中禅寺龍一くんの連載3

帰宅すると母家の玄関先に姿勢の悪い小柄な男が所在無さげに突っ立っていた。
見覚えのある曲がった背中。自分とそうかわらぬ背丈。濁っているくせにやけに高慢そうな目が合う。無精髭に囲まれた口で、ああとかううとか唸ってから挨拶よりも先に名前を呼ばれた。
「龍一君」
「こんにちは。今日は父も母も出掛けていますよ」
室内以外で会うのは初めてである。陽に曝され細部まで暴かれた中年の男は、思っていたよりも顔の造りは繊細で背も龍一よりはまだ高かった。それでも着ているものは草臥れているし髪は脂っぽくて髭も伸びているから、いくら意外に睫毛が長かろうが一寸背が高かろうが、よく見れば印象通り見窄らしいことに変わりはない。
「居ないのかい」
もごもごと何か食べながら話しているような聞き取り辛い声で関口は坂を眺めながら云った。
「直ぐ帰って来ると思いますけど。上がって待っていてください。僕は父とは違って色だけ着いて味のしないお茶は出しませんから」
「え、ああ。でも」
「別に構いませんよ。母が帰るまで夕飯はお預けだし、どうせ暇ですから。関口さんだって何か父に用があってこんな坂態態登ってきた訳でしょう?折角ですから上がっていってください」
きっと用などない。父を訪ねてくる友人達の殆どが何をしに来たのかまるで判らない。ただ寝て帰る者もいれば、縁側で数分話しただけですぐ帰るも者もいる。
またうんとかああとか吃音を繰り返しながら結局関口は門をくぐり、居間の定位置に座った。座ったと云っても少し腰が浮いて非常に落ち着かない様子である。
勝手へお茶を淹れに行った時既に龍一は苛立っていた。矢張あの男は好きになれない。父が友人と云いたがらない訳が少しだけ解る気がする。
盆に乗せた急須や茶筒を運び乍ら居間へ戻ると、父親の知人は亀の様に頸を伸ばして龍一を一瞥して一言、すまないと云ってまた躰を目一杯縮めた。
「母の様に旨くはないでしょうが、出されるだけ良いでしょう?一応お客さんですからね」
ううんと亀は唸った。
「君は段々彼奴に似てきたなあ」
父親を彼奴呼ばわりされて益々龍一は肚の据わりが悪くなった。こんな人として出来損ないな、社会の屑のような男に彼奴呼ばわりされる筋合いはない。聞けばこの男はろくに本業の小説も書かず寝てばかりの自堕落な生活をおくっているらしいし、そのお陰で家計は火の車だと云う。
「今日は仕事はお休みですか?」
「休みと云うか――まあ最近はあまり書いてないよ」
愚鈍な小説家には厭味が通じないらしい。熱いのか、湯飲み茶碗を奇妙な手付きで持ち上げ乍らお茶を啜っているその様が妙に汚ならしく思えた。
――ああ汚い。その茶碗は捨ててしまおう。次に使う客に失礼だ。
無精髭に縁取られた口元がお茶を含んで光っているのが厭だ。ちらちらと自分の方を窺ってくる濁った瞳が厭だ。
厭だ。厭だ。厭だ。厭だ。
何もかも赦せない。
「あんたなんか――」
「京極堂」
龍一が云いかけた言葉は、父を目にした瞬間弛緩した猿面に掻き消されてしまった。