嬲者

馴れ馴れしい奴だ。ちらちらと覗く八重歯が長い髪が、如何にも調子良い。よく跳ねる声が関口さん、関口さんと馬鹿の一つ覚えの様に繰り返す。何もかもが私とは正反対である。だからこの若者が時に疎ましく、また時に羨ましかった。
「関口さん、これ。見ましたよ」
「ああ」
近代文藝と言う唯一私の作品を掲載する雑誌を乱雑に翳し乍ら、弛緩しきった阿呆面を更に崩して益田が言った。
見たとはつまり、ろくに読んではいないのだろう。成る程益田らしい。
「難しいことは解りませんが、関口さんの小説はけっこう凄いと思うんですよ」
これほどの軽口を叩く奴を私は他に知らない。若いから仕方ないのではない。益田の場合凡て態となのだ。白々しいことこの上ない。
だから私は偶に肚が立つ。軽率な振りをして世間をすり抜けるその器用さが、決して私には真似出来ぬから矢鱈に気にしてしまう。
私には中身が無い。空っぽである。この歳になって夢や希望がある筈もなく、況してや信条も無い。無い。無いのだ。私はつまらぬ人間だ。だからこの若者が鼻につく。
益田は賢い。利発で場の空気だって人一倍読める。能ある鷹は爪を隠すのだろうが、益田は間違っている。隠す必要のないモノまで雁字搦めに縛って肚に閉じ込めてしまっては、ヒトとして益田の価値は無に均しくなるだろう。そこに何の意味があるのか、それが私にはまるで理解出来ない。
「益田君、君は誰だ」
私が知る益田龍一と云う若者は、どれくらいが虚像なのか教えろと云いたかった。
「誰って。僕は僕ですよ。カストリの記事じゃないんですから、僕の正体が僕の皮を被った死体嗜好者だとか云わないでくださいよ?」
無思慮な言動にまた少し肚が立った。
「君は質が悪い」
「はは。参ったなあ。センセイには敵いません」
両手を間抜けに挙げて頸を傾げた幼稚な仕草を一瞥して、今度こそ私は不愉快になった。
道化を演じるのが得意な気で居るのだろう。その手には乗らぬ。
「君に私は騙せない」
「あなたを騙して如何するんです?」
間髪入れず返された返答から感情は汲めなかった。この若者は時折その一面をちらつかせる。情無い。酷薄とも云えるその口振りは私の様な人間には少々堪える。益田の場合、平素は愛想よくへらへらとしているものだから余計浮き彫りになるのだ。
「騙しても僕には何の利点もありませんよ」
ご尤もである。
「大体ね、関口さん。僕は人様を騙せる程ヒトがなってません。誰かさんみたいに能弁でもないですし、ご心配なく」
また平素の上調子に戻ると益田は、その誰かさんは遅いですねえなどと間延びした口調で不平を口にした。
その誰か――古書肆、京極堂の母家の客間で私達は待ちぼうけをくらっているのだ。私はここに腰を下ろしてから数分の間この若者の一挙手一投足に気をとられ、その事さえ忘れていた。
「彼奴は地獄耳だよ。軽はずみに悪口なんて云うもんじゃない」
「関口さんに云われると、なんだか信憑性に欠けますが――まあ、気をつけます」
この若者は私を足蹴にする術をいつの間にか身につけたらしい。待っている間得意の出涸らしさえ出しもしないこの家の主から学んだらしい。
忌々しい。
「それにしても中禅寺さんは如何したんでしょう。早く帰ってきて貰えないと僕ァさっきから居心地が悪くて仕方ないですよ――あ、猫」
なんと正直な物言いだろう。
半身を不自然に捩ってお出でお出でと繰り返すその様は如何にも私を拒絶している。
稀代の変人達に囲まれ、私を蔑視する英才教育を叩き込まれたこの青年の意外と整った顔立ちに、爪痕の一つでも残してやれと唯一敵でも味方でもない猫に向かって念を送ってみた。