長政様は触らないで、そう言うと伸ばされた手は素早く動きを止め、代わりのように強く空気をつかむ形をとった。

「長政様には触られたくないの」

腕の切り口からはじわじわ赤色が湧いて、市はその色を見ながら長政様に告げた。長政様がどんな表情をしているのかは分からない。それを確認するのがたまらなく怖かった。頭の中に浮かぶ長政様の呆れたような馬鹿にしたような表情を塗り替えるように赤色ばかりを見つめる。頭の中のそれが消えない限りどうしたって長政様の方は見られない。

「市のことは放っておいて」

赤色をじっと見ていると頭の中がつんと冷たくなっていくような気がした。市はやっと流れ出ているそれを止めなくてはいけないことに気がついてなにか布のようなものがないか探したけれど、利き手に怪我をしているものだから思うように動けない。もどかしい。また長政様の呆れた顔が浮かぶ。斜め上からの視線を感じ、額に汗が浮かんだ。

「市、私が」

「いいの、嫌なの、市が嫌なの」

また長政様の表情は分からなかった。声を聞いた限りでは少し怒っているようにも思えて、それがまた市の動きを遅くさせる。傷口が鼓動に合わせてどくどくと跳ねる感覚が大きくなった。目の前が少しだけチカチカして、血がまた一滴ぱたりと落下する。
急がなくてはいけないのに。
もたもたしている市に痺れを切らしたのか、長政様が市の手首を掴んだ。怖くて小さく空気を飲み込む。けれど長政様のそれは決して乱暴な手つきではなく花でも手折るような所作で、どこから取り出したのか、清潔そうな布で傷口を押さえてくれている。

驚きながらも叱られてしまうことを覚悟してじっとされるがままに腕を差し出す。よく見ると布と同じ色をした長政様の袖口が綺麗に破り取られている。

「……私に触れられたくないのは理解した。だがこういう時は我慢して欲しい。お前の傷ついている姿は見たくない」

弾かれたように顔を上げ、やっと見ることのできた長政様の表情は、辛いような、苦しいような、痛みを我慢しているような表情で、市よりずっとひどい怪我を抱えているみたいだった。思わず顔を背けてしまうほど、市はなんだか悪いことをしてしまったような気がして、今度は腕に巻かれる浅葱ばかりを見つめる。
お医者のように手際良く布を巻く長政様は、痛くない程度に結んだ布を確認してから、叱ることも呆れることもせず廊下を歩いて行ってしまった。
さっきまであんなに恐れていた長政様の背中がひどく愛おしくて、けれど自己嫌悪が足に絡みついて一歩も踏み出すことができない。
貴方に触れられたくなかったのではない。そんなこと一度も思ったことはない。

「だって、」

だって長政様の手を汚してしまうもの。
腕の傷がじくじく痛くて、それよりずっと悲しくて、一歩も動けない市の影が、縫い付けられたように廊下に伸びていた。






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