「小さい頃はメリーゴーランドの遠心力が強すぎて飛ばされちゃうのが怖かった」

メリーゴーランドの整列用の鉄柵をなぞりながらまどかが言った。冬の夜は早く、こんな廃れた遊園地に足を運ぶ人間はほとんどいない。遊具の派手な、けれどどこかノスタルジックなライトだけが夢のように輝いていて、まどかの頬にまつげの影を作る。
まどかにはどうしてこんなにメルヘンチックなものが似合うのだろう。ピンクやリボンやフリルやユニコーン。私には絶対当てはまらない、ある意味天敵のようなアイテム達。でもそれはまどかだけではない。美樹さやかも巴マミも佐倉杏子も、想像の中でやすやすとレースやハートと手をつないで笑い合うことができてしまう。
心は外見に影響を及ぼすらしく、それが機械で解析できないものでも人間は敏感に感じ取ることができるそうだ。
私にフリルが似合わないのはもう少女ではないためか。幾千もの時間を走り続けた私はまどか達よりずっとずっと心だけ年老いてしまっている。

「私も、体が弱かったからジェットコースターや空中ブランコには乗せてもらえなくて、いつもメリーゴーランドに乗ってたからその気持ちわかる」

「ほむらちゃん体弱かったの?見えないよう」

「そう?どうして?」

「スポーツ万能だもん。幼稚園くらいのこと?」

それでもぜんぜん見えないよ!まどかはずっと昔の不幸のように笑った。なんにも知らない、だからこそ価値のある笑顔で。
私は誤魔化すように唇だけで微笑んだけれど上手に笑えない。隠し事でも嘘でも、心を欺いて行動することは苦手じゃない。なのにまどかの前では全てがうまくいかなくなる。

係員のお婆さんにチケットを渡し、遊具のステップに足を掛けたまどかは一目散に夢のような五分間の相手を探し始める。豪華な装飾の二階建てメリーゴーランドは、天井に宗教画の天使が描かれていて、余白さえあればアールヌーヴォー調の金色の蔦が絡みついている。支柱の壁にはお姫様の姿見のような鏡が取り付けられており、そのわりに床はやけにかかとの音が響くバレエ教室のような木製だ。

「ずっとよ。メリーゴーランドばっかり乗せられて、周りは小さい子ばっかりなのに私だけなの大きな女の子は」

まどかは振り返ると、なんと言ったのかよく聞こえなかったみたいに少しだけ不思議な顔をした。それからすぐに小さい子が母親に向ける笑顔を見せると、再び前に向き直る。

「恥ずかしくて恥ずかしくて、でも親は元気な私が見られるだけで嬉しいみたいに外からにこにこ手を振ってるのよ」

まどかのローファーがごとごとと音を立てて馬車や白馬を縫って行く。
ねぇ、みて、ほむらちゃん、きれい、かわいい、素敵!
バレリーナみたいにくるくると遊具の間をすり抜ける彼女を最短距離で追う私には馬車も白馬も過剰にロマンチックでいっそグロテスクにさえ思えたほどだ。

「すごく恥ずかしくて、馬車があればその陰に、それがなければ白馬のポールに隠れようとしてた」

まどかは相変わらずメリーゴーランドに夢中で、私の言葉なんて聞こえていない。満面の笑みを浮かべてもうリボンとレースの世界の住人になってしまっている。
豪奢なソファや白の剥げかけたユニコーンをすいすい避けてまどかは二階へと続く階段を登る。舞踏会のお城のようだ、ロマンチックに当てられて思わずそんな言葉が頭に浮かんだ。
金色の蔦がそこらじゅうに絡まる階段には縁の一段一段に電飾がはめ込まれていて、プログラム通りに赤や緑がクリスマスツリーのように点滅する。わあと感嘆の声をあげたまどかの大きな瞳がライトアップされた支柱のライトで宝石みたいに一層キラキラ輝いている。

「ほむらちゃん元気ないねぇ」

あんまりメリーゴーランド好きじゃないの?こちらを振り返ったまどかは不思議そうな顔をして私を見た。大きな瞳は電飾やらライトやらを反射して小さな銀河のように吸い込まれそうな輝きをしている。

「昔のことを、思い出してたの」

「昔のことって?」

「ずっとずっと昔のこと」

そう 気が遠くなって狂ってしまいそうなほどずっと昔のこと。
全速力で走り抜けた何百何千何万の時間。指が何本あっても数え切れない、どんなに頭を揺すっても思い出しきれないほどの過去のこと。まどかと同じように笑い悩み苦しんだ少女の私はずっとずっと昔のもので、外見だけがみずみずしく時の止まってしまった自分はさながら化け物のようだ。
一瞬で消えてしまう光が線をなすその速度で今の自分を見ることができたら、少しはまどかと同じリボンとレースの少女に見えるのだろうか。

「……やっぱり降りるわ。こんなの、似合わない。外から見ててあげるから」

自分が乗っていいような木馬などここにはないことくらいはじめからわかっていた。まどかのいるユニコーンとリボンと金の装飾の世界が自分のいる世界と同じとは思えない。いや、実際に違っているのだ。私とこのまどかの間には気が遠くなるほどの時間が横たわっている。

「そんなことないよ!一緒に乗ろう」

まどかはすぐに泣きそうな顔をする。振り払われることも恐れず私の手を掴む。どうしてそんなに簡単に心を表へ出せるのか。不思議に思ってしまう自分が悲しい。

「だめよ。私なんかぜんぜん」

ぜんぜん、似合わないもの。メリーゴーランドにもまどかの世界にも少女のままのまどかにも。
発車を知らせるベルが二人の間を裂いてしまいそうなくらい神経質な音を轟かせる。腕の力を抜いたまどかはそれでもまだ泣き出しそうな顔をして私を惑わせる。不意に動き出したメリーゴーランドは遥か昔に感じたのと同じように結構な速度で回転をはじめ、一瞬まどかの顔に恐怖の色が浮かんだのが見えた。とっさに彼女のほうへ手を伸ばしたけれど、重たいヒールは木製のフローリングとあまりに相性が悪い。バランスを失って数歩後ろに後ずさると今度は助けを求める側となった私にまどかの手が伸ばされた。

「ほむらちゃん危ないよ!」

「……だって私は少女じゃなくなってしまったんだもの」

「え?」

「見つけてよまどか」

お願い。わがままな気持ちが溢れ出してどうにもできない。古い遊具がガタンと大きく揺れて、その拍子にヒールが二階の淵を踏み外す。一瞬のうちに遠心力によって遠くへ振り落とされた、落下するそのスローモーションの中を、まどかの手は限界まで、限界を過ぎて自分の体まで投げ出されても、私の腕をつかもうともがいていた。
私達は口を閉じていたので、観客がいない遊園地にはだれの悲鳴も起こらない。幻のような美しい輝きの中をたった二人で落下して行く。回転するメリーゴーランドは幻想的すぎて、懐かしすぎて、なんだかとても泣きそうになった。泣いてしまった。
まどかのメリーゴーランドの輝きを全部集めた瞳が泣いてしまった私を見ている。心の中に書かれた文字を読んでいるように、なににも恥じず、真剣に。なにを考えているのだろう、なにを見ているのだろう、涙でぼやけた視界ではそんなことまではわからない。
宙に浮かんだ涙の粒に赤や黄色の光が反射している。つま先から靴が浮き上がって何処かへ行ってしまった感覚がした。時よ止まれ時よ止まれ。たった数秒でいいから。そしてどうかお願い。見つけてまどか。その瞳で。世界中の美しいものを全部見てきたような目で。
メリーゴーランドから落下するスピードで、その速度で、一番最初にあなたと出会った、本当の私を見つけて。



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