髪をまとめている。ハイヒールを履いている。黒のジャケットを着ている。資料ケースを持っている。
あたしという形はそんなもので作られている。

隣の座席に放るように置かれた資料ケースには金星に届ける地球の資料が入っていて、夜間連絡宇宙船のエコノミー席に腰を落ち着けているのはあたしと薄っぺらなこの相棒、ただ一人とひとつだけだった。
目の前の座席の目の覚めるような青色を見ていると、急にハイヒールで締め付けられた踵が痛みだし、脱ぎ捨てようかとスカートで同等に圧迫された腰を屈めた。しかしヒールに指先が触れた瞬間にわかに不安になり、誰もいないことをもう一度確かめるため痛む踵に鞭を打って立ち上がる。

ブルーの座席が右二列、中央三列、左二列と整然に並ぶその様は、窓の外さえ映さなれば飛行機のエコノミークラスにしか見えない。
それでも目に入ってしまう窓の外の深い深い闇の世界や隕石や遠くの月の輝きなどは、あたしに不思議な感覚をもたらす。
なんだか世界から切り離されたような。
しかしそれは重力や地球のしがらみからの解放を意味しているのではない。

無音の船内に整然と並ぶ青の中にぼうっと立ち尽くしていると、突然異様な孤独感を覚えた。急に、胸の外側を大きな針で突いたような始末に負えない感覚が降って湧いた。払拭するように勢いよく座席に座り、できるだけ乱暴な動作でハイヒールをひっ掴んでバラバラに脱ぎ捨てる。重いヒールが床の上でごとんと鳴った。
次に資料ケースから自分が目を通しておくべき書類を漁るようにして探し出した。数枚ずつ丁寧にファイリングされたそれを、破れそうになるのもかまわず引っ張りだし、何度も読み返した文面に目を這わして意識を集中させる努力をする。

「(……のデータベースによると、三年後には人口増加による食料難が……)」

「(……で、近く会合を開きこの問題に取り組むとしているが、政府筋からの情報……)」

「(……宇宙人節は否定された。しかしこれは政府の一部から否定的な……)」

集中しようとすればするほどぴりぴりと孤独感が襲ってくる。どうして集中できないんだ。来る前に夕食を食べなかったからか。サプリメントを飲まなかったからか。三日前から一睡もしていないからか。
肺の底から強く息を吐き八つ当たりのようにぐしゃりと頭を掻いた。しかし次の瞬間途方もない後悔が押し寄せ、前髪を強く掴んだ手をそっと開く。やってしまった。せっかく整えた髪型が。
行き場のない怒りから歯ぎしりをした。資料をファイル上に置き、荒い呼吸のままじっと瞼を閉じる。ストレスで呼吸が難しくなったときはこうすると気が落ち着くのだが、ハイヒールの跡がじりじり痛んでなかなかうまくいかない。

落ち着け。落ち着くのよ。なにも辛い事なんてないわ。ゆっくり呼吸して。髪の毛はトイレで直す。ドライヤーはないけれどヘアピンがあるからそれでどうにかなるわ。
焦らないで。大丈夫よ。靴だってここにいる間は脱いでいたらいいし、ウェストだって緩めたらいい。こんなの辛くなんかない。大丈夫。あたしは平気。
徹夜続きでもやりたい仕事じゃなくても報われなくても、大丈夫よ。きっと。

体の中の悪い空気を入れ替えるように深く呼吸をする。
ふと窓の外から何かの気配がしてそちらを向くと、大きな隕石がゆったりと通り過ぎて行くところだった。その暗いデコボコに情けない姿の自分が映っている。髪がぐちゃぐちゃでクマが隠せていなくて不幸のどん底にいるような女の顔。

「(あたし何してるんだろう。)」

どくん、一際大きく心臓が鳴って、足が痛み出すと同時に下瞼に涙がにじんだ。
あたし、なんでこんなになってこんなことしてるんだろう。
痛い。スカートが捲れ上がることも気にせず抱き抱えた足を撫でた。そこにはストッキングの上からでもわかる赤い跡がついていて、指が触れると発熱したように痛む。

なにしているんだろうあたし。
家を出るまで、タクシーを降りるまで、ターミナルに着くまで平気だったのに、青い座席の列に潜んだ何かにつけ込まれて喉から嗚咽が漏れた。

「重力ニ逆ラッテミロヨ!」

隕石の暗い表面にそう笑ってみせるあなたの顔が浮かんだ。
そんなの無理だわ。
だってこの宇宙には重力がばらまかれすぎたわ。
ハイヒールの跡が痛い。重力なんてなければここに傷なんかできなかったし、あたしもこんなに惨めな思いをしなかっただろう。

「オ前ハ少シガンバリスギダ。力抜イテミロ。重力ナンテヤッカイナモノハ捨テナ。」

無理だってばフレンジー。
宇宙にだって重力があるわ。あたしはハイヒールが大嫌いなままだわ。

ぼろり、大粒の涙が頬を伝って下へ下へと落ちていく。

フレンジー、あなたの居場所なんてどこにもなくなってしまったわ。











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