この人はおいらを愛していない。その声はふとした瞬間頭の中に現れる。ふいに出会った街中で知らんぷりされたときや、女の子の前では吸わないたばこをおいらの前で取り出す瞬間や、人間の真似事をしているときに足や顔なんかを殴られる、そういう瞬間、煙草の先から上る煙のような静けさと妥当さでそんな声が聞こえてくる。バリケードはおいらを愛していない。立ちのぼった柔らかい煙は体内に立ちこめてゆっくり染み込んでいき、諦観を抱かせる寸前で別の意志がその声を打ち消す。愛していないなんて嘘だ。そんなものは妄想でしかないんだ。暗示のように言い聞かせると、殴られた真新しい傷跡は決まってじりじりと痛んだ。

  バリケード、声には出さずそう呼んだ。こんな状況で彼の名前を口にしたならきっと惨めな音にしかならないだろう。そんなことをしたら面倒な奴だと思われてしまう。一層嫌われてしまう。もう会ってくれなくなってしまう。シーツの中で冷えた体が一層冷たくなって、わずかに動かしただけのくちびるを閉じた。現に彼はもう自分の部屋においらを呼ぶことをやめてしまっている。次においらがなにかしでかしたら、もうこんな殺風景なシティホテルにさえ連れて来てもらえなくなるだろう。そうなったって前のようなただドライブを楽しむだけの関係には戻れない。
  遠くでサイレンの音がして、絶えずうるさい車のエンジン音が聞こえてくる。横たわったベッドからやっと見える都会の空は列をなす様々な車のライトを吸い込んで太ももに残った青あざのような色をしていた。真四角に切り取られたその空を彼の指に挟まれた七本目のたばこが白く染めあげていく。
  窓際でたばこを吸うバリケードは冷徹な神々しさをたたえて一層色っぽく見えた。ビルの人工的なライトではなく月の優しい光で青白くなる頬や、彼の髪よりずっと濃い鼻の影や、街を小馬鹿にしたような冷たくどこか物憂げな表情が、絵画の中で生きているみたいにできすぎた完璧さをしている。煙が絶えず揺れ動いているのがおかしいく感じられるほど、その一角だけ静止画めいたうつくしさをしていた。七本目のたばこから風を受けた煙が室内に枝分かれして伸びていく。肺ガンになる可能性はないけれど、煙の息苦しさや香りは好きではない。そっとシーツで口元を覆い、もういつ見られるかわからない彼の姿を目に焼き付けようと意識を瞳に集中させた。まばたきの瞬間さえもったいないと苛立つくらい、どんな些細な瞬間でも彼の姿があるのならば覚えておきたかった。きっとおいらは先の人生そのデータに縋って生きていくのだろう。
  かくんとうなづくようにふいに前へと傾いた頭が影の形を変化させて、バリケードの口元が笑っているように見えた。ふっ、と彼が小さく息を漏らすと、同時に吐き出された煙が夜景を白くしてすぐに霧散する。しばらくうつむいた形で動きを止めたバリケードは、作りものめいた指だけを外へ出して煙草の灰を落とす。もしかしたらばれているのかもしれない。ふいにそんな考えが芽生え、冷たいシーツの中で自分の体が徐々に汗ばんでいく。次第に大きくなる鼓動が生々しく耳元で響いた。
  しかし、顔を上げた彼はさっきと同じように眼下に広がる騒がしい街を定まらない目で眺めるばかりで、無防備なままおいらの視線に自らを晒している。まるでおいらが盗み見ていることに気が付いてはいないような、さっきまでの彼と連続した静謐な空気に硬直した体が柔らかくなった。ただひとつだけ違っているのは、彼の頬に小さな水滴が一粒付いていたことだった。

  バリケードは泣いていた。街の喧噪にかき消されてしまいそうなほど小さな呼吸を漏らして、確かに彼は泣いていた。懺悔のようにしとしとと、深く頭を下げて窓の外のなに者かへ許しを乞うように。言いようのない罪悪感が胸に押し寄せて激しく収縮する肺がベッドの中の鼓動を大きくさせる。窓辺で頭を垂れる彼の姿は、学生鞄を背負ってほんの間もない少年のように幼く見えた。手なんかごつごつと筋張っていてすらっとした骨格はけれど確かに大人の男そのものなのに、丸まった背中はおいらよりもずっと幼い子供のようだった。鼓動が響くシーツの中で、彼の小さな嗚咽に合わせて様々な箇所が腫れ上がったように痛む。それらはすべてバリケードに付けられた、青や赤の傷たちだ。

  強く強く目をつむり、彼の姿を視界から追いやることに集中する。感覚が研ぎすまされて、たばこの香りと自分の鼓動が一層近く感じられる。懐かしい香りはずいぶん遠い過去になってしまった記憶を思い起こさせた。地球にやってきたときのこと。命がけで戦ったこと。力を合わせて故郷を復活させようと誓ったこと。あのころの自分たちはお互いの何を認めて何を好ましく思って何を許しあっていたのだろう。
  バリケードはおいらを愛していない。また誰かが囁く。違うそうじゃない。彼はおいらを怖がったんだ。どんなに辛く当たったって握った手を決して離さないおいらが恐ろしくて、でも本当は、おいらに嫌われようと酷く振る舞う自分が一番憎かったんだ。
だから泣いているんでしょ?

  そっと目を開くと、消滅しようとする星のように燃え盛った赤いひとつの光が目に入った。彼の指に挟まった七本目の煙草はもうずいぶん短くなって、時間が絶対に待ってはくれないことを示している。ドライブに行って朝と夜の境目を見たり夜に抜け出してくだらないおしゃべりしたり飽きることなく高速道路を眺めていたあの時に、もう戻ってはくれない。それでもおいらはそばにいたいよ、頭の中で誰かが言った。どんなに君がおいらの好意を恐れても、それが原因で無理にひどく振る舞っても、それでも一緒にいたいんだよ。
  ころりと耳の方へとこぼれた熱い滴の後に、子供のように泣き出してしまった彼の背中が浮かび上がる。ひりひりと赤や青の痣が熱を上げる。
  泣かないで、こんな傷ちっとも痛くない。




近づきたい子と近づかれるのが怖い子
ビーは第六感的に人を好きになって一途に愛しそう。バリケードは手頃な相手をころころ変えそう。最初っから上手くいくわけない二人の倦怠期?みたいなのを書きたかった。最初は楽しいんだろうけど、ビーは愛が深まっていくし(だからといってなにを望むわけでもない)バリはそれが重く感じる(のはたぶん自分が愛される理由がわからない不安から)から遠ざけようとしちゃう。意地悪して暴言吐いて殴って嫌われようとする。
でもビーは愛こそはすべてで一向に懲りないし、なにされても一途に自分を好きだって言ってくるビーがかわいそうで、心のどこかではやっぱりビーのことを大切に思っているバリケードは泣いた。



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