別れ話はすぐに終わった。ミカエラが家を出て魂が抜けきった顔で帰宅するまでの五時から八時の三時間だ。厳密に言うと、家を出て六時まで友人と話をしていた彼女があいつとの待ち合わせ場所に着いたのが六時半で、泣きながら国道を歩いて帰宅するのに30分。つまりあいつとミカエラが会っていた時間はたったの一時間。その短い時間で納得のいく別れ方をできるほど彼女たちが大人だとは俺には思えない。
 その証拠に、あの日以来ミカエラは大好きなバイクいじりも犬の散歩もジム通いもやめて、ただただ毎日ぼーっとテレビを眺めて過ごしている。クソつまんねー料理番組やゴシップニュースやアメフトの試合なんかを朝から晩まで延々かけ続け、食事さえ摂ることを忘れがちだ。
 別れ話をしてきた翌日は痛々しいくらいに明るく振る舞っていて、ミカエラの親父は「男に指輪でも買ってもらったのか」なんて笑えないことを言ったほどだった。空元気は日に日に文字通りの空虚さを増していき、一人でぼんやりしがちになる、人の話を聞かなくなる、客の依頼を忘れるようになる、など生活に支障を来し始めた。ついには間抜け親父もなにかを感じて、彼女に仕事の手伝いをやめさせることにしたのだった。そんなわけでミカエラは、一日のほとんどを自室で過ごしている。ただただぼーっと点滅するブラウン管を眺めて、現実の痛みから逃げるように心を閉ざし続けている。

 そんな日々も二週間が過ぎたある日、部屋の扉がノックされた。レノックスという男からだと電話を持った親父が言って、彼女は家の者以外の人間と久しぶりの会話を交わす。家族が軍人でもない一般人の女の子に陸軍少佐から電話がかかってくるなんて、滅多なことじゃないだろう。通話の内容を盗聴しながら、この電話が俺の想像する悲劇に繋がっていないよう祈った。俺は遠い星からやってきた裏切り者のエイリアンで、ミカエラは彼氏が宇宙人と友達ってだけの女の子で、頭でっかちな人間から見たらサムと別れた彼女はただの美人な修理屋の女の子でしかないのだ。俺がどんなに彼女の素晴らしい点を上げ連ねて一緒にいたいと説いたって、それは政府の奴らを納得させられる内容ではないらしいということをネットから学んだ。
 電話の内容は俺が想像したとおりの、地球の外からやってきたロボットが関係者以外の者と一緒にいるなんて好ましくない。だから即刻ウィーリーを連れて来てほしい、ということだった。電話を握ったままテレビを見つめるミカエラはずっとええ、ええ、と人形のように繰り返していて、俺は一言でいいからイヤだといってくれればいい、そう願うように思っていた。けれどそんなわがままを口にすることはしなかった。

 三日後、俺は彼女の車に乗ってロサンゼルス内の軍用施設まで一時間のドライブをした。錆と鉄のにおいがするあの銀の箱には入らずに、助手席で白線を眺めるだけの乾燥しきったドライブは、俺を保健所へと連れて行かれる犬の気分にさせた。ハンドルを握ったミカエラは信号を見ているようないないような目で眺め、俺はいつまでもありがとうとかさよならとか大好きだとかそんな言葉を切り出せないまま、フロントガラスにわずかに映った彼女の姿を見ていた。
 ゲートの前で二三兵士と言葉を交わすと、鉄のシャッターががらりと開いて車はゆっくり迎え入れられる。高いフェンスに取り囲まれた施設の内部はさすがに広くて、兵士の案内に従い徐行する車は別れをじらしているようだった。
 そうだ。俺とミカエラは別れるんだ。三日前に盗聴した内容をかみ砕いてもまだぼんやりとしていたその感覚が、こんな時になって冷や冷やとした痛みを持って全身に染みていく。ミカエラと俺はもう会うことができないんだ。軍の人間が早足に車を誘導する姿を目で追いながら、ミカエラの匂いがする部屋や、バイクのエンジン音がうるさい庭や、彼女がいることでいつだって完璧だった世界の中に、もう自分は戻って来られないのだと、今までの幸せな生活が一変してしまうのだと痛感した。彼女がいない家や庭や地球や宇宙は、きっとどんなに幸せでも心の底まで満たされることはないだろう。彼女より美人でセクシーでエイリアンにも偏見のない女が現れたって、俺はブラウン管の中の料理番組や親しい友人の姿や青色に変わっていく信号なんかの中に彼女の姿を見いだして、幸せとは程遠い気持ちになるに違いない。
もっと早くにこれくらいの痛みを持って気づいていれば、言えなかった言葉も言えたのかもしれない。電話がかかってきたあのとき、彼女と過ごした最後の三日間、白線を眺めている車内、そのどれかで口にしていれば、こんな引き返せない場面まで来ずに済んだのかもしれない。

「もう俺たち会えなくなるな。」
「そうね。」
「俺ミカエラが本当に好きだったよ。だから寂しい。」
 
 本当に寂しい。体の中が空っぽになりそうだ。これからどうやって生きていけばいいかわからない。

「ウィーリー、私も辛いわ。」

 やっとこっちを向いた彼女のまなざしはまだ遠い。俺の体を透視して、その奥の奥を眺めているようなまなざしだ。全身が冷たくなってすうっと透き通っていく。もう会えなくなるっていうのに、俺のことなんかまるで彼女の心には見えていない。いつだって彼女の心の中にいるのは。
 なんだよなんなんだよ。思い通りにならないことに腹を立てた猿のように、俺へと向けられた彼女の空虚な瞳にスパークが真っ赤に熱くなった。バッカじゃん。こんなの幸せだと俺は思えない。くだらないと思う。バカなんじゃないかと思う。なにが恋だよ。なにが愛だよ。抜け殻みたいになるほど好きならなんであきらめちゃうんだよ。お互い愛し合っているなら、なんで死にそうなほど悲しい思いをして別れなくちゃなんないんだよ。なんでだよなんでなんでなんで俺たち別れなきゃなんないの。

「ミカエラはサムと別れて幸せなのかよ!」

 車内にきいんと音がこもる。はっと、彼女は久しぶりに見る強いあのころのまなざしで、つやつや光る瞳孔をいっぱいにして殴られたみたいに俺を見た。ペットでもエイリアンでも男でもない、対等な立場の友人として、彼女の手で片方を潰された俺の目をまじまじと見つめた。しかしその瞳がなにかを俺に伝えようと一度瞬いた瞬間、叶わない願いだと悟ったかのように、どうしようもなく絶望して諦めたみたいに瞳の光は消え失せて、彼女はまた空元気の表情を作る。

「ウィーリー、心配しないで。」

 違う。笑うな。そうやって傷つかないで済む準備をするくらいならもっと噛みついてひっかいて愛してるって叫んでみろよ。やってみせろよお願いだから。
 基地から見知った男が出てきて、運転席側のウィンドウに歩み寄る。こいつは俺の女神じゃない。俺の目を焼きつぶした宇宙にただ一人のお転婆な女神は、いつかの空元気で精一杯の笑顔を俺に見せている。呈示している。

「私はとても幸せよ。」

なんて、泣きそうな顔はやめてくれ。











the light of your eyes:きみのたいせつなもの,きみの最愛のひと


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