「恋がしたいの」

  わたし恋がしたいの本物の恋なの永遠の恋なのサカモト先輩やハタ先生やモリモト君やニシダさんやナカムラちゃんなんかとの恋は偽物だったの本当の恋がしたいの誰も割り込めないの何にも侵されないのふたりいれば完全なのどんな障害だって無意味なの無敵の恋なのその人とは。

  一昨日から恋をすることをやめた美香さんは恋に恋する少女にしては病的過ぎる眼差しでまっすぐに私を見ていた。テーブルの真向かいから向けているはずのその目は、しかし私の体や顔を透視してずっと奥のものを捉えて不確かだった。私は自分へ向けられた私を映さない瞳を無感動に眺める。そこは異常性を秘めた輝きできらきらと輝いていた。

「今までの恋とは違うの。全然まったくなにもかも違うの」

「違うって、なにが違うんですか」

  もう15才になるのに私は恋やら愛に疎い。幼い頃からそれらを向けられなかったためだと勝手に推測している。ならば常に誰かに恋をしてストーカー行為さえ易々とやってのける美香さんが愛情いっぱいに育てられたかというと、そうではないらしいことを私は薄々感じていた。誰かに大切だと思われないことは人を狂わせる。一昨日の刃傷沙汰でやっと恋の炎を燃やし尽くした美香さんは愛によって狂わせられている。私もそれと同じくらい狂っていたって不思議はない。

「すべて。ぜんぶ。世界中がきらきらして、手を繋ぐだけ、ううん、見つめ合うだけ、そんなことしなくても、相手のことを思うだけ、思われるだけで宇宙で一番幸福になれるの」

  私を映さない目が一層輝いて、いつかうちのアパートに現れたなんとかという宗教を信仰する信者たちを思い出させた。得体のしれないものを盲信している人間はグロテスクだ。けれど美香さんの瞳はいつかの宗教家のように私を不快感のどん底に突き落とすようなことはなかった。瞬きさえほとんどしない彼女に少々気圧されながら、水滴をびっしり纏ったミルクティーで喉を潤す。ゆったり水分を飲み込むことは言葉を探す時間稼ぎにもなるのだ。砂糖味を喉に滑らせながら宇宙で一番の幸福について考える。よくわからない。

「……素敵、ですね」
「でしょ!杏里ちゃんもそう思うでしょ!きっとそうなの!なにより素敵なの!」
「素敵、です」
「きっとね、胸が苦しくて、でも愛おしくて、嬉しくて悲しくて幸福なの!」

  杏里ちゃんもきっとそんな恋をするんだよ!美香さんの声が騒がしい夕方のファストフード店の空気を震わせた。身を乗り出すように私を見る。認識する。その瞬間、透明だった私の輪郭が彼女の光によって鮮明に浮かび上がる。
  彼女の爛々と輝く瞳は確かに私を映し、頭の中で私の像を意識し、妄想を語る都合のいいだれか、自分を引き立てるための他人、そんなものではなく私という形をやっと心に見てくれる。
  宇宙で一番の幸福と目が合う。

「もうしています」

  それは美香さんです。駆け出した感情が冷静な音をもって口からこぼれ落ちた。自分でも、一体誰がそんなことを言ったのか理解できないほど、それがどんなに異常なことなのかわからないほど、素早く感情が走っていた。
  冗談にも程がある。身勝手で衝動的な言葉を追いかけて、次に猛烈な後悔が身体中に溢れ出した。なんて馬鹿なことを。驚いて美香さんの見開かれた瞳から目を離すこともできなかった。きっと気持ち悪がられる。きっと嫌われる。きっともう私を素直な眼差しで見てくれなくなる。彼女の姿はどこからか湧き出した自分の涙の膜でぼんやり歪んでいる。

「杏里ちゃん、冗談言えるようになったんだね!」

  あはは!あまりに明るく、微塵も私を疑っていない笑い声は安心どころかひりひりと悲しくさせた。ちがう。冗談なんかじゃ。衝動的に、目を逸らし続けた異常な感情に接近し、指を伸ばして触れてしまう。自分のものとは思えない赤く腫れ上がった生々しい輪郭。グロテスクな塊。

「(冗談なんて言えたためしがないもの)」

  美香さんは数日ぶりにまともな表情でけたけた笑っている。誰もが振り返る笑顔で、取るに足らない私なんかを見てくれている。いつまでそんな目を私に向けてくれるだろう。いつ私の異常な感情に気付いてしまうだろう。
  彼女の瞳を見つめ返すことすら恐ろしくなった私は、ただうつむいて果てなく遠い幸福を眺めるだけ。


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