雨乞

雨が降っていたので呆っと外を眺めていた。
豪雨と言う程でもないが昨日の夕暮れから降り続いている。部屋は湿っていたが、気温が低いので何時ものように体裁悪く汗は流れなかった。湿気でじっとりとした室内はかえって肌寒いように感じられて鳥肌がたち、そのほうが余程気持ちが悪い。
時折、雨が降ると放心する。実際には思考を廻らせているのだから放心常態ではないのだが、他人から見ればそうなのだから放心しているのだろう。
私は廻らす。忘れてはならないあの日を。あの別れを、その真実を廻らす。私はそれらを墓場までずうっと大切に抱えていなければならない。それが私に出来る彼女を助け続ける手段――否、自分を正当化し続ける為の鉛だ。
彼女が最期に残した感謝の気持ちに応えたい。嘘ではない。嘘ではないが、ただ少し残忍な言い方をして仕舞えば、それは決して私が私だからではなく人として当然だからだとも思う。
私が人に感謝されることなど稀有だから向きにそう考えて仕舞っている節もあるかも知れない。私は所詮卑屈であるからそう云った考えはどうも拭いきれない。
兎に角、私は彼女を忘れないのだ。
「京極堂、雨が降っているよ」
無意識に持ち上げた受話器に向け話し掛けた。耳に押し宛てた黒く重い受話器からは無機質な音だけが繰り返している。
黒と云う言葉だけで私は簡単に彼を思い浮かべる。鴉だ。私は鴉に電話を掛けて笑っている。
「暫く顔を会わせていないから君の顔を忘れて仕舞った気がするよ。ああ君は僕の顔など疾うに判らないのだろうね」
何だか突然可笑しくなって笑いたくなった。鴉はカアと馬鹿にするように鳴くだろうから声を上げて笑いたくなった。
そうしたら彼女も笑っただろうか。
「雨が止んだら君の処へ行こう」
あの坂道は――あの目眩坂はあんなに急で変な坂なのだから、滝になっていても何ら不思議ではない。水溜まりや川ではない、滝なのだ。機嫌を悪くした主人を想像して顔が綻ぶ。
雨は止む事を忘れて仕舞ったようだ。