸ばしても何一つ掴めない。

「いい星だね。」

伸ばした手をそのままに隣に向かって言う。さらけ出された手首に冷たい空気が巻き付いたが、気にはしない。

「地球か?」

「うん。すごくいい星だ。自然が綺麗でたくさんの生き物もいて素晴らしい文明がある。」

「だが人間が多すぎる。」

彼は姿勢を起こし吐き捨てるようにそう言うと、ポケットからたばこを取り出して火をつけた。たばこなんて人間ではないから必要なんてないのに、バリケードの所作はとても様になっている。たぶんおいらは警察の服を着ていない彼と人混みですれ違っても気がつかないだろう。それにあこがれると同時に恐怖や寂寞と似た感情があるはずもない肺の内側に触れた。

「多すぎるの?」

「知らないのか。人口は増加の一途を辿り水不足食料不足家不足職不足なんでもありだ。人口は70億を近いから、それらが全て解消されることは難しい。」

70億と言われるととてもじゃないが見当がつかない。見当がつかないくらい沢山の人が指先の光の粒にいる。男の人も女の人も赤ちゃんもお年寄りも聖人も犯罪者も。そう考えると不思議な気になった。そんなに沢山いるのにどうして。
風向きの関係でこちらには決して流れてこない煙が目の粘膜に触れる。ああでも粘膜なんてありはしない。上手に上手に作られた何も刺激を受けないゼリー質の膜のようななにかだ。
ゼリー質のなにかが不調をきたして顔を伏せた。ノイズ混じりのラジオから様々な事件が耳に入ってくる。強盗、火災、カーチェイス。きっと沢山あるはずのいいことなんて、何ひとつ伝えてはくれない。

「どうして人間に生まれなかったんだって思ってるんだろう。」

男は煙を吐き出しながらそう言った。呆れてもいないし同情しているようでもない声だ。その合間にも機械のような声がラジオから悲痛なニュースを絶えず流してくる。放火、窃盗、殺人事件。
悪い人間はこんなにもいるのに。

「……おいら、交通事故も起こさないし悪いことだってしないよ。」

「ああ。」

「核実験もしないし人を傷つけることもしないよ。」

「ああ。」

おいらならどの人間よりも人間らしく平和に生きていける。
信号無視もポイ捨ても喧嘩も口論もしないよ。サムとミカエラの喧嘩は仲裁するし、小さい子供の面倒だって見てあげる。買い物にも行くし庭掃除もするよ。悪いことは絶対にしない。しないから。

「人間になって誰の命も奪わずに生きたいよ。」

治ったはずの発声器官がじりじりと痛んだ。
バリケード。どうしておいらたち殺しあわなきゃいけないのかな。バリケードがずっと寝た振りをしていたの知ってたよ。手袋の中に銃を仕込んでいることも知ってたよ。そしてバリケードがそれを使うことにためらっていることだって、ちゃんと知っていたんだ。
男は音も立てず煙を長く吐き出した。おいらは下瞼や発声器官が熱を上げるのが苦しくてずっとずっと下を向いて、時々鼻を掠める香りだけに意識を集中させようとしていた。

「お前も知っているだろう。」

「……うん。」

「メガトロン様のためだ。」

「……うん。」

答えてしまうと、またしばらくの沈黙が二人を取り囲んで、それはバリケードがたばこをもみ消す些細な音で霧散した。
わずかに漂う香りも冷たい風に流されて、おいらたちは本当にふたりきりになってしまう。

「……お前を殺したくない。」

「殺せるよ。」

手のひらよりも小さな銃は彼の手に収まると一層玩具のように見えた。それがこめかみに真っ直ぐ向けられている。手の震えが金属の冷たい機械を通してこちらに伝わってくる。だめだなあバリケードは。そんなんじゃだれも殺せないよ。

「……お前だけは、殺したくなかった。」

そんなことを言ってしまったらどんどん引き金が重くなって、君の震える指では動かなくなってしまうよ。どんどんどんどん重くなって、おいらの覚悟も君の覚悟も無駄になってしまうんだ。いっぱいいっぱい殺された仲間の命も全て無駄になってしまうんだ。

「(バリケードは嘘をつくべきなのに。)」

お前を殺せばお手柄だとか、お前なんて大嫌いだとか、思ってもないことを口に出してしまえば少しは楽になれるのに。
そうすれば引き金は羽のように軽くなるし、君の心を苛むひどい罪悪感だって現れないのにね。

「(バリケードは嘘をついたらいいのに。)」

「(大丈夫、嘘つきだって責めたりなんかしないよ。)」

誰も君の嘘を責めたりなんかしない。
こんな辺境な惑星の夜を監視している神様なんていないんだから。






(男は構えた銃をダムの底に投げてしまった)



「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -