ていのうだといわれた。
よくわからないけれど、それはかしこくないという意味らしい。解析やら計算ができないと、ていのうになるらしいのだ。
たくさんの人がそうだといったので、私も自分をていのうだと信じてゆるがない。ていのうのほんとうの意味はわからないけれど、それをわからないことがていのうであるらしかったから。

「スコルポノックはこんな簡単な解析もできないのか。」

そうみんなの前でだれかを叱り、はずかしめるのがこのひとの日課。私をていのうだといったのもスクラップだといったのもごみくずだといったのもこのひとがはじまりだ。
私はていのうでもスクラップでもなんと呼ばれようといっこうかまわない。それはほんとうらしいから、否定する要素も必要もない。ただだまって聞きながすだけ。
でも、マスターはそうしない。

「スコルポノックはドローンだ。俺達と同じレベルを求めるのがそもそもの間違いじゃないか。」

「レベルの低い者をこの船に置いてやる義理はない。今すぐにでも宇宙に放り出して構わないんだぞ。」

宇宙に。
それがどんなに恐ろしいことか、頭のわるい私にもわかった。まっくらで、果てがなくて、無重力で、マスターがいない。
マスターが。
背骨にぞろりとなにかがはって、ただだまって聞きながす、そんな仕草がつくろえなくなった。おもわず一歩よこへからだをよせる。背のたかいマスターのまとう空気は、私を安心させるたしかなものをもっている。

「ブラックアウト、お前の調教がなっていないからスコルポノックは低能のままなのだ。」

めのまえの男は私の動揺にきがつかなかったらしく、あいかわらずのイライラした口調でマスターを責めたてる。いけないのは私なのに、私からそれた怒りの矛先がまっすぐにマスターを刺している。

「(ああそうか、)」
私がかしこくないからマスターに迷惑をかけてしまったんだ。私がていのうだから、マスターは。
とても論理的なそれをたったいままで理解できていなかった自分を恥じた。こんなシーンはなんどとなくあったのだ。あったのに、ていのうの私は。
ぎゅっととじたくちびるのなかで舌をかむ。私がていのうだから。かみしめるようにそうおもうと、なんだかひどく、かなしくなった。

「調教のなっていないドローンなど獣と同じ。主人が低能だからドローンも低能なのだろう。」

このひとは、マスターまでていのうだという。マスターはていのうじゃない、強くそうおもうけれど、私はひとりきりの宇宙を思いだして、再びからだを一歩よこにつめるだけだ。
マスターごめんなさい。私の頭がわるいから、マスターに迷惑をかけていたんだね。こんなにも簡単なことに気がつかない自分は、やはりみんながいうように、救いようのないていのうなのだろう。さいあくだ。ごみくずだ。スタースクリームがいうように、私は獣とおなじ、下品できたならしい恥ずべきいきものなのだ。

もうマスターの声もスタースクリームのいじわるも聞こえない。ただ悲しくてもうしわけなくて、真下のタイルをながめて呼吸をころした。鉄のタイルでかこまれたホールはじんわりとした冷たさで私の心臓にふたんをかける。ブラックホールにつつまれたみたいで、一層私の中心を冷たくさせる。

ホールからひとりまたひとりと気配がなくなるのをかんじ、すこし顔をあげてその気配をおった。前からこちらへ歩いてくるフレンジーとバリケードが手でなにかの仕草をしたけれど、ていのうの私にはその意味がよくわからない。
やはりていのうは不便である。ていのうの意味がわからないほどに不便である。

「ねえマスター、私、ていのうでごめんね。」

だれもいなくなった空間にそのこえはずっととどまってなかなか消えなかった。
こちらを見下ろすマスターをじっと見返すと、ふいにその瞳はつるりとゆれて、それからひどく辛そうにゆがんだ。いけないことをいってしまったのかもしれない。それとも、いまさらなのかと私のばかさ加減にあきれたのかもしれない。ぞわぞわ、ブラックホールをめのまえにした感覚が肺のうちがわにひろがって、おもわず私はくちをむすぶ。

「お前は謝らなくていい。」

吐きだされたマスターのことばは、とても乱暴でつきはなしたようないいかただった。けれどそれは、背筋をはうつめたいものをがまんした独特のふるえをもっていて、私はくちの先からでかかったごめんなさいのことばを飲み込まざるをえなくなった。

「お前は謝らなくていいんだ。なにも。スタースクリームやフレンジーの言うことなど気にする必要はない。」

でも、きになるよ。マスターに関係することなら全部きになるよ。あやまらなくてもいいなんて、そんなの、そんなの。
私はていのうなりにことばをえらぶけれど、結局マスターの赤い瞳をみつめかえすことしかできなかった。こちらを見下ろす瞳の表面はつやつやぬれて、あんなに私を落ち着かせた空気はもうどこにもない。

「お前は俺が教えたことだけを知り、理解したらいい。下らない単語も知識も覚える必要ない。」

なにも理解しなくていいんだ、なにかを隠すみたいにまっすぐ前を見つめてしまったマスターが、つまったようなこえでやっとそういった。マスターの体は背がたかくてぶあつくて、私のほうからはこっちを向いていないマスターの表情はよく見えない。
ねえマスター泣いてるの?私がていのうだから泣いてるの?私がいけないことをいったから泣いてるの?
そのどれも、くちにすることは難しかった。かわりのことばを慎重にさがしてみるけれど、ていのうの私はまたばかなことをいってマスターを悲しませてしまいそうな気がして怖かった。
マスターののどから再びかすれた音がもれる。ああきっと私がいけないことをいったからだ。肺の内側をブラックホールがなでていく。それはとても、とても冷たい。

「ごめんなさいマスター。へんなこといったみたい。やっぱり私、ていのうなのね。」

「違う、低能じゃない、お前は低能じゃない。」

そんなふうにいわれたら、私はいっそう自分がていのうなのだとかんじてしまうのだけれど、まんなかがつんとなる声をマスターがだすから、もうそんなことどうだっていいような気がして、マスターのふくらんではしぼむ呼吸や、呼吸とともにはきだされるわずかなふるえの方が、よっぽど気になって仕方がなかった。

「お前は低能なんかじゃない。獣だなんて、あんな野蛮で原始的なものとはまったく似てなんかない。」

お前にはつらい思いをさせたな、すまない。
やっぱりマスターの声はかなしみでぼろぼろに濡れていた。おねがいマスター泣かないで。もう二度とていのうだなんていわないから。今よりずっとずっとかしこくなるから。マスターは悪くないんだよ。あやまらなくっていいんだよ。悪いのは私がていのうだからで、マスターはなんにも悪くないんだよ。
瞳につるりとした水分がたまって、頭のなかがかあっと熱くなる。中心のあたりが重力をなくしたみたいにへんになって、もしかしたら、マスターはほんとうのことをいっているのかもって、私は獣みたいなていのうじゃないのかもって、当たり前のことのようにマスターとおなじ生き物なのかもって、そんなこともありえるのかもしれないだなんて思い出した。
そんなことは絶対ありえないはずだけど、だけど、それでも、もしかしたら。

「(ていのうじゃない、なんて、)」

まんなかはうちがわからつよく皮膚をたたいて呼吸をあらくさせる。おおきなおおきな獣みたいに、まんなかのボールがはねまわる。
目の前がじわりとゆがんで、そのふちが溶けだしてしまいそうなくらいに熱い。
熱い熱い熱いよう。はじかれたようにマスターのうでにしがみついた。つよくつよくくっついて二度とはなれないくらいに。
すじばった頑丈であたたかい手が私のあたまにいどうして、壊れやすいものに触るみたいにてっぺんをやさしくなでる。よくわからない感情が中心をみたして、私に理解ふのうな信号を次から次へとおくりだす。

もっともっと。もっとマスターにさわってほしい。もっとマスターに近づきたい。もっとマスターと一緒にいたい。もっともっとずっと私はマスターに。

「(もっとずっと、私はマスターをしあわせにできるいきものになりたいんだ。)」

ああでもまったく解析のきかないこの感情は、やっぱり獣のしょうめいになるのかな。


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -