パスタだとかハンバーガーだとかケーキだとか、調理の方法で様々な名前が付けられた何万種類ともいえるレシピはどんなに体内のエネルギーが不足していようと俺に食という欲求を催させない。
それどころか、様々な皿に乗った彩り鮮やかな肉や魚や野菜の加工物は俺に言いようのない不快感を与えてくる。
写真ならばまだ我慢ができよう。目を逸らせばいいだけなのだから。しかし突然目の前にそれらが現れた場合は酷い。
臭いというものはどうしてここまで吐き気を催させるのだろう。一瞬の気の緩みから気管に入った臭気は、臓器の内側を不快に刺激し、グロテスクな嘔吐感を脳に伝える。それによって唾液の分泌が促進され、舌は胃液の生々しい味を再び嘔吐感という信号に変えて脳に送り返す。また胃液が湧いてくる。脳に信号が送られる。延々、肉体の気が済むまで不毛な現象の繰り返しだ。

どれだけ肉体が嘔吐行動を行おうと吐き出されるものなどなにもないのだが、不快なものは不快である。いっそ何か形のあるものを吐き出してしまいたい、そう思うほどに長時間背筋には冷えた汗が伝い、目尻には涙が浮かぶ。忌々しい肉体め。自分の体であるはずなのに思い通りにならない苛立ちに舌打ちした。


「その物体を今すぐ処分しろ!!」

壁を思い切り叩きつけながら叫ぶと、ファーストフード店のマークが入った袋を手にしたまま何事かとフレンジーが勢い良く振り返った。やめろ。巻き起こった風が臭気をこちらに運んでくるだろう。それも一番厄介な油と肉とポテトの臭い。
袖で鼻を覆いながら馬鹿面で俺を見るフレンジーとバリケードを睨みつける。このままでは呼吸もままならない。忌々しい肉体に残された僅かな機能を使い、強制的に嗅覚に直結したいくつかの回路を切った。取り込める酸素量が少なくなるから持って三十分。それまでにこいつらがバラ撒いた臭気とその元を基地から消してしまはねば。

「んだよ俺たちの昼飯に文句つける気か?」

「黙れバリケード。いいか、今すぐそれを基地の外に廃棄しろ。そして基地中の換気を始めろ。さあ早くやれ!」

「待テヨ、マズ先ニ理由ヲ聞カセテクレテモイインジャネーノ?」

フレンジーの油でぎとついた指先が突き出され、怒りが増幅する。クソクソクソ。なんて聞き分けのない奴だ。殴りつけてやりたい気持ちを懸命に堪えた。
時間は限られている。とにかく簡潔に。分かりやすく。人間の文化に冒されたこいつらの頭でも納得できるように説明しなければ。

「いいかよく聞けよく理解しろ。異臭を放つ人間の食い物は不快だ。臭いごと早く片づけろ。」

「まさか、お前まだ人間のエネルギー摂取方法を試したことないのか。」

「この俺がそんな非行率的すぎることをすると思うか?ひどい臭いにグロテスクな見た目の、人間の手によって作られた拷問道具のような加工物のごく僅かなエネルギーのために咀嚼と嚥下を繰り返さなければならない理由がどこにある!」

「ハア?別ニ臭クモグロクモネーシ。普通ニウマソウジャン。頑固ナコト言ッテネーデ一回試シテミロヨ。」

いいから今すぐ処分しろ!怒鳴りながらそばにあった携帯を投げつける。俺たちの通信回線より遙かに劣ったおもちゃのような機器をわざわざ持ち歩いているのは、最近やけに人間と親しくしているフレンジーだろう。一瞬の判断から隣のペン立てではなくそれを選んだのは嫌がらせのためだ。手のひらよりも小さな青色の機器は目にも留まらぬ早さで飛んでいき、持ち主の背後の壁に激突して大破した。
ざまを見ろ。破壊行動は少々のストレス発散に役立った。慌てて立ち上がったフレンジーはただのパーツに成り下がった元携帯に駆け寄り、スパークに刃を突きつけられたような表情で修復できるかどうか検分している。
バリケードは冷めた視線に僅かな憐憫を浮かべてフレンジーを目で追ったが、今度は眉を険しく寄せて、俺に向き直った。

「なに苛ついてんだよ。」

「うるさい。お前たちの頭の悪さには怒りを通り越して哀れみすら覚える。」

「わかったよ捨てればいいんだろ。それはわかった。だがな、もっと方法があるだろ。ケータイを壊さなくてよかったはずだ。」

お前如きが偉そうに。鼻で笑ってやろうとしたとき、不意に酸素が不足しつつあるブレインが揺れた。ああもう二十分経過してしまった。

「何様のつもりだバリケード。」

「何様でもいいんだよ。人間の体で人間と共存しているうちは、俺たちなんだっていいんだよ。」

「お前に誇りはないのか。人間に情が移った間抜けめ!」

壁に背中を預けたまま、バリケードが侮蔑の表情でこちらを見る。こめかみの辺りが熱い。酸素不足だ。この部屋を出て新鮮な酸素を得る前に目の前で分不相応な表情を浮かべる男に罰を与えなければ。革靴を一歩踏み出すと、頬に小さな固いものが掠めた。こめかみよりももっと切実な熱さ、痛みを感じ指で拭うと、染み出した赤い液体が指先を汚す。

「フレンジー……。」

俺が傷をもたらした物の正体を確認する前にバリケードが呟いた。名前を呼ばれた男を見ると、指の先に薄い鋭利な鉄の円盤を浮かべ、怒りという生々しい剥き出しの表情で俺を睨みつけている。震えるほど食いしばられた歯が、理性が決壊しかけていることを表していた。今度は決して狙いを外したりしないだろう。
畜生。なぜこうなってしまったんだ。酸欠と怒りでめまいがする。

ここに来てからこいつらはおかしくなった。反抗的で身の程を弁えず、力で解決できない問題が出てきた。それもこれも、人間なんていう感情的で知能の低い生物と親しくしているからだ。金属生命体という気高い誇りがあるというのに、一時の快楽に身を任せて人間などに馴染んでしまうなど愚かしいにもほどがある。

力を振り絞ってふらつく体をなんとか支える。あと一分でこの部屋の空気が完全に洗浄される見込みは無い。
馬鹿共が、呟いて入り口に歩み寄る。センサーを関知したドアが音もなく開くと、やっと新鮮な空気が肺に流れ込んできた。ああ頭がぐらぐらする。クソ。こんな部屋に来るんじゃなかった。いや、初めからこんな星に来るべきではなかったのだ。

「人間ニ馴染ムノガ怖イクセニ!!」

扉が完全に閉じきる前に負け惜しみのようにフレンジーが怒鳴った。それは基地の長い廊下に反響していつまで経っても薄まらない。
腹の底から湧いてくる熱を冷ますために長く息を吐きだした。馴染むのが怖いだなどと。馬鹿め。誇りを失った鉄屑の馬鹿共め。通路の壁を拳で殴りつけると、低い音が薄暗い廊下の先へと延びていく。
不意に頬の傷に熱を感じ、まだ完全に乾ききっていない傷口を指でなぞった。そして、フレンジーが人間の女から携帯をもらってうかれていた、とバリケードが言っていたのをふと思いだした。



「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -