ホテルのベッドに寝ころんで今日の会議の反省点を頭に浮かべていると、ふいに携帯が青白く光った。時間は深夜の3時である。仕事に関することかと思い着信を見ると、液晶には見慣れない数字が並んでいた。仕事柄数字には強いあたしだったが、画面に並んだ黒い文字列は初めて見る番号のようで、記憶のどこを探っても一致する数列は見つからない。
フレンジーがいたずら電話をしてきたのかもと考え、今まで眠っていました、という声をわざと作って電話に出た。
「……もしもし。」
「……マ…………ィ……ッ、」
「……、どちら様ですか。」
「ノ……ッテ……ゥ……、」
ノイズがひどく、時々どこかの回線から知らない人の会話が割り込んでくる。一体なんなのかしら。ノイズの奥の途切れ途切れになった言葉を拾いつつ携帯のボリュームを上げる。
「フレンジーなの?」
「……ッマ……ギ……ィ」
相変わらず雑音は止まず、こちらの電波が悪いのかと裸足のまま窓際へ移動した。出窓の外の静まり返った暗闇の中には点になった光があちこちに散らばり、その中にぼんやりと自分の姿が映っている。行儀悪く出窓の上に腰掛けて電波を探してみたが、スピーカーからは相変わらず耳障りな音が響いていて一向に改善しない。彼はよっぽど電波の悪いところにいるらしい。
「ァ……イタッ……」
「会いたいって?ふふ、こっちだってよ。あんたが居ないと退屈で退屈で仕方がないもの。」
「……アィ……ッイ……」
「はいはい。あんた今日はやけに甘えてくるわね。」
あたしが照れ笑いしてそう言うと、スピーカーの雑音はひと際大きくなり、電話口の男はなにも喋らなくなった。電話は対面じゃないから、こういうときに彼がどんな表情をして、それがなにを示しているのかを知ることは難しい。
「大丈夫よ。明日になったら一番に飛行機に乗って帰るわ。すぐに会えるわ。」
電話口からはやはりノイズしか聞こえず、もしかして寝ぼけて電話をかけてきたのかもしれない、そう思った。けれど、液晶に現れた携帯の番号は彼の物とは違う番号だったから、寝ながら何かの回線を開いて実際に電話をかけてきたのかもしれない。
変なフレンジー。帰る日にちも時間もその後の予定も教えたのに、子供みたいに不安になっている。なんだかいつもの彼らしくなくて、背中がそろりと騒いだ。
本当に、一瞬のことだった。
「フレンジー、」
安心させるように優しい声音で呟いた。部屋の時計を見上げると、電話がかかってきて三十分近く経過している。さらけ出された裸足のつま先も冷気を纏って固くなっている。寝る前にマッサージしなくちゃいけない。
その頃には虫の知らせのように背中が震えたことなんか忘れて、明日は一日だらだらして過ごそうとか、ビールがないから買っておかなくちゃとか、そんないつもと変わらないことをのんきに思って、窓に映る暗闇の世界を眺めていた。昨日の続きのような明日が来るのだと、なんの裏付けもないことなのに、あたしは漠然とそう思ってノイズに耳を傾けていた。
「大丈夫よ。いつだって会えるわ。」
スピーカーからは耳障りな雑音だけが聞こえていた。もう、知らない誰かの声さえも聞こえてはこない。
そうよ。あたし達、明日になったらまた会える。