なにも知らない少女がいます。
頭が悪く、運動もできず、美しくもなく、内気で、友達もいない、なんの取り柄もない少女です。
彼女は先月心臓の手術を終え、しばらく経過をみていましたが、先日やっと退院が決まったところです。幼い頃から心臓の弱い娘を愛情たっぷりに育ててきた両親はうきうきと喜んでいましたが、当の本人は不安でいっぱいでした。
小さな頃から何度も入退院を繰り返してきた彼女には新しい学校でうまくやっていけるか心配だったのです。
なにせ彼女は頭が悪く、運動もできず、美しくもなく、内気で、友達もいない、なんの取り柄もない少女だからです。

彼女の父親が車のトランクと後部座席に荷物を詰め込み(長い入院期間と溺愛気味の両親のおかげで病室にはありとあらゆるものが持ち込まれていた)、母親が退院の手続きと挨拶(彼女の母親は愛情深い人間だったため医者やナースや患者に丁寧な別れと感謝の言葉を告げていた)をしている間、彼女は一人、空想の世界に浸っていました。
両足を地面につけて長時間日光に当たることが久しぶりだったためか、午後のセピア色をした優しい光も彼女には少しだけ厳しく感じられます。その光の中で彼女はひとり空想します。黒板の前で難しい問題をスラスラ解く自分や、グラウンドで誰より速く走る自分や、多くの友達に囲まれて楽しく談笑する自分を。

できるかな。できないかな。できるわけないよね。でも。

「あなた、暁美ほむらでしょ」

不意に自分の名前を呼ばれて彼女は現実の世界に引き戻されました。自分と似た背格好の、大きなマスクをしたおそらく同年代の少女がこちらを向いています。

「……そうですけど、えっと、」

「私はまどかの遣いよ。あなたに用事があってきたの」

「まどか……さん?」

「教えてあげるわ。ついてきて」

不思議な子だな、そう思いつつも暁美ほむらは無知故に人を疑うことをしません。誘われてすぐに暗がりまでついて行ってしまいます。
病院のどこかへ続く半地下になった空間は殺風景でジメジメしており、肌で感じる気温も低く感じます。吹き溜まりになったそこには、彼女たち以外誰もいません。二日前に降った雨のものなのか、じっとりとした水溜りがコンクリートに染み込んで跡を残しています。
風がカサコソ足元の落ち葉を揺らすだけの空間に耐えられなくなったのか、マスクの少女が口を開きました。

「まどかはね、優しくて美しくて気高い人。いつも誰かのことばかり想っていて、そのために自分が傷ついてしまうような、そんな人。まどかは私の親友なの」

「親友、ですか」

「ええ。大切な人なの」

「うらやましいです、私、友達なんて一人もいないから……」

暁美ほむらは情けなさでいっぱいになりました。親友がいない女の子なんてきっと自分だけだろうと彼女は思っていたのです。本やドラマに出てくる女の子には必ずその子にふさわしい友人がおり、それが世間の常識のようでしたから、親友のみならず友達すら一人もいない彼女は思わずマスクの少女の視線から逃れるように顔を背けました。

「あなたも、まどかと友達になればいいのよ」

ふいに感情のこもらない声で少女が言いました。驚いて思わず顔を上げると、大真面目な視線がこちらを見ています。暁美ほむらは弾かれたように、裏返ってしまいそうな声で尋ねます。

「そ、そんな素晴らしい人と、私が?」

「大丈夫。まどかは受け入れてくれる。あの子は優しい子だから、なんでも受け入れてくれるの」

大人びた鋭い目が彼女のうるんだ瞳とかち合って、一瞬、目の前の少女に時が止まってしまったような不思議な感覚を覚えましました。懐かしい本を読み返すような、物置きになった屋根裏部屋に入ったような、いえ、もっと身近な、この感覚。私は彼女とどこかで会っている。それもずっとずっと最近。ずっとずっと近くで。

「どうかした?」

「あっ、いえ、なんでもありません!」

「あなたは……まどかの友達になってくれるかしら?」

「あ、わ、私、まどかさんと友達になりたいです!まどかさんにふさわしくないかもしれないけど、でも、そんな素晴らしい人の友達になりたいです!」



暁美ほむらは笑顔のまま、糸の切れた操り人形のように後ろへ倒れこんだ。私はすかさず手を差し伸べて彼女を引き起こし、額から流れ出した血液で彼女の衣服が汚れてしまわぬよう傷口に布をあてる。黒々としたまつげに覆われた開いたままの瞳の奥で瞳孔がじわじわと開いていく。今にも涙の一つでも流しそうなその瞳にそっと瞼を落としてやった。幸せな夢でも見ているかのように、口元が柔らかく笑っている。

「なれるわ。まどかはあなたの、私の友達よ」

用意していたスーツケースを引っ張り出し、消音器付きの銃を収める。重たい死体から衣服を脱がせるのにももう慣れたものだった。さっきまで生きた人間が纏っていた衣服に着替え、髪を結び直し、めがねをかける。何も知らない暁美ほむらのできあがり。

私は殺し屋だ。血を流した少女の体が冷たく固まってしまう前にスーツケースへ詰め込むことだって時間を止めることなくできる。衣類に血飛沫ひとつ残さず殺すことができる。一連の動作をなんの感情も持たずこなすことができる。
膝を抱えてスーツケースに収まる少女を一瞥し、それからジッパーを引き上げ鍵をかける。なんの感情も湧かない。私は自分しか殺さない殺し屋として、一流の殺し屋なのだ。

スーツケースを引きずって病院の焼却施設へと歩き出す。これを捨てたらまたまどかに会える。はじめましての振りをしてあの子に会える。そう思うといつだって何回目だって何十回目だって何百回目だって叫び出したくなるほどの歓喜が襲ってきた。
またまどかに会いたい。
その気持ちがあれば私にはなんでもできた。何百と時間を繰り返すことも、私を心から信じる人達を欺くことも、自分のレプリカをピストルで撃ち殺し続けることも。

まどか、誰より優しいあなたはかわいそうだって泣くかしら?こんなのってないよって、私を嫌いになるかしら?
でも簡単なことなの。
あなた一人を愛しきるのにちっぽけな私の命はいくつあっても足りない。ただそれだけのことなのよ。




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -