あんたってなんでもできるんでしょ、酒に溺れて帰ってきたマギーがすすり泣きながら言うのだから、俺に否定できるはずがなかった。

「できるんでしょ、だったらねぇ、ねぇ、」

長い髪が震えている。何か言ってやれ。思うけれど今の状況に適切な言葉がヒットしない。いつもはくだらない軽口が簡単に出てくるのに、大切なときに限って俺のくちびるは縫いつけられたように黙り込む。

「愛してたのよ、あたしたち。でもだめだったみたい。ねぇ、あんたなんでもできるんでしょ、」

元に戻してよ、一際大きく彼女の背中が震え、語尾が感情的に大きくなる。こんなの知らない。マギーはもっとガサツで女っぽくなくて恋とか愛とかそういうものとは無縁の人間じゃないか。少なくとも俺のデータバンクにこんな女はいない。

「フレンジー、お願い、元に戻して、」

力なく横たわるマギーの体を前にただ立ちすくみ、彼女の苦しみを取り除く術はないか培ってきた膨大な知識から探し出そうと苦心したが、地球で使えそうな方法はなにひとつ持ち合わせていなかったものはなかった。

「マギー、ナクナヨ。」

「あんた、知らないんでしょ、愛を知らないからよ、知らないから、泣けないのよ、」

「マギー、」

「戻してよ、戻してったら。」

人間の考えが及ばないほど賢く強い俺たちでも、愛を再生するプログラムなんて備わっていない。そういった、愛だの恋だのという概念があることにはあるが、人間ほど強くはないのだ。だからそれに付随するプログラムなどインプットされていない。
それなのに、アア、と無責任な言葉を吐いてしまった自分の回路はどうにかなってしまったのだろうか。

「アア、オレニ任セロ。ダカラマギー、安心シテ眠レ。」

女は答えなかった。彼女の沈んだ気持ちを表した無言が無力な自分に突き刺さる。だれも話さなくなった彼女のアパートは宇宙のように無音になって、無いはずの心臓がざわざわした。

「明日ハ雪ダトヨ。コンナ所デ眠ッタラキット風邪ヒクゼ。大丈夫、俺ガ明日マデニナントカシトイテヤル。愛ヲ復活サセルナンテ簡単ナンダゼ。トッテオキノプログラムガ俺ニハアルンダ。ダカラモウ、辛イコトハ忘レテ眠レ。ソレカラサ、元気ニナッタラゲームヲシヨウ。バリケードモバンブルビーモ呼ンデズットズットゲームシヨウ。アアモウ空ガ青イ。ホラ、毛布ヲ掛ケテヤル。コンナサービス今日ダケナンダカラナ。オ返シハ新作ノゲームデ許シテヤル。ダカラヨク眠レ。オヤスミマギー。」

オヤスミ、そう言って再び沈黙が訪れると、彼女の肩は呼吸にあわせて小さく上下していた。ささやかな呼吸の音がする。聞き慣れた速度、高さ、間隔なのに、こんなに夜の闇に寂しく響くのはどうしてだろう。



人間は愚かだ。賢いマギーも馬鹿みたく愚かで恋などという厄介なプログラムに振り回されている。
きっと愛なんて感情がありすぎるからいけないのだろう。適量なら人生の刺激程度になるが、人間のように持ちすぎるとくだらないプログラムのために悩んだり泣いたりしなければならない。
だから俺たちには最小限しか備わっていないに違いない。

「(オレハイラナイネ。ソンナプログラム。)」

そんなことで一喜一憂しているより、マギーとゲームしたり馬鹿笑いしたり喧嘩する方がよっぽどいい。

「(ソウダ。キストカデートトカヨリズット楽シイ。バリケード呼ンデサ、バンブルビーモサムモスコルポノックモミンナ呼ンデ遊ンダ方ガ、ソノ方ガズットイイ。)」

ずっといいよ。
鼻がぐすぐすする。人間の体は慣れていないからこれがどういう現象かわからない。きっと寒いからだろう。突つけば割れてしまいそうな薄藍の空を見上げると一層寒々しくなって大きく鼻をすすった。
勿論、愛を再構成させるとっておきのプログラムなんて持っていない。こういうことには昔から相場の決まったやり方があると地球のインターネットが教えてくれたから、素直にそれに従うつもりだった。とても簡単なこと。
俺はダウンジャケットのポケットから雑誌のデート特集で紹介されていた人気オペラの偽造チケットを取り出した。マギーの男については名前住所仕事のみならず趣味口癖子供の頃のあだ名なども調べ尽くしている。
もう片方のポケットから取り出した封筒にそれを収め、コピーしたマギーの筆跡で裏に文字を記す。

「私ガ悪カッタワ。ゴメンナサイ。アナタノ好キナ歌手ノチケットヲ取ッタノ機嫌ヲ直シテチョウダイ……、コンナモンカ。」

封筒にしっかりと封をして、男のマンションのポストに投函する。とても簡単な愛の蘇生法。封筒がポストに落ちる柔らかい音と共に俺の役目は終わった。馬鹿馬鹿しいほど簡単な方法だ。

ニューヨークはよく冷える。人間の装甲は軟弱で薄く、ビル風が吹く中をやっと歩けるような状態だった。数時間前までここには沢山の人間が居たのだろうが、今はそいつらが残したゴミやらガムやらが落ちているだけでひどく閑散としている。

「(寒。)」

こんなに冷える日にオペラなんて。
マギーはオペラなど好きではない。音楽はロックだしゲームはゾンビやモンスターが沢山出てくるものを好む。ゲームのコントローラーを持ってあぐらをかきながら、きゃあきゃあ言って怪物や敵の妖怪を倒すのだ。

「(俺ノガゼンゼン趣味合ウノニナア。)」

「(シューティングゲームノ攻略法教エタノハ俺ナンダゼ。アイツパソコンノママゴトミタイナカードゲームシカヤッタコトナクテサ、ゼンゼンコントローラーノ扱イモナッテナカッタ。)」

「(仕事ノ電話カカッテキテルノニソッチノケデゲームシテタラ朝ニナッテ、上司ニ大目玉クラッタンダヨ、アイツ。)」

ふふ、人間らしい笑みが出た。すぐに寒々しいものが背筋を通って笑顔を凍らせる。
そうだ。帰ったらゲームをしよう。そんなことを昨日言ったのを思い出した。
バリケードやバンブルビーやスコルポノックを呼んで、あいつのアパートでゲームをしよう。こんなところよりずっと暖かいし、みんな呼んだらマギーのアパートは一層暖かくなる。きっと楽しいに違いない。
しかし頭の中の利口な回路はもうそんな些細なこともできなくなるだろうと告げていた。彼女はオペラに行く。その後きっと小洒落たレストランに行く。あの男とふたりっきりで。明日も明後日もその先もずっとずっとあの男と一緒にいる。ゲームはできない永遠にできないそれどころか俺達はもう会えないかもしれない。
だって俺はあの男のような人間じゃない。愛なんて感情持ってないし、失恋して打ちひしがれる彼女にかける言葉だって知らない。
マギーはあの男を恋人にする。もう一緒にゲームはできない。馬鹿笑いもできない。二度と会ってくれない。

「(デモ、マギーガ泣カナイナラソレガ正解ナンダロウ。)」

愛は復活する。俺がそう仕向けたのだ。マギーが、あの勝ち気でガサツで強かな女が震える言葉を吐き出さないで済むのなら、俺の犠牲などいくらだって。
これでいいんだ。寒さからかくちびるが震える。早く帰って持ち込んだ荷物をまとめなくてはならない。動きにくい衣服を纏った非効率的な足を動かして中心の痛みを紛らわせるように閑散とした早朝の街を走りだした。
そうだ。これでいいに決まってる。



朝日が昇った頃にアパートへ着くと、玄関扉の前にマギーが居た。寒さから身を守るためか両腕で自らの体を抱きしめ、ドアに寄りかかりながらハッと顔を上げたこちらに視線を寄越す。目の周りに赤のグラデーションをまとっている。そう表現したら綺麗に聞こえるが、実際は鬼の形相であった。

「早起キダナ。今日ハ仕事休ミナンダロ?オペラデモ行ッテ来タライイジャネーカ。」

言い終わらないうちに何かが伸びて、左頬に冷たいものが走った。痛みだ。少し遅れてそう知覚したときには既に二発目が肩にめり込んでしいて、小型の体が後ろに傾く。目の前の女が自分に暴行を加えている、そう事実を導き出したのは、骨っぽい華奢な拳から与えられる攻撃を数発受けた時だった。

「チョ、マギ、痛、イタイ!」

彼女はなにも言わなかった。赤らんだ瞳でこっちを睨みつけながら、まるでなってない力任せのパンチを繰り出し続けている。
両手でなんとかそれを受け止めようとしたが、人間の体は思った以上に動きが鈍い上、薄い皮膚に受けた痛みが重く引きずって打撃の恐怖を大きくさせた。

「チョ、痛、本当ニイタイ!!」

痛イ痛イ!!両手で精一杯ガードしながら近所迷惑も考えず叫んだ。なぜこんな目に遭わなければいけないのか。考えても信用できる答えはヒットしない。
意識が目の前の美女から離れた瞬間、固く握りしめられた拳が横面に直撃した。飲み込みの早い彼女はもうスパーリングにも慣れてしまったらしく、とてもいい動きのパンチが抉り込むように頬に入って、脆弱な人間の体が吹き飛ぶ。
痛い。殺されるかもしれない。しかし痛みのせいで動けない。
命だけは、そう振り絞った命乞いは痛みをこらえうずくまる体から空気のような音にしかならず、近づく彼女の足音にかき消された。マジで。マジで俺が悪かったよマギー。よくわかんないけど俺が悪かった。頼むから殺さないでください。くちびるが恐怖にわなわな痙攣し、迫り来る緑の髪の美人を見上げる。彼女の形の良いくちびるから発せられた、あんたが、の声は感情の高ぶりのために震えていた。

「あんたが居ないからもしかしたらって、あいつに電話したの!」

あいつ、とはマギーが付き合っていた男のことだろうか。彼女が指さしたところに転がった携帯は、アパートの壁に強く投げつけられたらしくプラスチックの外装を激しくまき散らせていた。俺もこんな風にされてしまうのか。自分の未来像を目の前にして無い血液が頭から降りる。

「あいつ、あんたのこと馬鹿にしたの!あんたのこと、単四電地で動くペットだって、馬鹿にしたのよ!」

ファック!突き立てられた中指は迸る怒りを表してブルブルと震えていた。眉間にひどい皺が何重にも寄って、睨み殺すようにその先を見ている。

「マジ最悪!あのパソコンオタク野郎!あんたも余計なことしてんじゃないわよ!やっと別れられたのに!」

状況がよくわからず、エ、と間抜けな声を出すと、彼女は仁王立ちで俺を見下ろした。いまだに十センチのヒールで蹴り上げられそうな気がして、目の前の般若から逃れるように後ろにのけぞる。

「馬鹿!勝手にヨリを戻そうなんてしないで!それにフレンジーも怒りなさい!単四だなんて馬鹿にして、あんたのこと貶す男なんてあたしはまっぴらよ!」

ぷりぷり怒ってピンヒールで携帯にとどめを加える。黒の外装のみならず中の金属製の部品までアパートの廊下に飛散した。
そんな。怒るだなんて。むしろこの感情は。

「(アレ、ナンダコノ感情。)」

痛みなど忘れて視界が和らいだ。ジョンだったかジョージだったかなんだったか無駄に記憶力がいいはずなのに忘れてしまったが、俺は床に頭を擦りつけてありがとうパソコンオタク野郎と叫びたくなった。
しかしまかり間違って彼女の前で感謝の言葉を口にしたなら、脆弱な皮膚に目の前の10センチのピンヒールが食い込むことになるだろう。スクラップはごめんだ。

「今度会ッタ時、ソーラー電池デ動イテルッテ言ッテヤレ。」

「あら、あんたエコロジーなのね!」

「ツイデニエコノミーダ。」

早朝のスパーリングと破壊行動でストレスが発散されたらしいマギーは、ムフフと含みのある笑いをして胸の前で腕を組んだ。

「このあたしが親友のあんたと離れるわけないじゃない!」

なんて憎らしい笑顔だ。そう言ったからには一生死ぬまで俺のそばから離れるなよ。




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