血肉

転がっている。
人間が真っ赤になって肉の塊のように転がっている。
便所虫の様に丸まっているそれ自体がもう真っ赤で、本当に肉の塊が転がっているように見える。真っ赤なのは刃物を以て斬りつけるとか切断して刻んで仕舞うとかしたからで、それは当たり前の事であるから奇怪しくもない。切れれば血が出る。だからこんなにも真っ赤なのだ。
顔が人相を識別するには足りないので誰だか判らない。鼓動を打っているのかとか確かめようにも触れられない。どんな感触がするだろう。
この儘放置する訳にもいかない。友人に電話をしてみようか、直接自宅を訪れようか。妻の帰りを待とうか。
「折角僕が煎れてやった茶さえも啜れないらしい」
「出枯らしは嫌なのさ。味がしない」
声がしたので目線を上げれば友人が居た。何だ電話を掛ける必要も外出する必要も無いじゃないか。これは都合が善い。
「どうしたものかね」
「何がだい」
「あれさ。何時までも置いた儘ではいられないだろう。畳が染みになる」
それにしても酷い出血だ。
「木場の旦那が怒るだろうか」
「誰を」
「僕――否、君や榎さんは後から来たのだから。ああ、うん。矢張僕だね」
「関――」
京極堂が榎木津を制止したのが可笑しくて笑うと京極堂も珍しく笑った。噫、何だかたった今どうでも善くなった。この友人の機嫌がこんなに良いのだから平気だろう。
「まあ暫く放っておいても罰は当たらないかな。すまない、御茶が冷めて仕舞ったね」
「構わないさ」
気が付くと榎木津は何時ものように寝転んでいた。吁嗟とこれも亦珍しく悲観的な溜め息と共に仰向けで巨大な子供は寝てしまった。
「それにしてもあれは誰だい。あれじゃあ顔が判らないね」
「そうかい?ようく視て御覧」
「ううん。僕にはどうも判らないな。知らない人かも知れない」
「だと善いね」
榎木津がまた吁嗟と声を上げた。
然しよく眼を凝らしてみればあれは男、成人男性である事は認識出来る。黒い長めの髪が血液を吸って束になっている。
「関口君、そんなにあれが気になるのかい?」
飲み干した湯飲みにまた出枯らしを足し乍彼はまだ微笑んでいる。余程機嫌が良いようだ。
「だって目の前にあんな物が転がっていては気にしないほうが無理さ」
部屋の隅。角に背を向け丸まって倒れているあれが――黒い服だ。黒い着物を着ている。
「なんだ。まるで君だな――」
「いい加減にし給え!」
寝ていた榎木津が突然飛び起きたので私は驚いて御茶を溢した。
「関口!君は先から何を云っているんだ!」
「関口君、構わないよ。榎さんはね、今日依頼者に焼き菓子を渡されたのさ。だから虫の居所が悪い」
榎木津を見もせず制した京極堂に私はまた笑って仕舞った。
どうも私も亦機嫌が良いらしい。
「関口君、そいつは僕かも知れないね」
その瞬間部屋の隅に転がっていたあれは忽然と姿を消し、目の前で微笑む友人に入れ替わって仕舞った。
「噫!京極堂、君は――」
「君がやったのかい?」
真っ赤に濡れた顔が、髪が、着物が光っている。なんだ、あれは君だったのか。紅を挿したように紅い唇が動いて尋き質してくる。
「判らない」
でもそうなのかも知れない。なにせ私も先程から身体中が真っ赤なのだ。
身を乗り出して伸ばした腕で以て顔に纏わり着いている髪を払ってやろうとしたのだが、手首を掴んで止められて仕舞った。
「関口君、君は本当に好い――知人だよ」
榎木津がまた溜め息を吐きながら寝て、鈴が鳴った。